第7話 幽霊と悪魔と魔術師による路地裏調査

 足で駆けるのはもどかしく、あたしはまわりに人がいないのを確認して一気にアンナの曲がった路地の手前に飛んだ。幽霊スキル最高!


 建物に隠れてそっとのぞき込むと、数メートル先でアンナが足を止めている。周囲をうかがいながら木戸の鍵を開けようとしていた。


「彼女が何か?」


 ノードはいつの間にかあたしの傍に立ち、声を潜めて聞いた。その足元をジゼルがスタスタ歩いて行く。角を曲がり、アンナから一メートルほど離れたところでニャアとひと鳴きすると毛づくろいを始めた。


 アンナは鍵を開けるのに手間取っているのか、鬱陶しそうに白猫を一瞥して手元に視線を戻す。


「ノード、たぶんあそこに麻薬が置いてあるんです。〝ハズレ〟もあるかどうかはわからないけど」


 ふむ、と考えこむときに漏らすノードの声が好きです。そんな場合じゃないんだけど。


「麻薬の件、ノードは聞いてますか?」


「どうしてサラさんが知ってるんですか?」


 質問に質問で返すのはマナー違反だよ。


「色々あって」と思い切り端折ると、ノードは「そうですか」と嫌味なほど素敵な笑顔であたしを見つめた。じわじわと罪悪感が芽生え、「実は」と勝手にあたしの口が動く。ノードの笑顔は自白剤だ。


「魔塔に来てた商人さんが門兵に話してるのを聞いたんです。その商人さんを尾行したら、すぐそこの輸入食料品店に着いて、麻薬がどうとか怪しげな会話を聞きました」


「それで、あの女性は?」


 木戸の軋む音がし、アンナが建物の中に姿を消した。


「ノードはあの女性と面識がありますか?」


 その質問にノードは少し警戒したようだった。返答の猶予を求めるように「行きましょう」と視線をそらす。足音を忍ばせた彼は、木戸からほど近い建物の陰に身を隠した。


「あの女性に会ったことあります?」あたしはしつこく聞いてみた。


「あります」と、最低限の文字数で返ってくる。


「あたし、店の男と彼女の会話を聞きました。ナリッサ皇女の侍女だって言ってた。〝アタリ〟の麻薬をリアーナ皇太子妃に渡してるみたいですよ。ナリッサが贈ったように偽装して」


 皇太子妃と偽装という言葉にノードの顔が強ばった。


「アタリっていうのは?」と聞かれ、〝アタリ〟と〝ハズレ〟の違いをあたしは憶測で説明する。


 質の悪い麻薬をローナンド侯爵が平民に広げようと画策していて、ことさら低品質で麻痺を引き起こすものを〝ハズレ〟と呼んでるんじゃないかと。そして、〝アタリ〟は貴族向けの高品質なやつ。


 ノードは終始無言でうなずきながら話を聞いていたけれど、アンナは建物に入ったきり出てくる気配がない。ふとある可能性が頭を過り、あたしは「見てきます」とノードのそばを離れ木戸に頭を突っ込んだ。


 予想通り彼女の姿はなかった。ガランとした部屋に両手で抱えられるくらいの大きさの木箱だけが十個ほど置かれていて、正面奥には扉がひとつ。アンナはあそこから出て行ったのだろう。


 よく見ると、木箱の蓋の隅に赤いペンキでチェックが入れられているものがいくつかあった。きっと〝ハズレ〟か〝アタリ〟の目印だ。


 とりあえず路地に戻ったらノードとジゼルが話し込んでいた。あたしが「いなくなってました」と報告すると、二人は警戒を解いて堂々と木戸の前まで歩いて行く。


「サラさん、ジゼル殿からダンとフィリスの話は聞きました。その二人には護衛をつけるようにしますが……」


「が?」


「魔力が絡まない犯罪捜査では、皇室から正式な捜査協力依頼がないと魔塔が勝手に動くわけにいかないんです。だから、魔塔とは関係ないわたしの個人的な調査ということで、とりあえず手頃な魔術師に頼むことにします」


 なんだか面倒くさそう。


「状況を把握してからユーリックに内密で相談してみます。なので、サラさんには後で店の中で聞いたことを詳しく教えてもらいたいのですが」


「わかりました。ところで、治安隊ってやっぱり役に立たないんですか?」


 まあ、とノードは苦笑する。


「こういう場合、一番融通がきくのがユーリック殿下なんです。陛下は魔術師に頼りたがりませんから」


 ふうん、とあたしが相づちをうつと、「それが悪いことだとは思いませんけど」とノードは意外な言葉をもらした。


「それよりサラさん、この中にはもう誰もいませんか?」


 ノードは木戸に顔を近づけ、物音に耳を澄ませた。真剣な顔をしているけれど、あたしはなんだか腑に落ちない。


「魔塔主様でもそういうのはわからないんですか?」


 頭に浮かんだままの疑問を口にすると、ノードの眉がピクリと動いた。プライドを傷つけたかもしれない。


「魔力やオーラがないと気配は察知できません。力のない人間の気配をたどるのが一番難しいんです」


「じゃあ、あたしの気配は?」


「サラさんの位置は把握できますよ。これをつけてますから」


 ノードは自分の耳たぶをピンと弾いた。薄暗い路地でピアスがわずかに光を反射する。


 それにしても「サラさんの居場所」とかじゃなくて「位置」だなんて、まるでGPSでも付けられてる気分だ。


「サラさんにもわたしの位置が分かると思います。わたしに意識を向ければ」


「本当ですか?」


「ジゼル殿の気配は感じませんか?」


「あっ、感じます」


「サラさんの存在の源がこのピアスなら、おそらく幽体の瞬間移動も可能だと思います。ジゼル殿のそばからわたしのそばに、また、わたしのそばからジゼル殿の方に」


 なにそれ、超便利なんですけど。


 いつでもノードのそばに行けるなら……ムフフ、とか考えてたら「魔力の干渉がなければですけどね」と彼が極上の笑みをあたしに向けた。落胆したあたしの顔を見て楽しんでるように見えるのは気のせいだろうか?


「それで、中に人は?」


「いません」


「なら入りましょう」


 木戸は内側から鍵をかけたらしく、ジゼルとノードはゲートを使って侵入した。


 木箱を前にジゼルが「臭い」と顔をしかめ、ノードは顎に手をあてて「ふむ」と漏らす。あたしは木箱の赤い印を指差しながら先ほど思い浮かんだ考えを披露した。


「この印がある箱とない箱があるんですけど、どっちかが平民向けの〝ハズレ〟が混ざってる麻薬で、どっちかが貴族向けの〝アタリ〟だと思います」


「こっちの箱のは質の悪そうだぞ。匂いが酷い」


 ジゼルは赤い印のついた木箱の上に飛び乗り、確認するようにクンクンと匂いを嗅いだあと前足で鼻を覆った。ノードは木箱の蓋を開け、印のある箱とない箱からひとつずつ袋を取り出すと、躊躇うことなく袋を破ってペロリと舐める。


「赤い印がつけられた箱のものは、かなり品質が悪いもので嵩増ししてるようですね。まあ、品質が良くても無許可の麻薬取引は犯罪なんですが」


「ノード、舐めても平気なんですか?」


 ノードはきょとんとした顔であたしを見ると、「ああ」と相好を崩した。


「心配していただかなくても平気ですよ。これくらいで体調を崩すようなら魔塔主なんてやってられません。サラさんも舐めてみますか?」


「えっ?」


「どうせ死んでるんですし」


「……えっと、舐めれるんですか?」


「無理だと思います」


「……」


 ケケケッとジゼルが笑った。


 ――嫌いじゃない。こういう、イケメンにからかわれて軽くあしらわれる感じ、決して嫌じゃないけど。


「あたしで遊ばないでください」


 ノードは「はい」と笑いながら答え、手に持った麻薬の袋はこぶしサイズの小さなゲートの中に消してしまった。異世界小説で次元なんちゃらとか、亜空間なんちゃらとか名付けられてる、猫型ロボットの〇次元ポケット的なやつだ。


「これ以上の尾行は不要です。とりあえず魔塔に戻りましょう。ダンとフィリスの護衛を手配しないと」


 ノードはそう言うと、今度は人が移動できるサイズのゲートを開く。荷馬車に揺られ数時間かけてここまで来たのに、戻るのは一瞬。書斎のカウチソファ―の前にたどり着いた。ノードはそのままドアを押して出て行こうとする。


「サラさんの話を聞く前に手配を済ませてきます。しばらく待っててください」


「ついて行っちゃだめですか?」


「まだダメです」と、反論を許さない笑顔。でも、「まだ」ってことはいずれOKになるってことよね?


「早く戻って来てくださいね」


 何気なくあたしが言うと、ノードはさっき見せたのと同じきょとんとした顔になり、一瞬の沈黙のあと「はい」とうなずいた。笑いを噛み殺そうとしてるけど、口角が微妙にあがっている。


「ところでサラさん、あの下着みたいな服より今の格好の方が似合ってると思いますよ。少し子どもっぽい気もしますが」


 我慢しきれないというようにクッと笑い声を漏らすと、ノードは部屋から出て行った。


 服……?


 ユニク〇のAラインワンピースを着ているはずだけど……


 ん? んん? ……これは


「マジカル戦士ラブルーン……」


 ベビーピンクのふわふわミニスカートの下にはフリルたっぷりのパニエ。バルーン袖と、胸元にはノードの紺碧の瞳に似た色のリボン。そのリボンと同色の編み上げブーツ。唯一足りないのは魔法を使うためのマジカルラブステッキ。


「主、気づいてなかったのか? 例の店に入る時にはその格好になってたぞ」


 カウチソファ―に寝そべって寛ぐジゼルは、あたしがどんな格好だろうとさほど気にしないようだった。髪が黒から金髪に変わってることも気に留めてなかったし。


「主、もしかしたら思い描くだけで服を変えられるんじゃないか? やってみたらどうだ?」


「そうかな」


 期待しつつ、試しに今日街で見かけた映画の撮影衣装みたいなドレスを想像してみた。ヒラヒラのゴージャスなドレスを身に着けた自分――。


 祈るように手を組んで念じてみたけれど、いくら待っても服はラブルーンのままだ。悔しがるあたしに、ジゼルは不思議そうに首をかしげる。


「その格好のままでいいじゃないか。どんな格好でも魔力の気配に気をつけなきゃいけないのは一緒だ」


「そうだけど、好みの問題」


「妹とは趣味が合わないようだな」


「全然合わないわけじゃないんだけど」


 エリは普段どんな服を着てたっけ?


 高校の制服はあたしと一緒。私服で思い出せるのは家で着てたヨレヨレのジャージと、彼女の手作りのコスプレ衣装。


「あっ、ラブルーンの変身前のやつ」


 あれは悪くない。


 少女向けアニメによくある制服をアレンジした衣装で、膝丈のプリーツスカートは紺色。襟元のリボンは変身後と変わらないけれど、シンプルな白シャツにベビーピンクのパーカーを羽織っていた。足元は白のハイソックスにローファー。


「それもコスプレか?」


 ジゼルに聞かれ、あたしは自分の服が変わっていることに気づいた。ラブルーン変身前バージョン。


 もしかして着替えられるのはラブルーンのコスプレだけ? 


 なんで?


「まあ、さっきのよりいいか」


「さっきのも悪くないぞ」


 からかっているんだか、本気なんだか、ジゼルは楽しそうにケケケッと笑った。ノードはどっちが好きだろう。

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