第9話 「俺はここにいるから。」

 これでよかったんだ。いつかはサヨナラしなきゃならない。私たちは、ただそれが早かっただけなんだ。


 しばらく走って体が重くなってきたから休憩がてら、近くにあった廃ビルの屋上に上がった。そこで夜風にあたれば、少しは頭が冷えると思ったんだ。案の定、屋上は夜風が通っていて、冬特有の肌が凍てつくような冷たい空気が漂っていた。


 壁に体重のほとんどをかけて立っていたけど、急にふっと力が抜けて座り込んだ。背を壁に預けて、宝石のような星たちが踊り輝く夜空を見上げた。


 はあ、息を一つ吐く。


 白いものが口からでて、高く上がっていく。少しして空気に溶けるように消えていった。


 今、心優は何をしているんだろうな。まだあの場にいるのかな。早く逃げてほしいな。危ないからさ。私のところにいたせいで、大変だったんだろうな。もう、隣にはいたくないんだろうな。


 ……でも、もう一度、会いたい。


 一緒にいてほしい。


 二度目の再会を果たしたい。


 欲深くてごめんね。



 全部が欲しいの、必要なの。隣でいるだけでいいから。


「心優。」


 声をだしても届かないのに、こんなことをする私は大馬鹿者だ。


 心優と出会う前に戻るだけ。そう、そうだよ。半年。戻るだけなの。ねえ、仕事の前にも言い聞かせたでしょ、戻るだけなんだって。今まで通り人を殺めて、一般人に怖がられて、サツに追われる……。これが私の普通。


 でも。普通の……その辺にいる中学生の普通というものを見て、手に入れてみたい。中学校というものに通って、友達を作って、勉強して、好きな人をつくってみたりして。


 一度流れ出した欲望は、止まるということを知らないらしい。だらだらと流れ落ちてくる。


 いつから狂ってしまったんだろう、私は。全部、全部全部、一番じゃないと嫌な私は完璧主義者なのかもしれないな。そんな私をもとに戻す方法はきっとない。


 心優は私の光だ。真っ赤なマントを羽織ったスーパーヒーローのように、私なんかに手を指し伸ばしてくれた。


「……!」


 つうと水滴が頬を伝って、ズボンの上に落ちる。滑り落ちて、コンクリートに染みた。


 ねぇ。別れるのが悲しくて、泣いちゃうくらい好きなんだって。


 戻ってきてよ。お願い。


 隣に、いて。


 ぐっと足を寄せてひざを抱きかかえた。うっうっと声がでるのは、誰もいないから気にしない。


 殺めた人間を思い出すと、最後に「神様、助けて……。」と言ったのもいた。あの時は馬鹿だとしか思ってなかった。けど、今ならわかる。


 悲しみの、絶望のふちに立たされたら最後、神にすがるしかないんだ。その手段しか分からない。実際今の私もそう。


「お願い、神様……!」


 あの人の。


「心優の隣に、いさせて……!」


――びゅうぅぅぅぅぅう


 強い風が通って髪がはためき、前が見えなくなる。


 いっそのこと、ここでこの髪を切ってしまおうか。


 失恋した女性は、毛先に残った恋心とサヨナラするために髪を切ると聞いたことがる。だったら私も切ろうかな。もう会えないんだ。


「髪、長くてきれいだね。」


 ほんとにあんまり髪洗ってないの? 嘘みたいにサラサラなんだけど、そういって手ぐしをとおしながらにこやかにしていた心優を思い出す。


 銭湯にいくっていう方法もあるけど、大っぴらに顔を見せるわけにはいかない。それがばれて通報されたら困るから。だから、血生臭くてしょうがなかったり、どうしようもなくなった時だけ入るようにしている。サツキさんのところはいつでも行くけど。それなのに、髪がさらさらしてるなんて、ある意味才能かもしれない。


 でも、もうこの髪をほめてくれる人はいない。いるけど会えない。だったら切ったって同じじゃないか。


 腰のところに常備している短剣にそっと触れた。指先にあった熱が溶け出しそうなくらい、冷たかった。


 短剣を目の前までもってくる。それは月の光を反射してきらりと光り、私の顔を映した。そこに映ったのは――無表情で正気がなく、なんの意志も持たない人形のようだった。


「……。」


 首を少し前に傾けて、ゆっくり髪を一つにまとめた。視線をコンクリートに向けて、短剣を髪につける。


 はあ、はあ。自分の息の音だけを、私の耳がとらえて、脳裏に焼きつかせる。


 あと五秒。


 四秒。


 三。


 二。


 一。


――びゅぅぅぅぅぅぅう


 さっきよりも強い風が吹いて、反射的に目を閉じる。


 この風に任せて、飛ばしちゃえ。


 最後の覚悟を決めて、手を動かそうとした瞬間。

 ふわり。何かが頬に触れた。


 頬から何かがじわじわと体全体に広がっていく感じがする。


 あぁ。


 ……あったかい。


「誰がそんなことしていいって言ったの。」


「!!」


 雲に隠れて身を潜めていた月が、ゆっくりと姿を現す。


 月明かりに照らされて、目の前に誰がいるのか分かった。


 茶色が入り混じった髪。髪色よりも深みがかった茶色の瞳。雪みたいに真っ白な肌。寒さで赤く火照った頬。


 あぁ、間違いない。


 今、私が一番合いたかったこの人は。


「心優……!」


 どくどくとはち切れそうなくらい鼓動する心臓は、落ち付くことを知らないみたい。自分の胸にそっと手を当てて、ぐっと押してみた。……苦しい。


 さっきのところから逃げてきたのかな。ケガは、してない? 変な薬とか盛られてない? ぐるぐると悩みが一気に押し寄せてくる。波のように、数多く、大きく。


 心優は、半ば強引に私の手を胸からはがした。包まれた手のひらはすごく温かい。


「何やってるの?」


「寝てた。」


「ほんとに?咲。」


「本当だし。」


「なんでナイフ握ってたの?」


「自己防衛。」


「じゃあなんで髪にナイフあててたの?」


「下に撒いて、その辺の人をビビらせるためだけど。」


「そんなことしたら、警察にばれちゃうでしょ。」


「気づかれる頃には飛んでってるって。」


「言ってることが矛盾ばっかだよ。」


 本当のことを言っているような顔をして、嘘で固めたことをしれっと言ってみせる。でも心優はそれを正論で跳ね返していく。


 嘘を身にまとう私と、真実を司る心優。


 闇と光。真反対の私たち。


 ……結ばれることは、ないのかな。


 私の気持ちに気づいてもらうことは、もうこの先、一生ないのかな……っ。


 目じりが熱くなる。見られたくなくて、下を向いた。また、コンクリートに染みが一つ、二つとどんどん増えていく。


「咲。」


 すっかり冷えた両手で頬を包まれて、んっと声が漏れる。驚いて目をつぶった。でも閉じた目は、すぐに開いた。


「咲。」


 瞳の奥まで見つめられて、ぐるぐるまきにされる、蛇に捕まった獲物のように動けなくなる。でもそんなに辛いモノじゃなくて、逆になんだか愛おしい。負けじと瞳を見つめると、泣いた後のように赤くなっている。


 小さい目を見開いて、自然に見開いて、頬がこれでもかというくらい、熱を帯びていく。


 は――。白い息が口から出て、心優の顔にかかる。


 何回も名前を呼ばれて、ちょっとくすぐったくて、嬉しい。心臓がさっきみたいにバクバクしてる。でも何か、さっきとは違う。


「好き、咲のことが。」


 リンゴみたいに真っ赤に染まった心優の顔が、いつもよりひどく幼く見える。


 断る理由なんて、ないじゃんか。


 かぁぁぁぁ、と心優に負けないくらい顔が赤くなったのが自分でもわかる。まだ赤くなるんだと、感心の域に到達してしまうほど、私は熱い。


 心優も恥ずかしくなったのか、私をぎゅぅと力強く抱きしめた。唯一見える、心優の耳は暗闇でも目立つくらいに赤く染まっていた。


「ばかぁ……っ。」


 ぽすぽすと心優の胸のあたりをたたく。そのまま胸元の服をゆっくり握った。


「返事は?」


 耳元でぼそりとつぶやかれで、肩が少しだけ跳ねる。


 声だけでわかった。きっと、大真面目な顔で私に返事を求めてくる心優の表情は、出会った時の女らしさは一切なくて。反対にかっこいいんだろうな。いや、絶対かっこいい。


「わ……私、だって。」


「うん。」


「その……っ。」


 声が震えるわ、頭の中と心がキャパオーバーしてわけがわからないわ、いつのまにか止まったはずの涙は出てくるわ、いろいろおかしくなりながら精一杯、声を振り絞る。


 それでも心優は、うん、うん、って相槌を打ちながら話を聞いてくれる。


「同じ、だからっ。だから……。」


 汚い私の隣で。


「一緒に、いてぇっ。」


 引かれたかな。気持ち悪いもんね、私。いっつも血だらけで、人を手にかけることになんとも思わないし。そんな人間がかわいいなんていうのは必然的にありえないし。


 ごめんなさい。好きになっちゃって、ごめんなさい。


 静寂が響き渡るこの空間にいるのは私たち二人と、空で私たちを見下ろす星たちだけ。誰にも邪魔させない、大切な、大切な空間。最後になってしまうであろう、大事な空間。


 なんだか急に、あの星みたいにどこか遠くへ行っちゃうんじゃないのか不安になって、心優の服をさっきよりもずっと強く握った。痛いかな。


 そしたら心優は壁に預けていた私の背中に手を伸ばした。壁と背中の間に強引に隙間をつくって、心優の手が背中に触れた。そしてそのまま、ぽん、ぽん、と一定のリズムで背中をたたいた。優しくて、まるで赤ちゃんをあやすように、ゆっくり、ゆっくりと。


「不安になっちゃった? 大丈夫。俺はここにいるから。」


 父さんのような手つきで、心優は私をあやす。


 そして。


「ありがとう、選んでくれて。」


 ぶわーっと目じりが熱くなった気がした。そうだ。こんなに近くで人のぬくもりを感じたのはいつぶりだろう。少なくとも一年は感じてない気がする。


 誰にも邪魔されないこの空間で、私たちはお互いに抱きしめあった。


 弧を描くように浮かんだ三日月は、少し微笑んだようだった。


「おい! 闇烏! いるんだろう!!」


 下から聞いたとのある怒声が飛んでくる。


「アイツ……!? どうして、バレないようにしてきたのに……っ。」


 ぱっと離れてしまった心優のぬくもりが、ちょっと寂しい。けど、今はそんなこと言ってられない。

 心優の身を守らなきゃ。


「聞いているのか!? いるのはわかってるんだ! とっとと白状して降りてこい!」


 そうか、標的は私。今回は標的を私だけに絞って狙いにきてる。つまり、心優は対象として見られていない。でも、ここで心優をおいていくのはなしだ。一緒にいるって決めたじゃないか。じゃあ、どうしよう。


 いつもなら恐怖も顧みずに飛び込んでいくスタイルだった私は、逃げる人数が増えた時のことを考えてもなかった。


 ……怖い。


 初めて抱いた、逃げることへの恐怖。大切なひとを失ってしまうかもしれない不安。一つ一つの初めての感情が、私の中で渦をつくる。


 守らないと、私が。心優は絶対に生きてもらわないと。生きて。


「大丈夫。」


 はっと我に返ると、手が心優の手に包まれていた。いつの間にか立っていた心優に手を引っ張られて、立ち上がる。


「俺はここにいるから。」


「……うん。」


 手をつないで、心優の隣に立つ。


 いいんだ。胸を張ってやってやれ。


「いこう。」


「うん。」


 私たちは隣のビルに飛び移った。






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