第5話 平民街と魔塔の関係

 ドナドナドーナードーナー♪


 荷馬車に揺られながら口ずさんだら、「変な歌だな」とジゼルに一蹴された。これはね、仔牛が荷馬車で売られていく悲しい歌なんだよ。と、あたしは歌詞を最初から丁寧に説明する。


「意味不明だ」


 鼻で笑ったくせに、あたしがしつこく歌っていると小さな男の子の声でハミングするのが聞こえてきた。あんがい気に入ったらしい。


 魔塔の林を抜けたあたりから、表に看板を出している家がちらほらと見えはじめた。住居と工房が一緒になっているらしく、カーンカーンと金属を叩く音や、ゴリゴリと何かを削る音、それに混じって威勢のいい話し声やら赤ちゃんの泣き声が聞こえてくる。


魔法具アーティファクトの職人町のようだな。鉱物卸に、鍛冶屋、魔獣皮革専門店。ここらだけでなんでも揃いそうだ」


「ジゼル、ほらあそこ。魔塔公認アーティファクト販売店だって。あっちは魔塔公認生活魔法雑貨店」


 至るところでこれみよがしに「魔塔公認」の文字が踊っているのは、なんだかお金の匂いがプンプンして興ざめだ。


「グブリア帝国の先帝時代までは魔法具の販売は禁止されていたと聞いている。どうやら現皇帝になって変わったようだな。以前は魔法具の開発生産は魔塔にだけ許され、すべて皇室に納めていたはずだ」


「皇族が独占してたってこと?」


「ああ。密売した魔術師が処刑されたという話もある。皇室の権威のために魔法具を利用していたのだろう。グブリア帝国は魔術の完全管理を掲げているからな。勝手に魔法具を所持することは許されない。今はどうか知らんが」


「銃刀法違反みたいな?」


「少し違う。治安維持が目的じゃない。パワーバランスの調整だ」


 話が難しくなりそうで「ふうん」と受け流すと、理解したと判断したのか、ジゼルは流れていく街並みをながめながら話を続ける。


「それにしても、平民が魔法具の生産に携わって販売までしているなんて驚きだ。おそらく最終的な魔力付与は魔塔で行っているはずだが、平民街に活気があるのは魔塔を中心にした経済が上手く回っているのだろう」


 ――わたしたちにとっては魔塔が頼りなんです。


 この荷馬車の手綱を握っている商人は、切実な顔でそう言っていた。


 景色は少しずつ変わり、宿場町を過ぎて今朝方あたしが一人で降り立った市場が見えてくる。通りは賑やかで、異世界小説の設定によくある酷い貧富の差みたいなものは見られない。


「この賑わいは魔塔のおかげなんだね」


「人間たちもそう考えているのだろうな」と、ジゼルは含みのある言い方をした。


「グブリア帝国すべての魔術師を集結させた魔塔の力は確かにすごい」


「そんなにすごいならノードが王様になれそうなのに」


「それは無理だ。おそらく魔塔主は皇室との契約で縛られている。でなければ二百年も大人しくしているはずがないからな。でも、やつなりに何かしら考えてはいるのだろう。主の教えてくれた〝小説〟が本当にこの世界のことならば」


 ――そうだ。


 小説本編ではナリッサとユーリックの恋愛がメインで、噛ませ犬的ポジションにノードがいる。露悪的でちょっと抜けたキャラだった。でも、プロローグで描かれたナリッサの回帰前は、ノードはナリッサ皇女を悪女に仕立て皇室を内部から瓦解させようとした悪役。


 そして、今進んでいるのは回帰前のストーリーのはず。召喚時のナリッサの様子を思い返してみても、処刑された記憶を持っているようには見えなかった。


「この活気は現皇帝カインによるものだろう」とジゼルは続ける。


「ノードが何か企んでいたとしても、魔塔は皇室の管理下にある。魔法具関連の商売を平民に認めたのは魔塔でなく皇帝と考えるのが妥当だ。カインの即位当時はたいしたオーラも持たない凡夫と悪魔たちの間では噂されていたが、意外な才があったものだな。ただ、平民を優遇すれば貴族の反発が必ずある」


「商人さん、魔塔には感謝してたけど皇室はあまり良く思ってなさそうだったよ。治安隊は皇室の犬、とか言ってたし」


「治安隊は皇室所属の騎士だろうが、結局は貴族だ。景気の良い平民街を疎ましく思うやつもいるだろうし、難癖付けてしょっ引いたりすることもあるのだろうな」


 やはり、そういう場面に遭遇していないだけで格差や差別あるのかもしれない。小説なんだからみんなハッピーな世界にすればいいと思うけど、それだと物語は始まらない。


「せめて、皇帝に対する誤解が解ければいいのにね」


「無理だろう」と、ジゼルはあっけらかんと言ってのける。


「平民にしてみたら貴族も皇族も同じようなものだからな。威張り散らしてる金持ちは悪いやつ、仕事をくれる魔塔はいいやつ、てことだ。現実はそうでなくとも」


 荷馬車は大通りから外れて路地に入り、建物と建物のあいだに渡されたロープに洗濯物が揺れていた。生活感溢れる風景、質素な身なりの人々。


 何度か道を曲がり、荷馬車がたどり着いたのは食料倉庫だった。積み上げられた木箱には野菜が入っている。それはあたしの知っている野菜とは違って、真っ白いほうれん草みたいなのとか、青いゼンマイみたいなのとか。かすかに漢方薬の匂いがする。


「魔法薬の材料もあるようだな。魔塔にはこれを卸しているのか」


 荷馬車から降りたジゼルは軽い足取りで木箱から木箱へ渡り、吟味するように春菊に似た葉っぱの匂いを嗅いだ。あの商人は忙しなく荷馬車に木箱を積み込んでいく。


「ダンさん、お疲れさま」


 路地から顔をのぞかせたのは、ひょろっとした風体の優男だった。茶髪を後ろでひとつに束ね、白衣のような丈の長い上着の袖を肘まで折り返している。彼から流れ出る魔力を感知してあたしは焦ったけれど、それほど強いものではなく、この程度ならあたしの姿は見えないようだった。


「先生」とダンは彼のことを呼んだ。


「後で先生のとこに寄ろうと思ってたんです。今日は昼から河の向こうに配達があって」


「……本当に行くんですか?」と、白衣の男性は心配そうに眉を寄せる。


「ええ。甥から場所を聞き出しました。手に入れたら先生の治療院に持っていきます」


「ダンさんにはあまり無茶をしてほしくないんですが」


「平気ですって。麻薬と麻痺が関係してると気づいたのは先生だけだと思いますし、今はまだ相手も警戒していないでしょう」


「だといいのですが……」


「それと、現物を手に入れたら魔塔にも持っていくつもりです」


 えっ、と白衣の先生は驚きの声をあげた。


「魔塔ですか」


「ダメですか?」


「……成分不明の麻薬ですし、魔術師が関わっている可能性もなきにしもあらずなので」


「まさか」と、半笑いのダンは魔塔を信じ切っているようだった。


「わたしもそう思いますが、こちらで調べてみるので魔塔に言うのは少し待ってもらえませんか。ダンさんに何かあっては申し訳ないです」


 ダンは明らかに動揺しはじめ、何か察したらしい先生は「落ち着いてください」と穏やかな声で彼を諭した。


「ダンさん。もしかしてもう魔塔に報告しましたか?」


 目をそらしたまま、ダンは無言でうなずく。


「いつです?」


「ついさっき、配達のついでに馴染みの門兵に」


「その人は何と?」


「報告はしておく、と」


 先生は「そうですか」と口元に手をあてて考え込んだ。ダンはしばらく言葉を待っていたけれど、彼が思索から戻って来ないと判断すると気もそぞろな様子で積み荷作業を再開する。先生が口を開いたのは、ダンが積み荷の確認を終えたときだった。


「ダンさん、その店に行くなら配達の前、なるべく早いうちに行ってください。この件に魔術師が関わっていないとしても、報告があがれば調査は開始するはずです。なるべく相手が警戒しはじめる前に済ませてください。それ以降はその店に近づかないように」


 ダンは神妙な顔つきで「わかりました」とだけ口にして、御者台に座ると目深に帽子をかぶった。


「気を付けてくださいね」


 一転して先生が緩い笑顔を向けると、緊張がほぐれたのかダンの顔にも笑顔が浮かぶ。


「感謝します、フィリス先生」


「こちらこそ」


 あたしが幌の下ろされた荷台に乗り込むと、じきに荷馬車は走り出す。


 山積みの木箱の上に座るジゼルはあまり居心地が良さそうには見えなかった。時おり幌が風でめくれてチラリと街の様子が見える以外は、薄暗い荷台には何の変化もない。


「主、ぼく屋根の上に行くよ」


「あたしも」


「主は誰かに見られたらマズいだろう?」


「じゃあ、目から上だけ」あたしが言うと、ジゼルは納得したのか風に靡いた幌の隙間から出て行った。


 暗くて天幕の高さがわかりにくいけど、あたしがニュッと背伸びすると空が見える。


「主、河だ」


 ジゼルの目が、あたしの目と同じ高さにあった。景色はどんどん流れ、正面にアーチ状の橋が近づいてくる。向こう岸の光景は、観光地の絵葉書みたいに意匠の凝らされた建物が並んでいた。




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