その2 美少女との出会いは突然に
さて、ここで平民の俺がどうしてこの謎組織、”悪役令嬢対策倶楽部”に所属しているのかの説明をしたいと思う。
と言っても、もったいぶるほどの大した理由はないのだが。
時間は入学式の一週間後。週明けの昼休みに巻き戻る。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ここはメッテルニヒ魔法学園、平民学科の校舎。
俺はクラスの連中に混じって、廊下に張り出された学力テストの順位表を見に来ていた。
入学式の翌日にやった抜き打ちテストだった
「げっ! 俺の順位、こんなに下なのかよ!」
「あー、まあダミアンは理数が得意だけど、今回のテストの理数は特に難しかったからね」
「本当、ズリぃよな。俺を狙い撃ちしやがって」
同じクラスの俺の友人、ダミアンがグチグチと文句を垂れた。
テストを作った教官がわざわざお前なんかを狙い撃ちするわけないだろう。
相変わらずバカなヤツだとは思ったものの、ここは武士の情け。
口には出さずにおいてやる事にしよう。
「僕は74位か。自信が無かった割にはまあまあかな。アルトは何位だった?」
「待ってくれ、今探している所だから」
「ひょっとして俺より下なんじゃねえの? 俺が後ろから探してきてやろうか?」
マリオとダミアンにはやし立てられながら、俺は懸命に自分の名前を探した。
ていうか
俺は祈るような気持ちで、見慣れない文字で書かれた順位表に苦労しながら自分の名前を探したのだった。
さて。先程から妙な表現を使っているのが気になっているかもしれないが、実は俺はこの世界の人間ではないのである。
といっても、アルト自身はこの世界の人間だ。
そのアルトに宿っている精神。それがこの俺、日本人の高校生、片桐優斗なのである。
そう、俺はいわゆる転生者なのだ。
数日前、俺はこの体、アルトに転生していた。
正直原因は見当もつかない。
直前の記憶も曖昧なのだ。ただぼんやりとサッカーの練習試合中だった記憶があるだけだった。
ちなみに俺の中にはアルトだった頃の記憶は全くない。完全に俺、片桐優斗のままである。
だからアルトの記憶――精神? がどうなったのかは分からない。
俺の記憶に上書きされて消えてしまったのか、あるいは互いの記憶と体が入れ替わってしまったのか。今の俺には確認する術は無い。
ただ一つ言えるのは、もしもこれが一過性の現象でないのならば、俺は今後アルトとして一生この世界で生きて行くしか無い、ということだ。
正直最初はかなり焦ったし、うろたえもした。
しかし、何故かこの世界の言葉も分かるし文字も読めたので、そこまで悲惨な事にならずに済んだ。
そう、この世界の文字は日本語ではない――どころか見た事も無い文字だったのである。
俺がこの世界が地球上の国ではなくて、異世界の国なんじゃないかと思ったきっかけでもある。
頭の片隅でそんな事を考えていたせいだろうか、いつの間にか俺は成績上位者が張り出された場所まで歩いて来ていた。
しまった、これってうっかり見落としてしまったんじゃねえか?
流石に文字が読めると言っても、長年慣れ親しんだ日本語を読むようにはいかないのだ。
教科書なんかを読んでいる時も、ちょっと気を緩めるとこうして目が滑ってしまう事が良くあった。
俺はもう一度さっきの場所から調べ直そうとして、後ろを歩いていたダミアンの肩にぶつかってしまった。
「あ、悪い。・・・ん? どうかしたのか?」
ダミアンはポカンと大口を開けて呆けていたが、俺の言葉に我に返ったのか、いきなり俺の肩を掴んできた。
「おい、アルトお前――グフッ!」
「スマン、つい咄嗟に。それで俺がどうかしたのか?」
「いや、いきなり良い腹パン入れといて、忘れたようにサラッと聞くのもどうだろうね」
苦笑するマリオ。そして腹を押さえて悶絶するダミアン。
そうは言うが、コイツがいきなり人に掴みかかるのがいかんのだ。
「ダミアンはアレを見て驚いたんだと思うよ」
そう言ってマリオが指さすのは順位表の先。
そこに書かれていたのは――
「なっ! 俺の名前じゃないか!」
「君が驚くんだ。というか、こんなに成績が良いなら最初から言っといて欲しかったよ」
そう、学年順位一位の場所に書き込まれていた名前こそ、今の俺、アルト・ワルドマンの名前だったのである。
まあ、実は俺も、薄々アルトは頭の良いヤツだったんじゃないか? とは思っていたのだ。
授業の時の教師の態度も明らかに「出来るヤツ」扱いだったしな。
後で知った事だが、アルトは入試の成績もトップだったんだそうだ。
マジか~。どうしてアルトはその記憶を俺に残していってくれなかったんだ。
どこかで頭でもぶつけて、そのショックで馬鹿になったって事に出来ないもんだろうか。
そんな後ろ向きな考えに浸っていた俺は、ふと誰かの視線を感じて振り返った。
そこにいたのはボサボサ頭の小柄な眼鏡の少女。
・・・誰だ?
見覚えは無い。少なくとも同じクラスのヤツじゃないと思う。
俺の怪訝な顔に気付いたのだろうか。少女はキュッと口を結ぶと足早に俺達の前から去って行った。
「何だったんだ? 今のヤツ」
「あれっ? アルトは知らないんだっけ? ほら、そこの子だよ」
再びマリオの指さした先。
エバ・ヤンセン。
書かれているのは俺のすぐ後ろ、学年二位の成績の持ち主であった。
あちゃ~。やっちまったか。
どうやら彼女は、テストの順位でアルトに負けて悔しい思いをしていた所に、その張本人である俺から「誰?」みたいな顔をされてカチンと来たらしい。
いや、他所のクラスのヤツの事まで知らんし。
というか、そもそもこのテスト受けたのだって俺じゃなくてアルトだし。
その結果で俺の事を敵視されても困るだけなんだけど。
「彼女ヤンセン商会の子だから」
「・・・なるほど」
「うん。大商会の娘っていうのも大変だよね」
マリオから、だから分かるよね? みたいな感じで言われても何の事だかサッパリな俺だった。
取り合えずこの数日で、俺は良く分からない事には取り合えず「・・・なるほど」と言うようにしていた。
そう言っておけば大抵の場合は上手く誤魔化せるからだ。
俺だってこう見えて結構いっぱいいっぱいなのである。
そうやって俺達が良く分からない女子の話をしていると、周囲のヤツらが一斉に廊下の先を見てざわめきだした。
何だ? 有名人でもやって来たのか?
俺のこの感想は当たらずとも遠からず。結構いいセンを突いていたようだ。
「貴族家の使用人だ」
「どこの貴族様の家の者だ?」
「あの紋章は知っているぞ。メッテルニヒ伯爵家の紋章だ」
ゲゲッ。伯爵家の使用人だって?
正直、日本人の俺にとって貴族の階級なんてサッパリだ。
先日うっかりその事をポロリと口にした時のダミアンとマリオの顔ったら無かったね。
お前馬鹿じゃねーの。二人の顔にはそう書いてあった。
取り合えず、俺達平民にとっての貴族といえば男爵。そう思っておけば問題無いそうだ。
男爵以上の貴族家はこの国にも数える程しかない。つまりはレアキャラだな。
ちなみに伯爵家は男爵家の上――レアキャラだ。一応、その場でも全部の家の名前を教えてもらったが10分後にはまるっと忘れてしまった。
仕方が無いだろう。この体に転生して以来、毎日覚えなきゃいけない事だらけなんだから。自分と関わりの無さそうな相手の情報まで覚えておくような脳みその容量は、今の俺にはないんだっつーの。
――そういやダミアンが何か言ってたな。
「つまりあれだ。伯爵様がカブトムシなら男爵様はカナブンみたいなもんなんだよ」
「頭が悪い例えだが、何となく言いたい事は伝わったわ。だったらさしずめ俺達平民はアリンコか?」
「う~ん、伯爵様がカブトムシだろ? なら俺達はセミの抜け殻かな」
「抜け殻は最早昆虫じゃねえよ!」
うん。ムリに思い出さなくても心底どうでもいい話だったわ。
俺がそんな下らない事を考えている間に、まるで映画のワンシーンように人垣が割れた。
その先に立っているのはピシッとした黒い服に身を固めた細身の若い男。
髪をオールバックに固めた、いかにも”出来る執事”といった感じの目付きの鋭い男だった。
「ちょっと、アルト」
「ん? あ、ああ、悪い」
俺はマリオと二人でまだ腹を押さえてうずくまっているダミアンを抱えると、他の連中と同じように廊下の脇に避けた。
あれだ、道路で救急車を避ける一般車みたいな感じだ。
出来る執事風男は、全員の視線を浴びながらも完全に無視。気にした風も無く歩いてくると、丁度俺達の目の前で立ち止まった。
どうしたんだ?
男は壁の順位表をジッと見ているようだ。
俺は何となく湧き上がって来たイヤな予感にゴクリと喉を鳴らした。
「このアルト・ワルドマンというのは誰です?」
落ち着いた見た目にそぐわない意外とハスキーな声だった。
俺のクラスメイト達が一斉に俺の顔を見た。
「彼が?! ・・・仕方ないですね。連れて行きましょう」
男がそう言うと、いつの間にか現れた二人のメイドが左右から俺の腕を取った。
いや、仕方ないって何だよ。てか、ちょっと待て! 腕を取るっていうより、このメイドさん達、ナチュラルに俺の腕の関節を極めてるんだけど! スゲー痛いんだけど!
急な展開に付いていけずに慌てる俺を連れて、執事男は平民校舎を後にするのだった。
俺が謎の執事とメイドさん達に拉致同然に連れて行かれた先は、俺達の平民校舎より明らかに金のかかった立派な建物だった。
後で知る事になるが、ここは貴族学科の所有する部室棟であった。
俺はその一室に案内? されるとしばらく一人で放置された。
俺は罠にかかった動物のように、落ち着きなく部屋の中をグルグルと歩き回った。
そんな俺の頭の中ではダミアンとマリオから聞かされた話が繰り返されていた。
曰く、貴族達にとって俺達平民なんてそこらの野鳩程度にしか思われていない。
曰く、貴族学科の学生に目を付けられた平民の学生は、卒業するまでひたすらいびり倒されて途中退学も許されない。
曰く、数年に一度は行方不明になる学生が出るが、あれは陰で貴族学科の学生に×された学生だ。学園は貴族家に圧力をかけられて公言出来ずにいるのだ。
――どれも全くロクな噂じゃないんだが。
そんな馬鹿な、と笑い飛ばしたい所だったが、日本だって江戸時代に『生類憐れみの令』で蚊を潰した者が島流しにされたという例もある。
昔の封建社会では俺達現代人の常識では考えられないほど人の命が軽かったのだ。
そんな風に、最悪な想像ばかりが頭に浮かんでいたせいだろうか。
ガチャッ!
ビクリ!
ドアノブの回る音に俺の心臓は飛び出しそうになった。
ビビりすぎだって。いや、仕方が無いだろうが。これって、リアル命の危険なんだぜ。
「あなたが平民学科の首席の方ですのね?」
この時、部屋にフワリと花のような香りが漂ったのを今でも覚えている。
部屋に入って来たのは、明るい金髪を豪華な縦ロールにした少女だった。
まるで映画の中から飛び出して来たような美少女の登場に俺の心臓は大きくドキリと跳ねた。
そんなすでにいっぱいいっぱいな俺をそっちのけで、美少女は俺をここに連れて来た理由を口にした
「あなたには私が悪役令嬢として破滅する未来を回避するためのお手伝いをして頂きたいのですわ!」
小さな拳を握って力説する美少女。
だが、彼女には申し訳ないが、この時の俺は全く話に付いていけていなかった。
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