第6話 紫カブのロティ専用スパイスをふたつ
橋を渡る途中あたりから、すれ違う馬車が平民街のものとは違う洗練されたデザインのものになった。御者の風体はいかにも紳士然として気品が漂っている。
荷馬車は橋を渡ると川沿いの道を下流方面へと進み、左に河川敷、道を挟んで右手には貴族御用達らしいブティックやら宝石店やらが並んでいた。屋根の上に、皇宮の丘がかろうじて見えている。
道行く人の身なりもガラリと変わり、女性のドレスはレースやリボン、フリルがふんだんに使われて、まるで映画の撮影セットに迷い込んだ気分。
「コスプレみたい」
「コスプレって、アニメの格好するあれか?」
意外にもジゼルはコスプレをご存知のようだ。
「うん、あれ。妹がコスプレイヤーだったんだ。マジカル戦士ラブルーンになりきって、青いカラコンとピカピカの金髪に、ヒラヒラのミニスカート」
ふうん、とジゼルはあたしの顔をまじまじと見た。
「そういえば主、召喚待機世界と見た目が変わったな」
「え?」
「元は黒髪に黒い瞳だっただろう? 今の青い瞳と金色の髪はもしかして妹の影響か?」
「えっ……、ええええぇぇっ?!」
ポニーテールをほどいてみると、風で煽られた髪があたしの視界に入り込んでくる。それはジゼルが言うとおりキラキラと陽を透かす金髪。
「ジゼルっ! 鏡! 鏡はない?!」
「ない」とにべもなくジゼルが言い放ったとき、ガタンと荷馬車が揺れて景色が止まった。バターと小麦粉の焼ける香ばしい匂いが漂ってくるのは、どうやら目の前にあるパティスリーからのようだった。
ダンは幌を上げて木箱を担ぎ、店の裏口の方へと歩いていく。
「ダンさん、フィリス先生との約束破っちゃうのかな」
「さあな、もしかしたらここが例の店とやらかもしれんぞ?」
「なるほど、そっか」
ジゼルはあたしの行動を予測したのか先に荷馬車を降りてダンの後を追った。あたしは誰かに見られてもいいように慎重に荷台から降り、そそくさと道を渡って店の横の脇道に入る。
こんな場所でユニク○の超シンプルワンピなんて場違い過ぎて、見つかったらヤバいとか以前に見られたら恥ずかしい。ノードとユーリックが〝下着〟と言ったのも納得できる。
それにしても、髪と瞳は妹のエリのコスプレバージョンなのに、服は死んだ時のままなんて。ここら辺を歩くならマジカル戦士ラブルーンのヒラヒラ衣装のほうがマシかもしれない。
「普通の配達っぽいね」
裏口のところで、エプロンをつけた男性にダンが木箱を手渡していた。特に変わった様子はなく、ふっくらした体型のパティシエールは人の良さそうな笑みを浮かべている。
ジゼルが何かに気づいて「おっ」とテンション高めの声をあげた。ダンの背後を通り抜けてゴミ捨て場のような所で足を止めると、「主」と嬉しげにこちらを振り返る。
あたしがそばまで行くと、ジゼルは光る文字で小さな渦を作って割れたガラス片にその光を当てた。
「見てみなよ、主」
ガラス片は鏡に変わり、周囲の景色を映している。のぞきこむと青い瞳がそこにあり、まつ毛エクステもバッチリ。なんだか少し若返っているような。
「……エリ」
「妹の名前か?」
ジゼルの問いに、あたしはコクリとうなずいた。
「不思議なものだな」
感慨深げにジゼルは口にしたけれど、ピクリと耳を動かすと「行くぞ、主」と駆け出した。
パティスリーの裏口は閉まり、ダンは通りの荷馬車の方ではなく、建物と建物の隙間にある、見過ごしてしまいそうな路地に入っていく。〝裏〟という表現がピッタリの薄暗い路地では、仰いだ空は細い帯にしか見えない。
行き来するのは怪しげな人ばかりというわけではなかった。ダンのような商人や、小間使いらしい少年、エプロンをつけた女性。
ダンは手元の紙を見ながら看板を確認して歩いているようだった。あたしとジゼルは彼の歩調に合わせて少し後ろをついていく。時おり魔力の気配を感じた。
「見られてもいいように気をつけろよ、主」
「ジゼルも、人前では人間の言葉を話さないようにね」
「心配ない。魔力のないやつにはぼくの声はニャアとしか聞こえないからな」
「あたしにはわかるのに。あ、もしかしてあたし魔力があるの?」
「主には必要に応じてぼくの魔力が供給される」
「そうなんだ! じゃあ魔法とか使える?」
「契約者が生きてる人間なら使えるが、主は幽霊だからな。正直なところどうなのかわからん」
ダンが木戸の前で足を止め、頭上の看板を確認した。異世界小説の定番設定バンザイ。知らない文字なのになぜか読めるのは本当に助かる。
「輸入食料品販売、スパイス&ハーブ、だって」
「この店ならダンが入っても不思議はないな」
「もしかして仕事の買い物に来たのかな」
さあな、とジゼルが答えるそばでダンは木戸を開けて中に入っていった。
「主、さすがにぼくが入るとバレるからここで待ってる。店の中から魔力は感じないから大丈夫だろう」
「ジゼル、隠密スキルとかないの?」
なんだそれは、とジゼルは怪訝そうに首をかしげた。コスプレは知ってるくせに。
「じゃあ、行ってくるね」
木戸をすり抜けて中をのぞくと、そこは六畳ほどの狭苦しい店だった。壁面の棚にびっしりと瓶や缶が陳列されているけれど、看板にある通り売られているのは調味料やハーブの類。特に怪しげなものはなく、奥のカウンターではダンが店主らしい男と向かい合って話していた。
店の男は二十代後半くらいだろうか。気さくな笑顔をダンに向けている。
「お客さん、初めてですか?」
「ああ、市場の仕事仲間に聞いて来たんだ。紫カブのロティ専用スパイスをふたつもらいたい」
「ああ、紫カブの。最近流行ってるみたいですね。よければ誰の紹介か教えてもらえませんか」
「それは答えないと売ってもらえないのか?」
ダンと男はお互い笑顔のままほんの数秒睨み合い、フッと視線をそらしたのは男の方だった。
「答えるような方にはむしろ売れません。用意してきますので少しお待ちください」
男はカウンター奥のドアを開けて姿を消し、ダンはしばらくそのドアを見ていたけれど、手持ち無沙汰な様子で店内をきょろきょろ見回し始めた。
しばらくしてドアから出てきたのは先ほどの男性ではなく、あたしと同じくらいの年齢の女性。通りで見かけたような貴族らしい派手な服ではなく、装飾はシャツの襟元にリボンがついているくらいで、あとはスカートにエプロンといった質素な格好だった。赤茶けた髪が素朴な印象だ。
「お客さん、もう少し待ってくださいね。あたしは彼の代わりの店番」
彼女はカウンターの中で帳簿らしきものをペラペラとめくり始めた。ダンは気づいていないけれど、彼女は明らかにダンを観察している。
「ちょっと様子見てきます。もうすぐだと思うから」
彼女はドアの奥にいなくなり、入れ替わりに「お待たせしました」と、小さな袋をふたつ手にしたさっきの男が顔を出した。
「これで足りるか?」
ダンがカウンターに置いたお金の価値はあたしには分からない。シルバーのコインが一枚。
「ちょうどです」
男は袋をダンに渡したあと、「そろそろ品切れになりそうなので、次来られてもお売りできないかもしれません」と、笑顔を崩さないまま忠告するように言った。
「わかった」
そっけなく返し、ダンは木戸を開けて出ていく。
ジゼルの姿が見えたけれど、あたしは店の奥に何があるのか探るためドアに頭を突っ込んでみた。先ほどの女性が壁にもたれて立っていて、麻薬のようものはなく、そこはただの通路だ。右は行き止まりで、左に行った先に扉がいくつか見えている。
彼女はドアを開け「帰った?」と不機嫌な声を男に放った。
「なんで売ったの? あいつの息子だか甥だかがハズレを引いたってのに、わざわざ買いに来るなんて明らかに怪しいよ」
「売ったのはアタリだ」
「はっ? アタリをシルバー一枚でふたつも売ったの?」
「ハズレを渡して中身を調べられたらまずいだろ。だったら損してもアタリを渡した方がいい」
女は呆れ顔で肩をすくめ、男は嫌な笑みを口の端に浮かべる。
「
「アハッ、手回すの早すぎ」
「白影が一人、たまたま侯爵様の遣いで来てたからタイミングが良かったんだ。魔塔が動くかもしれないって言ってた」
「ふうん、思ったより早く平民に広がったからね。そろそろ魔塔に泣きつくやつが出てもおかしくない。それで、どうするの? 撤収?」
「それは俺が決めることじゃない」
そうね、と女はエプロンを外す。そしておもむろに自分の赤茶けた髪を掴んで引っ張った。カツラの下から現れたのは一つに束ねた長い黒髪。
「ちなみに白影は誰が来てたの? シド?」
「シドじゃない」
「なんだ、残念。今から追ったら会えると思ったのに」
「シドはお前には靡かないよ。それにしても、皇女の侍女ってのはそんなに暇なのか?」
――ん? 皇女? の侍女?
「ナリッサは皇女っていっても元が平民だし、まともに仕えようって方がおかしいよ。みんな適当にやってる。あからさまに苛めたりしないだけ他の侍女よりあたしのほうがマシ。皇女が用無しなのは本人も周りも分かってることだし、いっそ平民に戻してあげた方が幸せなんじゃない?」
軽くあしらうようにハハッと男が笑った。
「生きてけないだろ」
「治癒師としてなら食べていけるんじゃない? 母親が治癒師だったっていうんだから。ロマンチックよね、皇帝とその命を救った治癒師の身分違いの恋。その末に生まれた平民育ちの皇女ナリッサ」
平民育ちでもナリッサは王族の血を引いてるんだぞ。グブリア帝国の銀色のオーラよりすごい、幻の亡国の王族に伝わる金色のオーラを発現するんだから!
「皇帝が自分の血を引いてると明言したんだ。平民に戻ったところで皇族のオーラが発現する可能性があるならいずれ暗殺されるだろう。憐れなもんだ。皇太子のオーラが発現しないから皇宮に迎えられたっていうのに、その直後に皇太子がオーラを発現して用無しになるなんて。まあでも、皇女にとっては街に戻るより皇宮にいる方が安全だろ」
「安全なんてどの口が言うの」
あたしの目の前にいる二人はどう考えても悪人にしか見えなかった。
〝ハズレ〟とかいうヤバい麻薬を平民に売りつけて、たぶんちゃんとした(?)麻薬は〝アタリ〟として貴族相手に商売してるんだろう。
彼らが口にした「白影」には聞き覚えがあった。男が言った「侯爵様」というのが従えている闇の組織っぽいものだったはずだ。
侯爵の名前はなんだっけ?
このジャンルの小説は名前がやたら長い上に、同じ名前があっちの小説にもこっちの小説にも出てくる。似たような名前が一文字違いであったりするし、手あたり次第読んできたから誰がどの小説の登場人物なんだかもう訳がわからない。
ちなみにユーリックのフルネームはあたしの頭の中ではこんな感じ。
「ユーリック・@*&%・#$*!=グブリア」
ナリッサもカインも同上。その点「白影」は覚えやすくていい。
ナリッサが回帰前に白影とどう関わったのか詳細は分からないけど、回帰後のナリッサは白影と繋がりのある侍女の存在を回帰前の記憶から把握していた。その侍女を逆に利用し、侯爵の悪事を暴いたはずだ。
ってことは、その侍女がおそらくこの女。
「〝アタリ〟をいくつかもらっていくね。そろそろ切れる頃だろうから」
「ああ、リアーナ嬢か」
「リアーナ嬢なんて呼び方、皇太子妃殿下に向かって失礼よ」と女はおかしそうにクスクス笑う。
「結婚したら薬はやめるって言ってたのに、やっぱりやめれないもんなんだな」
「結婚した相手があの皇太子だもの。愛されたがりのリアーナには耐えられないでしょうね。贅沢な暮らしはさせてもらってるみたいだけど、昼も夜もずっとほったらかし。房事? なにそれ? ……みたいな」
「まあ、それも俺らにとっちゃありがたいことさ。リアーナ嬢にはせいぜい役に立ってもらおう」
「あっ、そうだ。リアーナがようやくナリッサをお茶に誘ったわ。警戒を解いたのか、それとも」
女が言葉を切り、二人はニヤッと笑いあった。
「いつもらえるかもわからない皇女の気まぐれなプレゼントでは足りなくなったのか?」
「足りなくなったんでしょ。贈り物の箱に隠せる量なんてたかが知れてるし、リアーナにプレゼントを贈るよう皇女に勧めるのも大変なんだから。怪しまれないように他の皇太子妃にもプレゼントを贈ったりして」
「自分が麻薬を皇太子妃に贈ってたなんて知ったら、皇女はどんな顔するんだろうな。アンナ、そのお茶会は上手くやれそうなのか?」
「余裕よ。侍女とはいえ、あたしはローナンド侯爵家の養女なんだから。平民育ちの小娘を丸め込むなんて朝飯前。リアーナ嬢に至ってはあたしを完全に信頼してるしね。あたしは危険を冒して大好きなリアーナのために闇市に麻薬を買いに通う健気なローナンド侯爵令嬢なの」
――そうだ! ローナンド侯爵! 回帰後はこの麻薬事件で爵位を剥奪されたはず。
「侯爵様もアンナみたいな女を養女にするなんてな」
「リアーナを手懐けたから使えるやつだって思ってもらえたのよ。血の繋がった一人娘には裏の顔は一瞬たりとも見せないのに」
カタっと物音がし、木戸が開いたときには二人とも気さくな笑顔を客に向けていた。いらっしゃい、と言う男の声は柔らかいトーンに変わっている。
客は普通のスパイスを探しに来た様子で棚に並ぶ瓶を手に取り、侍女のアンナはそれを横目に「じゃあ、また」と店の奥に引っ込んだ。そして通路を奥へと進む。
いくつかドアがあったけれど麻薬はこの建物にはないのか、彼女は突き当たりのドアを開けて外に出た。
先ほどとは違う路地。追いかけるかどうか迷ったとき、「主」と頭上から声が聞こえた。二階の窓枠からあたしを見下ろしていたジゼルが、ストンと路地に飛び降りる。
「主の気配が外に移ったから来てみたんだ。ところで主、ダンのことはいいのか? 怪しい奴が後を追っていったぞ」
そうだ、白影がダンを監視してるんだった。彼がフィリス先生に麻薬を渡す前になんとかしないと、ダンにもフィリス先生にも危険が及ぶ。
でもアンナを追わないと麻薬がどこにあるのか分からないし、それにナリッサのことも心配だ。
「どうするんだ、主?」
あたしの足下にちょこんと座り、ジゼルはどっちでもよさそうな顔で一人悩むあたしを見上げている。そうしているうちにもアンナの後ろ姿は遠ざかっていく。
ダンの荷馬車にはまだ野菜が山積みだった。ということは、しばらく平民街には戻らないということだ。だったら――と、アンナを追おうとしたとき、「サラさん」と推しボイスで呼ばれた。
「こんなところで何してるんですか?」
振り返った先にいるのはもちろんノード。魔術師というよりもお忍びの騎士といった格好で、この薄暗い裏路地にしっくり馴染んでいる。レアな姿をしっかり目に焼き付けたいところだけど、今はそれよりも、
「彼女を」
とあたしがアンナの方に目をやると、ちょうど路地を左へと曲がって見えなくなってしまった。ノードが「あれは……」と、ひとり言をつぶやいたのが聞こえてきた。
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