第26話 ユーリの選択肢 ※ユーリside

 リゼットの花図鑑に挟まっていたスミレの調査結果が出たとカレンから連絡が入り、執務室で会うことにした。入ってきた彼女の表情を見るに、きっと良い結果ではなかったのだろう。リゼットにも同席をしてもらおうか迷ったが、連れてこなくて良かった。


 母親の図鑑に毒スミレが挟まっていたなんて言われたら、リゼットだって良い気分はしないはずだ。


 先日ロンベルクの街に出かけた時の、リゼットの悲しそうな顔が脳裏に焼き付いて離れない。

 せっかくリゼットが俺のことを好きだと言ってくれたのに、俺は手を放してしまった。

 リゼットの気持ちが俺へのだとか、そんな勘違いはしてはダメだ。彼女は例え相手が俺じゃなくても、ああして誕生日祝いを計画してくれる優しい子だ。


 彼女の幸せを考えたら、俺は彼女に踏み込みすぎてはいけなかった。二人の時間が楽しくて、つい側に近寄りすぎてしまった。

 これではいざと言う時に離れ難くなってしまうのに。


 騎士としての仕事は休日なのか、カレンの服装は春らしい薄手のドレス。ロンベルクの春に、その服装は寒くないか? いつものキリっとした男勝りな雰囲気とは少し違った雰囲気でやって来た。


 仕事の一貫で頼んだのだから、騎士の制服で来てもらっても良かったのだが。



「ねえ、ユーリ」

「……すまない、ここではリカルドと呼んでくれ」

「えっ……二人きりの時もそうなのね。じゃあ、リカルド。かなり歩いたけど、あとどれだけ歩けば執務室に着くの?」


 いつもはショートブーツのカレンが今日は珍しくヒールのある繊細な靴を履いている。さっきまで颯爽とカツカツ歩いていたのに、今は足をかばうようにゆっくり歩いている。


 ……だから、なんでそんな格好してきたんだよ。



「俺もこの迷路屋敷をまだ覚えてないんだ。適当にその辺の部屋にしよう」


 近くにあった部屋の扉を開けると誰もいない。もう、手っ取り早くこの部屋で話を済ませてしまおう。


 部屋の窓は開いていて、掃除の後の換気の時間のようだ。家具には埃一つ溜まっていないし、椅子もきちんと整えられている。誰も使っていない部屋なのに、荒れていなくてよかった……俺はカレンを椅子に座るように促した。


 そういえば、俺が使用人たちに「屋敷内にできるだけ入るな」なんて言ったんだった。わざわざ執務室までいかなくても、こうして無人の部屋はたくさんあるはずだ。一体誰が掃除してくれているのかは知らないが、清潔な部屋がいくつもあるなら、これからは近くの部屋を使うことにしよう。



「大丈夫だ、ここで話そう」

「ええ、お邪魔します」

「とりあえずその辺の椅子に座ってくれ」


 カレンはドレスの裾を気にしながら椅子に座り、おもむろにスミレの調査結果と思しき書類を取り出した。

 書類をこちらに向けて、俺の方にスッと差し出す。


「あなたから頼まれた件よ」

「結果は」

「普通のスミレじゃないわ。ドルン領特有のドルンスミレ。押し花になっていたからハッキリとは分からないけど、恐らくドルンスミレの毒を強化する加工がされてた」


(毒を強化……?)


 調査結果をパラパラとめくる。

 そんな花を、なぜリゼットの母親は図鑑なんかに挟んで取っておいたのだろう。ドルン出身でもなさそうだし、わざわざ取り寄せて毒性を強化するとは。


 もしかして、夫であるヴァレリー伯爵を恨んで命を狙っていたとか? いや、あの心優しいリゼットの母親がそんなことするはずがない。


 考え込み過ぎて無言の俺に、カレンはあきれ顔だ。



「どうする? これ以上調べるなら、ヴァレリー伯爵家に潜入しちゃうしかないわよ。そこまでする? 彼女はあなたの本当の妻でもないくせに」


「……カレン!」


 なぜ急に俺の心をえぐるようなことを。リゼットが俺の妻じゃないことなんて分かっている。俺が自分のエゴのために、彼女をここに引き留めていることも。


「あなた最近おかしいわよ。このままリゼットさんがここに残ったところで、あなたとは絶対に本当の夫婦にはなれない。あなたのことがもし彼女にバレたら、最悪このままシャゼル家はお取り潰しよ」


「……わかってるよ」


 彼女の方から離婚したいと言わせるように仕向けろと言いたいんだろう? 俺がリカルドの身代わりだとバレる前に。カレンはリカルドのことを好きなんだろうし、シャゼル家が取り潰しになると困るよな。リカルドが路頭に迷うのを見たくないだろう。

 

 もしリカルドが今になって現れたらどうなる?


 伯父上はリカルドを説得して何とか仕事に戻そうとするだろう。そうなれば、俺の身代わりは終わる。リゼットにとっての夫は突然別人に変わる。


 彼女を、リカルドに渡すことになる。


 リゼットはどう思うだろう。ソフィならまだしも、リゼットはシャゼル家の汚点を大っぴらにすることはないだろう。そのままリカルドの妻になる? それとも、離婚してあのヴァレリー家に戻る?


 彼女をヴァレリー家に戻したくないのは、俺だ。またソフィにいびられて苦しい生活を強いられるなら、このロンベルクに留まって欲しい。例え彼女がリカルドの本当の妻になるしかなかったとしても……あの家には帰したくない。


 彼女がリカルドを受け入れてくれたら、使用人達だって呼び戻して不自由のない生活をさせてあげよう。

 リカルドが逃げないように俺が仕事を手伝うとしても、それだけじゃ不十分だ。リゼット以外の女遊びもやめるようにリカルドに言わなければ。


 そうすれば、リゼットは幸せになれるのか?

 俺は本当にそれでいいのか?


「あなたがリゼットさんを騙し続けているのは事実よ。今回のスミレの毒の件だって、本当はあなたには無関係じゃない。首を突っ込む必要はないところに突っ込んで、良心に反してリゼットさんを騙し続けるなんて。なぜあなたがそんな目に合わないといけないの?」


 カレンの顔は泣きそうな表情を浮かべ、机の上に広げた書類を集めて乱暴に封筒に入れた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る