第5話 さようなら
ある路地裏の一角。私たちはそこに佇んでいた。
「ねぇ、ほんとにこれで大丈夫? 俺すっごい心配なんだけど。」
「大丈夫だって言ってる。心優さっきからうるさい。」
「だって。」
「だってもなにもない。」
「でも……。」
この男、まだ言うか。
何回言い聞かせてもあーだこーだ繰り返す心優に、私はこめかみにぴきんとさせる寸前。
でも、まあ、初めてだから心配だよね。
私はくるりと後ろを振り返る。ふるふると不安に震える心優の瞳を捕えた。
強ばった心優の頬をするりとなでる。ぴくりと表情筋を動かしたけど、あとは私にされるがままで何も言わなかった。
「だぁいじょぉぶ。一緒にいるから。」
すりすりと頬をなでて、落ち着かせる。
心優はビー玉みたいに綺麗な目をめいいっぱい見開いらいて私を見つめる。
おばけを怖がって眠れない、小さな子供に言い聞かせるように。
とげとげしい言葉を使わないように。
不安にならないように。
……隣から、いなくならないように。
少しずつ、少しずつ、言葉をかけていく。初めは力を入れていた心優は魔法をかけられたように、肩の力が徐々に抜けていった。
「そっ、か、うん。そうだよね。平気へーき。」
口調は今までと同じような感じはするけど、どこか自分をいいきかせている気がする。暗闇で足元がよく見えてないときみたいに、心優にだってふらふらとすることがあるんだ。
もう一度頬をなでた。
雪みたいに真っ白ですべすべした肌に、自分の手はこんなにも冷たかったんだと感じさせられる。
「大丈夫。」
口から声として出てきていないけど、私の耳にはそう聞こえた。口も動いていなかったのに、どこから聞こえてきたのかは私にだって分からない。
「……行こう。」
真っ黒なフードを深くかぶった心優が、すくりと立ち上がる。頬と離れた右手にはあの温かさがなくなって、なんだか名残惜しい。
いつもの仮面をつけて、私も一足遅れて立ち上がる。
隣にならんで、まっすぐ前を向いて、口を開いた。
「うん。」
路地裏の影から出る。
すぐ近くに潜んでいるとバレる可能性があるから、歩いて数分の場所にひっそりと隠れていたのだ。
ビルの入口に立つ。下からみあげると、どんなに低いものでも高く感じる。
隣を見ると心優が一呼吸おいてから言った。
「俺は大丈夫だから、行っていいよ。後ろ、ついてくから。」
「前、行きなよ。」
「え、でも。」
「心優、前。」
殺気立った私の態度に、心優は渋々といった様子で前へ一歩一歩、足音を立てないようにゆっくりと進む。
抜き足差し足忍び足。
その言葉が一番あうかもしれないけど、そんな生ぬるいものじゃない。音を立てれば最悪、待ってるのは死。たったそれだけ。
そんな厳しい世界に、生半可な気持ちで飛び込んできた心優は間違っていたと思う。
まだ生きていてほしいのに。
頭をぶんぶんを振って、そんな考えをは自分の中から弾きだしたい欲に駆られる。でも首を突っ込んだからには、中途半端なところで帰ることなんて許されない。かえっていいとしても、許されるのは土だけ。なんなら、それすらも叶わない人だって少なからずいるはず。
変なこと考えんな。仕事のことだけを考えろ。バカ。
私は心優の耳に顔を近づけ、手に丸いものと黒いカバーに覆われたものを握らせる。
「これ、護身用に持っといて。催眠ガス爆弾と短剣。短剣は結構するどいから気を付けて。爆弾投げるから、その空気吸うな。口に布でも押し付けとけば大丈夫だから。」
手短にそれだけ説明すると、「うん。」と弱弱しい声が聞える。フードを深くかぶっているせいで心優の顔が見えない。よかった。
位置を交代して私が前。さっきよりも足音に注意して進む。
ドアに体を押し付けて、死角に隠れる。多分、ここに何人か警備のヤツがいると思う。爆弾が入るくらいの隙間を開けて、すっと中に投げ込んだ。
しゅるるるるうぅ。
中からわあわあと声が聞える。へえ、これで驚くんだ。よわ。
毒を吐いてるとドサドサと倒れこむ音がした。
いつもなら奥へ行くドアを開けてから、後ろにいる警備のヤツに向かって爆弾を投げる。この仕事は速さが重要。初めての時でさえ終わるのに十分もかからなかったのに、体感だけど今の時点で五分弱。こんなにゆっくりしているのは初めてだ。
ドアの隙間から中をのぞく。全員倒れているな。確認をしてから上へ行くドアに突っ走る。後ろから心優も後を追ってきている。階段で一階から四階まで一気に駆け上がる。
後ろからはあはあと荒い呼吸が聞こえる。でも仕事だと腹を括って、目的の部屋に向かって全速力で走る。
サツキさんのところで見た地図通り、一番怪しい奥のドアノブを回す。どれだけバカな部下を持っていても、やっぱり鍵がかかっていて、道具を使ってガチャガチャと素早くこじ開ける。
中に入るとパソコンがずらりと並んだ部屋だった。窓もない。このドア以外に逃げる道もない。隠れるような場所もない。誰もいない。
「心優。私はこっちのほうを探すから、奥のほうをお願い。誰もこの部屋にはいないはず。でも急いで。」
「わかった。」
手分けして目的の書類を探す。
二分も経たないうちに、書類は見つけた。
「これ書いたやつ、ばっかだなぁ。表にどうどうと秘密って書くなよ。」
「そうだね。」
書類を小さく折って、ウェストポーチにしまい込む。
そこからは早かった。
やり方を覚えてしまったのか、心優が先頭なのにさっきと比にならないくらい早かった。弱いヤツらが伸びているのを確認して、外に出る。
息苦しかったのか、ため息を吐きながら心優はフードを取った。
その瞳に、入る前の迷いなんてない。
「これで大丈夫そうだよね。」
「まあ、下で伸びてるヤツが起きるまでは、ね。」
どこかに隠れながらサツキさんのところに戻ろう。そう提案するために口を開いた。
その時だった。
「おい、心優。」
聞きたくない声が空気を震わせ、鼓膜に届く。隣からヒュっと喉を閉めたような音がした。
隣を見ると、心優の肩がびくりと揺れて、ゆっくりと後ろを振り返った。え、何、どうしたの。そうやって言おうとした。けど、言葉が出てこない。言葉を発しようとして開いた口が、開いて塞がらない。
「お、とうさん……。」
は。
うそ、だ。
頭の中が真っ白になって、もうこれ以上開かないんじゃないかって言うくらい目が開いた。目の前が壊れた白黒テレビみたいに、全ての動きが遅くなった。
なんで、なんでなんでなんでサツがここにいんだよ。なんで。
「通報を受けた。上から下まで真っ黒な人がいる。片方は仮面をつけていて、もう片方は深くフードをかぶっている、ってね。」
低く、鋭く言葉を発したコイツは、心優の父親だろう人物。いや、正しいんだ。
そいつはすっと手を私に向かって真っ直ぐ伸ばし、人差し指で私を指した。
「お前が今世間を混乱させている闇烏だな。心優をこちらに返してもらう。」
さっきよりもずっと低い声で言って、目の前にいるサツは手を下ろす。周りにいる部下だろうか、ソイツらも警戒態勢にはいった。
ずっと、いや、ずっとじゃないけど、でも一日。一日だけ、一緒にいたのは。それって、アンタらにとったら、ほんとにたった少しの時間でしょ。そのくらい許してくれたっていいじゃん。
胸のところがぐるぐるして、裏切られたんだって思うと悲しくて、でも私のところに残ってくれるかもしれないってちょっと期待しちゃったりして。
……でも、こうなることはわかってたんだ。
私は世間で言う悪で、心優は未来の正義。悪と正義はいつだって敵対してるんだ。
こんな真珠みたいに真っ白な存在で未来が希望で満ち溢れている心優を、私みたいな血にまみれた存在にしてはいけない。それこそ人を殺している。
ここにいる、と自己主張の激しかった心臓は落ち着いてきて、周りにも色が戻り出している。
「もう一度言う。心優をこちらに引き渡してもらおうか。」
シンと静まり返った冷たい空間に、サツの声が響く。
私は繋いでいた手の力をふっと弱めた。顔を伏せた。
「……咲?」
心優は配慮のできる人間だから、私の名前がバレないように小さく呼んでくれた。
あぁ。
その声が、その表情が、その人柄が、心優の全部が、この汚い手から離せられないくらい。
好きみたい。
今気づいたの、ごめんね。
ちょっとした心優の行動にドキリとする自分の気持ちを知らないフリしてた。だってそれは今の自分に必要ないと思っていたから。こんなに汚くなったら心優にも迷惑かかるし。
だから。
「ねぇ、どうしたの。」
この手から。
「さぁ、早く。」
この鳥かごから。
「早く!」
「ねえ!」
——フッ
「え……。」
するりと心優とつないでいた手をするりとほどいた。
ひゅー、と指の隙間に風が通る。あれ、今って、こんなに寒かったんだ。
心優の父は満足そうに微笑んで、「心優、早くこちらへ。」と手を差し出した。
他のサツは「犯人を捕らえろ!」「大人しくしろ!悪魔が!!」と言いながらこちらへ走ってくる。
「なんで、さ、っ、まって!」
『いかないで。』
心優の口がそう動いたのを私は見逃さなかった。
「っ……!」
『ごめんね。』
そう口を動かして、私はサツの攻撃をかわして闇に体を投げた。
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