第7話 仕事

「ほら、咲ちゃん。しーごーとー!!」


「んーなに……眠いー。」


 サツキさんのカフェ。もはや私の部屋と化した部屋でぐずぐずと支度をしていたら、サツキさんに活を入れられた。


 真っ黒を身にまとって、仮面をウェストポーチにしまいこんで、サツキさんの店の裏口から出る。冬の風が吹き、身を撫でる。ちらりとサツキさんのほうに視線を投げると、向こうは向こうで他の作業に没頭していた。



ギィィィ——ガチャン


 裏口のドアを閉める。そのまま、約束の場所に歩を進める。


 夏からの半年間。それだけの間、私は心優を一目も見ていない。出会う前、半年前に戻るだけだ。私には何も支障はないはず。


 でも心にはあった。十分すぎるほどの支障があった。


 ドーナツのように綺麗にぽっかりとくり抜かれた心は、体は、私は、何かを求めていた。


 その何かを私はわかっていたし、自分を抑えようとした。


 わかってる。


 その何かをサツキさんで埋めることはできないっていうことも。冷えた身体を風呂で温めることはできないっていうことも。


 全部全部、理解したつもりでなにもできていなかった。


 ぶわりと冷たい風が足を、手を、顔を、私を殴る。殴られて、殴られて、殴られる。いつか見た漫画のサンドバッグになった気分だ。



 今日の仕事は、取引の間の護衛。それだけ。


 何度かやったことがあるけど、結構つまんない。知らないじじい共の取引に興味があるだなんて言うヤツ、警察くらいだろう。


 近づけば近づくほど、足が重くなっていく。大きくて重い鉛を引きずるように力を入れて歩く。


 そこそこ大きなプレハブ倉庫。そこが今日の取引現場だ。元運送会社の建物だから、荷物を乗せて動かす機械も入っていると思う。フォークリフトだっけ。まあいいや。


 何も言わず、足音も立てず、静かに建物へ入り込む。そして壁に背を向け、前を向いて立っていた。


 誰かが気付いたのか、奥から大きな男が出てきた。コイツが、今回のボスだ。


「烏だろ。俺たちは今から取引する。俺の隣でじっとしてろ。相手が攻撃してきたら、その時は容赦なくやり返せ。それだけだ。」


 うんともすんとも返事を返さず、私はコイツの隣でぼけっと突っ立っていた。部下を他の物陰に配置したボスは私の隣、一歩後ろに立つ。本当に何も言わず、ただ黙り込む私が面白くないのか、コイツは暇もなく話しかけてくる。だが仕事は仕事。言われた通りに仕事をこなすだけ。太ももに張り付くベトベトの手も、腹を括ればそう辛くも何もない。


 他の部下がいるのにも関わらず、コイツは私を雇った。それは何らかの意図があるはず。なぜだ。初めてあった私を隣に置き、自分の命を託した? 信用できるかもわからない人間を、どうして隣に置く? どこをどう信用すればいい? わからない。コイツが考えていること全てが理解できない。


 なんにもわからない私が——。



 でも、どうやら私は考えすぎだったみたいだ。


 取引は滞りなく行われた。変な奴が乱入することもなかったし、サツだって来なかった。


「……成立だ。」


 相手のボスはそう言う。警護のヤツだかしらねえけどガタイのいい男二人、ボスと共にこの場を退場していった。


 と思いこんでいたのは、私だけじゃなかったらしい。


バンッ! バン! ドガッッッ!


「おい! 警察だ! この場にいるヤツは全員手を上げろ!!」


 気を抜いた私たちに襲いかかってきたのは、大きな音。大音量で誰かが入ってきたかと思えば、目の前には大量のサツが銃を構えてこちらを向いていた。


 はあ? なんでここにいんだよ。クソ野郎どもが。意味わっかんねえよ。コイツもコイツだ。なに考えてんだか、さっぱりだ。てか、今出て行ったヤツらは? グルかよ。クソッ。


 頭をフル回転させればさせるほど、なんの答えにも辿り着けない自分に腹が立つ。


 頭を抱え込みたい私はとりあえず不満を撒き散らすために、目の前のサツを睨みつける。


「っ……おい! 聞いてんのか!?」


 ひるむんだ。これだけで。まだまだお前も子供だな。ふっと笑い飛ばしたいのを我慢して、未だ睨み続ける。


 でもここで手を上げないといつ銃を発砲してくるかわからないからな。今声を荒げているサツは、多分だけどそこまで歴が長そうなわけでもない。それでもこのサツは、巣から湧いて出てくるアリのごとく、バカみたいに人数が多い。人数でねじ伏せにきてんのか。クソ。あ、でもヤツはいなそう。唯一の救いじゃないか。あの目立つほどデカい肩幅も、空気の振動が身体中の毛穴一つ一つに伝わるくらい野太い声も、なに一つ見当たらない。いっつも追っかけまわしてくるあの陽というサツは、まだ到着していないらしい。


 陽……。




 心優。


 心優は。


 この名前を聞くたびに、胸が締め付けられる。昔、心優に貼っていたたくさんのレッテルは、いつの間にか上から「陽」という大きくて、嫌なレッテルに貼り替わってしまった。いや、貼り変えてしまったんだ。私が。この手を使って、貼ってしまった。


 自分が心底嫌いだ。


 何もできない自分が嫌いだ。


「おい! もう一度警告する! 今すぐに手を上げろ!!」


 嫌いだ。


「おい!! いい加減に。」


「嫌いだ。」


 嫌いだ。私が嫌いだ。お前が嫌いだ。お前らが嫌いだ。コイツが嫌いだ。サツキが嫌いだ。サツが嫌いだ。陽が嫌いだ。心優が、嫌いだ。全部全部大っ嫌いだ。嫌い嫌いきらいきらいきらい……。


 でも好きだ。心優が好きだ。サツキさんが好きだ。好きの反対は嫌いじゃない。絶対に。


 壊れたレコーダーが映像を録画出来ないように、私の脳は目の前の映像を焼き付けようとしない。


「確保!」


 サツが動き出した。攻撃を受けたボスの手下はみんな、最低限しか動かない。


 私は動かない。でも脳は動く。止まらない。サツの様子をうかがいながら考える。


 勝手に動き出す身体をぼーっと見る。まるで霊体離脱したような感覚で、他人事のように、自分じゃない自分を見下ろす。


 なんのことも頭に溜めず、ただただ自分の仕事をこなそうとしているだけの、機械。決まった動きを何百と往復するロボットのように、カクカクと動く訳でもないけど、キビキビとメリハリよく動く訳でもない。だるそうに、身体を引きづるように、誰かに引っ張られているように、私はボスを護っている。


 ヤツは、ボスはなんの感情も浮かべずに、ニヤニヤと気持ち悪く笑っている。


「あ゙あ゙! お前らなんかによお! 人生踏みにじられた俺たちが、黙ってられっかよお!!」


「……。」


 終わった。


 サツ相手にこちらが攻撃を仕掛けたらもう、終わりだ。


 サツの命に関わるようなことをした場合、ヤツらは銃を発砲することが許されている。つまりだ。ここから先は、私たちの命が保証されない。


 でもこうなることだって、珍しくないんだ。


 頭がいい人は、考え方が硬い。暴力に反抗するには暴力しかないと、考えているんだ。確かにこの界隈にまともな人間なんて人っ子一人いない。まともだったら、闇になんて飛び込んだりはしない。国を支える権力者たちには、他人が持っている暴力という力を使う方法しか、犯罪者(私たち)を抑圧できる術(すべ)がないんだ。だからこの世から暴力は生み出される。それに反発するから、また暴力が生まれる。あとはそれを、負のループをただ永遠と繰り返すだけ。


 バカみたいな話だ。


 これがおとぎ話だったら、どれだけよかったんだろう。


 でもこの国は、この世界は、私たちみたいなバカで埋め尽くされている。


 戦場になったこの場をまとめられる者は一人もいない。無理だ。


 一人、また一人と負傷した人間が倒れ、サツに締め上げられる。


 私は私に向かってなだれ込んで来るサツを左右にかき分け、ナイフを振り回した。命のやり取りっていうものは、一瞬で、脆いんだ。


 枯れ切った涙袋を指でぐっと抑える。


 私だって、嫌だよ。誰にも死んでほしくなんか、ない。


――ピュン


 風を切って、驚く暇もないほど早く、私の腕に傷ができた。


 それが何なのかは見るまでもなくわかったし、痛くなんかなかった。


 銃弾がかすった右腕が重い。それでも私は攻撃を続ける。ボスが私に新しく命令するまで、私は命令されたことだけをこなす。


「っあ。」


 がくんと膝から力が抜け、体制が崩れる。


 待ってましたと言わんばかりに、大量のサツは私に向かってとびかかってくる。


 ぽたぽたと地面を汗で濡らしながら、私は逃げる。全力で。ナイフが滑り落ちそうになるのを必死でこらえて、ボスの周りをぐるぐると回る。サツを数人程度に分解させてから、攻撃を仕掛ける。


 どこまでいってもコイツの表情筋は動くということを知らないらしい。さっきから一切も変わらずの、怖いほど笑顔だ。


 兎にも角にも、逃げないと。私が助からなかったらボスは死ぬ。すなわち、私の仕事は達成しない。それだけは防がないといけないんだ。


 最初よりも幾分かサツ人数が減った。こちら側にいる人間も少なくなったが。でもサツには応援がくる。私たちにはそんなこと、ない。できないんだ。


「ッチ! らちが明かねえ……! おいっ、誰か! あの人を呼べ!!」


「! ……っち。」


 だめだ、呼ばれたら困る。


 あの人というのはどうせ、陽のことだろう。あのクソジジイ。それにくるんだったら、応援も呼ぶだろうし。


 だめだ、もう。最終手段。


「ボス、逃げましょう。」


 急いでコイツに駆け寄り、逃げるように促す。

 なのにも関わらず、コイツはどこまでも笑顔を絶やさない。


「ボス?」


 何が何だかわからない私に見せつけるように、コイツは、ボスは、顔をびりびりと音を立ててめくり始めた。


 仮面だ。


 変装していたんだ。


 サツが、闇の人間に。にやりと笑う。


「確保だ!」


 誰かの声を皮切りに、またたくさんのサツが降りかかってきた。


 なあ、もう護るものはなくなったってことでいいんだよな。なあ、おい。クソジジイ。


 そっちがやるきなら、私だってぎりぎりまでやってやる。


 上等だ。



 なんて、ケンカを買ってみたかったんだ。今日の私はいつもと違うんだよバーカ。


「!? おい、追いかけろっ。」


 追いつかれて、たまるか。私は逃げて、逃げて、逃げて、逃げる。全力疾走。


 今の私はな、死にたくないんだよ。大切な人がいるから。大切にしてくれる人がいるから。守ろうとしてくれる人がいるから。守りたい人がいるから。だから私は、私を守る。私がいなかったら、大切な人は、守りたい人は、私をいつか忘れてしまう。忘れられたくないから、生きたい。


 はは、こんなこと、思ってみたかったんだ。自分のことを大切にしているヤツはみんな、みんな、自分が可愛いって思ってるんだって思い込んでた。じゃあ今の私は、私から見ても可愛いんだね。笑わせてくれるなあ。


バンッッッ!!


 大きな音が立って、ドアが開く。


 サツだって、陽も、私も振り返る。その先には――。


「咲!」


「!!」


 なんで。


 なんであなたは、こんなにもかっこいいんだ。


 ねえ。


「心優。」

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