第76話 チラドラゴン

「ふんっ!」


 白く広い部屋の中に、ブランカの鋭く力強い声が響く。ここは異空間に創られた体育館ほどの広さの部屋だ。ブランカが遠慮なく運動できるように広く創ったけど、ちょっと広すぎたかなと思わなくもない。まぁ槍を振り回すわけだし、狭いよりもいいかな。


「はあっ!」


 ブランカの気合の乗った声と共に槍が突き出され、黒い球状の影を穿つ。球状の影は槍が触れると消え、今度はブランカの左下方に現れる。


「せやっ!」


 ブランカが、突き出した槍をそのまま左下方へと払って影を槍の穂先で斬る。斬られた影は消え、今度はブランカの後方に現れた。


「?」


 ブランカが素早く払った槍を引き戻して構える。しかし、影を見失って一瞬の困惑が生まれる。


「…ッ!」


 後方に思い至ったブランカが弾かれたように後ろを向いて、球状の影へと槍を突き出した。槍が影を穿ち、影が消える。今度はブランカの頭上に影が生まれ、そして……。


 ピィィイイイイイイ!


 ホイッスルのような音が響き、生まれた影がすぐに消えた。終了の合図だ。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 ブランカが荒い息を吐きながら槍の構えを解いて、槍の石突を床につき、槍を杖のようにして片腕で抱き、反対の腕でおでこの汗を拭った。


『おつかれさま、ブランカ』


 僕はタオルと水の入ったコップを持ってブランカの元へと行く。ブランカに近づくと、髪に馴染ませた香油の香りか、花のような良い香りがした。


「ありが、とう」


 まだ息の弾んでいるブランカが僕からタオルを受け取って顔や首を拭う。


『水分補給も大事だよ』

「うん」


 首にタオルをかけたブランカが僕からコップを受け取って一気に呷る。白い喉が露わになり、ゴクゴクと水を飲む度に動くのを、なぜか少しエッチに感じてしまう僕は、もしかしたら病気なのかもしれない。


「ぷはー。なんか少ししょっぱいような……」


 水を飲み終えたブランカが眉を寄せて不思議そうな顔をしている。


『そうだよ。少しだけ塩が入ってるんだ』

「なんで?」

『汗ってしょっぱいでしょ?』

「?そうね」

『それだけ体の中から塩が出てるってことだよ。だから補給しないと』

「ふーん……」


 ブランカが分かったような分からなかったような微妙な頷きを返す。


「それで、何点だった?」


 今のブランカには、人体の不思議より槍の上達に関心があるようだ。


『21点だったよ。だいぶ伸びたね』

「うん!」


 ブランカがやっていたのは、槍を扱う練習を兼ねたゲームみたいなものだ。槍で球状の影を攻撃すると、影が消え、ランダムな場所に影が生成される。30秒間に何回影を攻撃できるかを競うゲーム。21点は、30秒間に影を21回攻撃できたということだ。最初の7回から比べると3倍に点数が伸びていることになる。それだけ槍の扱いにもゲームにも慣れたということだろう。


『えらい、えらい』

「んふー!」


 僕が小さな手でブランカの頭を撫でると、ブランカが得意げに鼻を鳴らす。


 日本では、女の子の頭を撫でるのはとてもリスキーな行動とされていたけど、それは恋愛感情や信頼関係の有無の他にも、単純に撫でられて髪型が崩れるのを嫌う女の子が多いかららしい。


 ブランカは髪型が崩れても気にしない女の子なので、その分頭なでなでのハードルは低い。あとは信頼関係の問題だけど、僕に頭を撫でて褒められて、素直に喜んでいるから、その程度の信頼関係は築けていると判断してもいいだろう。僕も一安心だ。


「もう一回やる」

『分かったよ』


 ゲーム感覚にしたのが良かったのかな。ブランカ本人のやる気は高い。オーバーワークには注意して、本人のやる気に任せてもう1セットやってみよう。


『じゃあいくよー。3、2、1、スタート!』


 影に鋭い突きを放つブランカを見てしみじみと思う。本当に成長したなー…。


「はあっ!」


 最初は槍の重さに振り回されて、よたよたとへっぴり腰で素振りしていたのに、たった1日でよくこれだけ成長したものだと思う。これが若さってやつかな?あるいは、ブランカには槍の才能があるのかもしれない。そう思わせるに値する成長速度だ。


「へあっ!」


 ブランカの顎の先端から汗が弾けてキラリと光る。その顔は真剣そのものだ。ブランカも分かっているのだろう。この槍に己の命運が懸かっていることを。


 僕もブランカをサポートするつもりだけど、あくまでサポートであり、主体はブランカであるべきだ。理想を云えば、ブランカには僕抜きで冒険者として生きていける技術を身に付けてほしい。その為の第一歩が、この槍の技術になればいいと思う。


「ふんすっ!」


 ブランカがクルリと回って背後の影を突く。蕾が開くようにふわりとスカートが舞い上がり、細い太ももや、白いパンツに覆われたお尻が一瞬だけ覗いて見える。ドラゴンの優れた目を持つ僕が見逃すはずがない。まるで写真を撮ったかのようにその一瞬を克明に記憶することも可能だ。


 チラリズム。見えそうでギリギリ見えない。見えても一瞬だけ。とても趣が深いものだと思う。わびさびを感じる。


 ブランカのパンツが見たいだけなら、“神の目”でもブランカの足元に飛ばせばいいだけだ。透視という手もある。しかし、それでは得られない興奮がチラリズムにはあると思う。


 そんなどうしようもないことを考えながら、僕はブランカの訓練を見守るのだった。

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