第28話 ユーリの真実

 ここには旦那様と私の二人だけだ。元々使用人の少ない屋敷だから、きっと誰も入って来ない。ウォルターにはこの部屋にいることだけは伝えているけど、彼は他の仕事で忙しい。


 誰にも邪魔されず、ゆっくり話ができるはずだ。旦那様には色々聞きたいことがある。



「リゼット、君に隠していたことがある」


「……はい。そのようですね」


 旦那様は冷や汗をかきながらゆっくりと座り、私にも向かいに座るように促した。


「まず、話を聞いていたかもしれないが、君の図鑑に挟まっていた例のスミレには毒が強化される加工がしてあったようだ。君に不要な心配をかけないように報告の場には呼ばなかったんだが、初めから声をかければよかった。申し訳ない」


「いいえ、私が初めから隠れなければ良かったんです。そこは気になさらないで下さい」


「……ヴァレリー伯爵夫人が心配だ」


「はい、その通りです。私の侍女だった人が母の看病をしていますので、すぐに手紙を書きます」


 お母様に今でも毒が盛られているのだとしたら。

 あの部屋に入ることができる人物なんて限られている。お父様と愛妾のシビル、ソフィ。そしてグレースと主治医くらいだ。


 旦那様は考えごとをしている私の方に向いて座り直し、頭を下げた。


「それともう一つ。ここで会った日に君に言った言葉……本当に申し訳なかった」


「私のことを愛するつもりはないと仰ったことですね」


「そうだ」


「何かご事情があると仰っていましたよね。ここに来てからの二カ月、旦那様は噂に言われているような不誠実な方ではないとずっと思っていました。私の目が節穴なのですか? それともあの言葉には、何か深い意味があったということですか?」


「……俺は、本当はリカルド・シャゼルじゃない。本当の名前はユーリ・シャゼルと言って、リカルドの従弟にあたる。リカルドの身代わりとして、あいつに成りすましていたんだ」


「……リカルド様ではない……と?」


 旦那様は私に向かって頭を下げたままだ。




 ……まさか。


 私が結婚したと思っていたこの方は、リカルド・シャゼル様ではないというの?


 何も言葉が出てこない。沈黙する私の前で、旦那様……いや、ユーリ様はゆっくりと頭を上げた。


(なぜあなたが泣きそうな顔をしているのよ。私のことを騙していたのよね?)


 この部屋は気まずい沈黙と冷たい空気で張りつめているのに、開いた窓の外からは小鳥たちのさえずりが聴こえて何だか滑稽だ。

 ユーリ様もそんな違和感に気付いたのか、それともこれからの話を外に聞かれないようにするためなのか。立ち上がって窓を閉め、私に向かって重い口を開いた。

 



◇◇◇

 


 リカルド・シャゼルという人は、ユーリ・シャゼル様の恩人だった。


 ユーリ様は妾腹で、お母様と共に平民として暮らしていたが、そのお母様が亡くなってからシャゼル家に引き取られた。上にはお兄様が二人。突然弟だと言っても受け入れることが難しかったのか、お兄様二人はユーリ様と距離を置いた。

 ユーリ様のお父様も、お兄様二人とユーリ様の扱いを変え、ユーリ様だけは騎士学校には入れてもらえなかったそうだ。


 ユーリ様は諦めていた。


 従兄であるリカルド様はユーリ様と年が近く、唯一心を許して接することができる相手だった。リカルド様のお父様からユーリ様のお父様に話が行き、騎士学校への入学を勧めてくれたことがきっかけで、念願の騎士学校に入れたそうだ。


 リカルド様とは同期として騎士学校で共に学んだ。元々争いごとが嫌いだったリカルド様のフォローはいつもユーリ様とカレン様。リカルド様はいつも、「俺は騎士に向いていない。元々興味のあった医学や科学分野の研究をするために文官になりたかった」と漏らしていたそうだ。


 授業をサボるリカルド様の尻拭いに奔走する日々は、元々騎士学校入学を推してくれたリカルド様のおかげだったから苦にならなかった。


 そんなリカルド様が、突然失踪した。


 あの、私との結婚式の当日だったという。


 魔獣との戦いで、第二王子を身を挺して守った……というのは美談で、リカルド様本人曰く「たまたま第二王子の前に立っていた時に魔獣の攻撃を受けた」だけだそうだ。捏造された美談のせいで辺境伯という重い地位につかなければならないことを、リカルド様はとても嫌がっていた。


 ユーリ様に「辺境伯はお前がやるべきだ」と何度も押し付けようとした。ユーリ様が諭すと、今度は女遊びに明け暮れ、素行が悪くなった。


 リカルド様は騎士学校時代もいつもこんな調子でのらりくらりとユーリ様に色々と押し付けていたから、まさか失踪するほど追い詰められてるとはユーリ様も思わなかった。


 この結婚は国王陛下からの命。

 私とリカルド様との結婚がうまくいかないと、シャゼル家はだとまで脅されていたらしい。リカルド様の変化に気付けなかった負い目も手伝って、ユーリ様は後先考えずにリカルド様の身代わりを引き受けた。


 嫁いでくる相手のヴァレリー伯爵家の方から離婚してほしいと言われれば、シャゼル家に責任を問われることなく妻を追い出せる。そうやって時間を稼いで、その間にリカルド様を探し、戻ってくるように説得しようと思っていた。


 だから、あんなことを言った。

 ソフィから嫌われる役を演じ、ソフィがロンベルクでの生活が嫌になって逃げ出せばいいと思った。


 でもやって来たのはソフィではなく、私だった。



「何の責任もない君に冷たい言葉を言ってつらい思いをさせたと思うし、俺の言葉や態度でたくさん嫌な思いをさせたと思う。どう謝っても謝り切れない。俺はシャゼル家の存続のために君を利用したし、一生懸命この家に馴染もうとしてくれていた君の気持ちを踏みにじった」


 旦那様の声はかすれ、組んだ両手は小刻みに震えていた。


「……私にも、ソフィにしようと思っていたのと同じように、冷たくなさればよかったのに。中途半端に優しくされて、こうして突き放されるなんて。それならどうして初めから……」


 八つ当たりだ。

 旦那様は初めから、私にちゃんと釘を刺していたのだから。旦那様のさりげない優しさに勝手に惹かれたのは私だ。


 でも、毎朝スミレを贈ってくれたのも、ロンベルクの森でつないでくれた手も、街で一緒に食事をして楽しく過ごしたことも、全て自分が夫であるように見せかけるための演技だったの? 本当に嘘だったの?



「いつかは君に本当のことを伝えなければと思っていた。それができなかったのは俺のせいだ……。リゼット、本来の道に戻ってもらえるか。君はリカルドの妻だ。あいつが見つかれば、俺からリカルドに、もう二度と仕事を投げ出さないように言うし、他の女性に手をださないようにも厳しく注意しておく」


「……私に、何もなかったように別の人の妻になれと?」


「……リカルドは、伯爵家の娘である君に釣り合う申し分ない身分だ。君が以前のように生活に困ることはない。魔獣の被害も、俺たちロンベルク騎士団がこれからも守り続ける。君は何にも脅かされることなく生きていける。他のどんな道よりも……幸せになれるはずだ」


「私はこの数か月ユーリ様と過ごしてとても楽しかったんです。このロンベルクでずっと暮らしたいと思っていました。でも、こんなのおかしいわ。全てが嘘で、あなたの態度も全て演技だったのですか?」


 感情がぐちゃぐちゃだ。叫び出してしまいたい。


 旦那様はどういう気持ちで私に接していたの?

 こうして私の前から去るくせに、どうしてスミレをくれたりしたの?

 「愛するつもりはない」と言ったのなら、そのようにして欲しかった。



「どうしても君に冷たくできなかった。俺の中途半端な対応が君を更に傷つけた。何を言っても言い訳になってしまうが、本当に君に感謝している。あの日、食堂アルヴィラで君に出会ったおかげで、心から幸せを感じた。卑屈だった気持ちが、自分を大切にしようと思えるようにまで変わった」


「……ユーリ様。ご自分の気持ちを大切になさった結果がこれなんですね? 誕生日は五月と仰いましたよね。本当はいつなんですか?」


「五月はリカルドの誕生日で、俺の本当の誕生日は十一月だ。本当に全部嘘まみれで済まなかった。でもこれだけは信じてほしい、俺は心から君の幸せを願ってる」



 もう、お互いに視線も合わない。

 どんな顔をして相手を見たら分からない。


 よく考えれば、おかしい点はいくつもあった。


 自分の屋敷で道に迷うなんて変だし、あれだけ悪評高かった女癖の悪さだって全く感じさせなかったのもおかしい。初めから、リカルド様本人じゃないことを疑えばよかったのね。


 それに気づいていれば、私もユーリ様に惹かれることもなかったのかしら。今となってはもう分からない。


 長い沈黙が続いた後、廊下の方からバタバタと慌ただしい足音が近付いて来た。扉がバタンと開き、執事のウォルターが部屋に飛び込んでくる。



「旦那様! 騎士団への報せです! 魔獣が再び姿をあらわしたそうです!」


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