第6話 捕まった。

 咲と引き剥がされてすぐだった。一日と経たないうちにどこかも分からない部屋に拘束され、あれこれ話を聞かれた。俗に言う事情聴取。生まれてこの方初めてされた。そりゃあそうなるか。逆に言えば、この十三年という短い人生の中でされたことの方がおかしい。それに加えて、闇烏と呼ばれ、日々警察が捜索している犯人と直接会い、一週間近く行動を共にしたのだ。そんな人間から情報の一つや二つ、欲しいに決まってるか。

「どこで生活していた?」「拠点は?」「どんな顔だった?」「闇烏の本名は?」「男か? それとも女か?」「なぜあの場所に二人でいた?」……。

 上げればきりがない。一から説明するにしても、サツキさんの場所も、咲の場所も、全部全部俺が壊すことになる。

 俺の心は揺れなかった。

 できるだけ、多くの嘘を吐いた。最初に路地裏で会ったことも隠した。よく分からない建物に迷い込んで、その建物の中で闇烏の後ろ姿が見えたから、まさかと思った。逃げようにもここがどこかわからなく、とりあえず引き返そうと思ったら、闇烏にバレて、捕まった。昨日あの場所にいたのは、俺が使えそうだからっていう理由で連れてこられたから。

 よく分からない建物はサツキさんのカフェ。実際、咲の後ろをついていくのに精一杯だったから、サツキさんのカフェもどこにあるのか、いまいちピンとしない。

 一通り話したあと、すぐに解放された。と思ったら、部屋の前で父さんが待っていた。仁王立ちしていて明らかに不機嫌そうなのに、嬉しそうなヤツ。父さんは捜索班の長だから、俺の事情聴取には参加せずに、他の仕事でもしてきたんだろう。

「お前。俺がどれだけ心配したか。わかっているのか。」

 俺の両肩を父さんは掴む。そして前後に揺すった。怒気を含んだ声で、父さんは言う。傍目から見ると、心配性のいいお父さんとその子供。

 ふざけるな。

「俺は心配したんだ。塾の帰りが遅かったから、探しに出たんだ。まさかとは思ったが、本当にあの殺人犯に誘拐されたという現場を見たとき、驚いたんだ。」

 ふざけんな。

 手に力が入り、ズボンを握りしめる。

 咲には大切な、大切な名前があるんだ。たとえどんなに嫌いな親からの、最大の贈り物だとしても、咲は自分の名前を好んでいる。闇烏なんかじゃない。それだとテメェはクソ野郎だ。

 それにお前は、なんにも驚いていないだろ。心配もなにもしてないだろ。自分の行い一つ一つが明るみにでる可能性があることを信じて、世間に何も言われないためだけの、心ない言葉だろう。

 ざっけんな。


 俺の家は最悪で、ぐちゃぐちゃで、崩壊する寸前だった。

 父さんは警察官。母さんは専業主婦。兄も妹もいないこのごみ溜めで、俺は育った。友達の家よりはきれいに保たれている自信があったけど、うちはごみ溜めだ。クズしかいない家なんて、ごみが烏につつかれないようにするだけの、ごみネットでしかない。

 幼少期の俺は、元気で明るい母さんがずっと家にいることは嬉しかったし、誰もいない空間に放り込まれる怖さも知らなかった。愛に溢れた家庭で自分は大きくなったんだと。ずっと思い込んでいた。今思えば、母さんが働いていない理由は大方、俺を監視するためだろう。

 気付いたのは小三の冬。俺は、俺の意志なんか関係なく中学受験をさせられることを教えられた。時に厳しく、時に優しかった父さんは一変した。テストの点数から学校の友達まで、ミスって父さんが疑ったものは全て怒られる。

 後で知ったんだけど、子供の頃、父さんは中学受験に失敗したらしい。完璧主義者で、失敗を叱るあの男が。だから俺をこんなのに育て上げた。

 父さんが変わるにつれて、母さんも変わった。悪愚痴なんて漏らしたこともない母さんが。低学年のうちは何もなかったのに、父さんの帰りが遅い、風呂が冷めると言い出すようになった。受験間近になって、模試の点数が数点下がっただの、あの子は素行が悪いから付き合うなだの、事細かに口を出してきた。

 この時、俺は察した。俺はこいつらにとって、大切な子宝でもなんでもない、駒だったんだ。

 父さんは失敗を恐れていた。母さんは父さんを心から愛して、信じて、一切を疑わなかった。

 父さんと洗脳された母さんに、ほとんど何もない自室に軟禁され、勉強漬けの毎日を送った。起きて、勉強して、学校に行って、帰って、宿題をこなして、塾へ行って、帰って、勉強して、寝た。一分単位で組まれたスケジュール通りに過ごした。

 壊れそうだった。その一つ一つの言葉が、行動が、全て全てプレッシャーとして姿を変えて重圧となり、俺に重みをかけた。

 おかしくされて、おかしくされて、おかしくなって、壊れた。

 母さんが。

 俺が壊れかけている間に、母さんは人の気も知らずに壊れた。

 壊れたネジ巻人形みたいに動かなくなった。瞳から光が消えた。

 正直、まだ母さんのことは好きだったし、助けたいと思った。病院に連れていけば治るものだと、そう言い張って父さんに真っ向面言った。でも父さんは、あのクズ野郎は、

「放っておけ。」

 と。一言で片づけた。お前がかつて愛した人間を、人生をかけて守ろうと誓った人間を、一生を共にしようとした人間を、一瞬で見放したのだ。

 馬鹿なんだと、こいつの頭はいかれている思い知らされた。父さんは、もうどうしようもないくらい、手遅れな馬鹿だ。

 壊れた母さんは、知らない間にどこかへ消えた。部屋にいるものだと思っていたのに、家のどこにもいなくて、食べ物をどう用意したらいいかわからなくて、誰にネジを巻かれたのかわからなくて、全部全部、嫌になった。

 そんな状況下で受かるわけが無い。中学受験は失敗した。父さんは唖然として、それでいて怒っていた。

 父さんの視線から逃げるために、できるだけの嘘を吐いた。塾の帰りが遅くなったとか、適当な嘘をついて夜の街をぶらぶらと過ごしていた。

 それからすぐだった。咲と出会ったのは。

 受験が終わったのに塾へ行くことが面倒で、いっそこのままサボってやろうと思っていた。

 まだ少し早い時間、六時くらいかな。夏と秋の境目だからか、雨がぱらついているからか、薄暗くなっていた。なんでそんなことを思ったのかわかんないけど、知らない道に入ってみたいって思って、知らない場所に足を踏み入れた。

 ちらりと路地裏を見た時、赤くて黒いモノが見えたんだ。近くに小さな人が座っている。俺と同じくらいの、学生?

 驚いて、声を出してしまった。勝手に漏れた。

「なに、やってんの。」

 ぎくりとその子の肩が飛び跳ね、ゆっくりとこちらを見た。

 小柄な子で、体のラインは一本の線のようにしなやかだった。小さな顔の中で、大きな瞳が見開かれる。一度視線を絡ませれば、簡単には放せられなくなるような。不思議な人。

 かわいい子。

 そう認識するのに、そう時間はかからなかった。

 まって、この子の服、見たことある。テレビかどこかで……。今の流行っていうのは違うと思うし、趣味の服にしてもなんか地味。上から下まで真っ黒な服を着て、フードを今にもかぶりそうな女の子。こんな服、なにかの事件の犯人しか使わないな……あ。

 俺は器用に左肩と頭で傘を抑え、スマホをとりだした。そのままあることを検索した。

「べつにいいだろ……。ほっとけ。」

 ちらりとローディング中のスマホから視線を外して、女の子を見た。ぼーっと視点が定まらずに、よくわからない空中を眺めている。

「いいじゃん、教えてくれたって……。ねえ、これってさ、君でしょ。」

 そう言いながら俺はスマホを突き出した。

 真っ黒な服を見て思い出したのだ。

 この子は単なる女の子じゃない。闇烏だ。


 そこからは早かった。

 名前は咲だと教えてもらった。サツキさんのカフェで殺されそうになった。次の日の朝、秘密を聞いた。一緒に咲の仕事をした。そして今、捕まっている。

 正直なところ、早く咲のところへ行きたかった。今すぐに、咲に会って言いたいことがあるんだ。別れさせられたからこそ分かった、俺の大切な気持ち。父さんの考えなんか、警察がなにかしようが知ったこっちゃない。俺は俺の好きなように動くんだ。

 

 肩に父さんの手を振り払う。「んなっ」と目を見開き、驚いている。部下の人たちも。その場にいる人は、みんな、みんな、俺のことを父さんの駒だとしか思ってなかったんだ。

「俺は。」

 一呼吸空けて、俺は言った。

「俺は俺が好きなようにするんだ! 父さんたちに、お前らなんかに、好き勝手されてたまらねえよ!!」

 父さんは顔が真っ赤になった。

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