第4話 初仕事、いつもの仕事。
「ぅん。ぁれ、さき……?」
後ろからとろんと眠気のこもった声が聞えて、私の意識も浮上する。
身体中のいたるところの関節からぽきぽきと音を上げながら、膝から顔を上げて後ろを向いた。
「起きた?」
まだ寝てると悪いから小声で。小さくつぶやくように声をかけると、心優がぱちぱちと数回瞬きを繰り返した。
「えぇぇっ!」
これでもかっていうくらい、かっと目を開いて、朝っぱらに出すような声量じゃない声で叫んだ。
うっさいわ。私の気遣い返せ。あと隣で叫ぶな、耳キンキンするわ。
「ん〜……耳痛……。」
それでも欲に逆らうことなんかできっこなくて、いつもよりも言葉が丸くなる。欠伸を噛み殺しながら頑張って言葉を紡ぐと、
「あっ、ごめん。」
ぱっと口を手で塞いで申し訳なさそうな顔をする心優。まあ、許してやる。
「てか、ここどこ……?」
「んあ、ここ? お店の裏の、休憩するとこみたいな?」
サツキさんはあのあと心を入れ替えたかのように優しくなった。多分、心優の苗字が理由なんだろう。
それでもラベンダーピンクの瞳の奥に光る、鋭い光は心優を刺している。まだ認められないのだろう。だって心優は——
「あ、そう。え、咲さ、床で寝てたの?」
「え、あ、うん。逆になんか問題あった?」
「体痛くない……?」
私よりも上にいるのに、わざわざ視線を合わせようと顔を近づけてくる。そのとき、昨日は長い前髪と暗さのせいで見えなかった顔がよく見えた。
髪と同じ紺色。男子とは思えないほど大きな瞳。そして透き通るような白い肌。そのギャップに思わず見つめてしまう。昨日非難した顔だってそりゃあもう整っている。すっと通った鼻に、形のいい丸い唇。
ドキン。
心臓が、今までにない痛みかたをして、肩が飛び跳ねる。痛さで経験がないなんて、初めてだ。骨折も捻挫も、もちろんすり傷だって数えきれないくらいしてきてるのに、心臓病でも抱えたのか。そろそろ私は病院行き……!?
「大丈夫?」
心優が私の頬に手を当てる。
「顔、赤いけど。」
その瞬間、ぼっと火が出たかと思うくらい顔が熱くなった。
「あ、いや、や、きいしないで!」
うまく呂律が回らなかったのは、眠気のせいだ。そういうことにさせて。
なんだか恥ずかしくって、勢いよく頭を抱えた。心優は、え、頭痛いの? なんてきいてくる。うるさいわばか。私の気にもなってみろよ。
ゔ~、だの、あ~、だの、言葉にならない母音だけを喉から出す。
さらりと髪を触られた気がして、ぱっと顔を上げた。
「さらさらしてる~。きもちぃ~。」
俺さ、妹いたから髪縛れって毎日毎日せがまれてたんだよね。口を動かしながら心優は手を止めない。かといって、されている私も別に嫌なわけじゃないから拒む理由もない。
ああ、十二時間前に会った人間に何気ィ許してんだ。
そんなことを考える余裕は今の私にない。眠いのと、気持ちいのとごちゃごちゃと混ぜられて思考が思い通りに進まない。
ぐるぐる考えを巡らせていれば、ヴーっと通知を知らせるバイブ音が鼓膜を揺らす。驚いた心優の手が私から離れる。あーあ、気持ちよかったのになぁ。
いやいやスマホに手を伸ばして要件を確認する。これでふざけたメールだったらメールも電話もひっくるめて着拒してやる。
画面の上で指を躍らせる。送り主はサツキさんだった。
『おはよー!
今日は店が休みだから会議するわよ!
よくなったら呼んでちょうだいね!!』
やたらとビックリマークの多い文を見て、つくづく気遣いのできる人だと何度目かわからない思いを抱く。
「サツキさんが会議するって。」
こくりと首を縦に振る心優を見て、前に視線を戻す。
しんと静まり返った部屋。柄にもなく私は視線をうろうろと宙をさまよう。見飽きた部屋の中だ。気になるものなんてひとつもない。
「ねえ、咲。サツキさんて、もしかして、オネエだったりする?」
静寂を破ったのは、心優だった。しかし質問が質問だ。答えにくい。けども、これから二人の溝も埋まっていくだろうし、今言っておいてもなんともないだろう。なんなら、話していく中で空気を読まないといけない場面にも遭遇するかもしれないし。
「そう。女装もしようとしないし、女になりたがってるわけじゃないけど、言葉遣いだけなんかオネエっぽい。」
「やっぱり? 昨日もさ、そんな感じのしゃべり方だったんだけど、急にはっきりした物言いになってさ、びっくりしたんだよね。」
「ああ、酒飲んでたでしょ? 酒飲むとああなるから。相槌テキトーにうっとけば大丈夫。勝手に寝るから。」
酔っ払いには水と睡眠が一番、そういってドアを開ける。
もう呼んでもいいでしょ、と問いかけて返事が返ってからサツキさんを呼んだ。
この人も空気読める人なんだよなぁ。
なんでわかるんだか知らないけど、自分のオネエだという話題が上がりそうになると忽然と姿を消したりする。もちろん自分からその話は持ち出さないし、話題に上がってもさりげなく他の話題とすり替える。興味はあるけど踏み入ったらいけない、そんな領域なのだと私は勝手に思ってる。
長くのばされて後ろで小さく結われている、ラベンダーのようなピンクの髪。髪と同じ色の切れ長の瞳。しゅっとした顔。全男が憧れるような容姿をしたサツキさんがパソコンと紙、それからボールペンを片手に部屋に入ってくる。
会議が始まった。
といってもそんな重いものでもなく、ざっと仕事内容と次のターゲット、報酬の確認をして終わり。それだけ。
真剣な眼差しが飛び交う。サツキさんが真面目な顔になったのを見て、心優も意を決したようにサツキさんに視線を注いだ。
「次の仕事はねぇ、コレ。」
サツキさんは私だけに画面を見せる。さすがに昨日会った人間に、この裏の人間だけが使うようなページを見せるわけにはいかないってか。
「やることはここの人間の情報を片っ端から持って帰ること。今回は殺人しないわよ。気絶だけ。殺したらだめだからね。」
「そのくらいわかってるから。」
なにを今さら言うか。そんなこと、異常が日常になった私がわからないわけがない。
サツキさんから受け取ったパソコンの画面にざっと目を通す。こりずにまた画面を覗きにきた心優の頭に軽く小突くと、心優はサツキさんに捕まってしまった。いわゆるバックハグというもので。
「えっ、サツキさん!?」
声をあげて身をよじる心優に可哀想の念を送りながらも、依然パソコンとにらめっこをし続ける。
情報を的確に処理して脳にインプットさせる。
体感的には五分くらいパソコンと向き合っていると、ピンポーンと少し控えめなチャイム音が響く。
「はぁ~い。あ、花屋のお姉さん。ちょっと待っててくださいね。」
ピッと音がしたあと、インターホンに向かってしゃべりかける。ちょっと行ってくる、とサツキさんは表向きの声と張り付けたニセの笑顔で部屋を出ていった。
解放された心優はてちてちとこっちに歩んでくる。
すっとパソコンを心優の死角に持っていく。
あんなことをされても未だ、犬のようなきらきらとした視線をこっちに向ける心優に呆れて、しょうがないから小声で読み上げてやった。サツキさんが来たら、そのときはそのときだ。
「その会社の代表だけど、二十八歳、独身の男。二十歳で実家を出てるけど、人間関係で上手くいかなくて二十三歳でフリーター。半年は運送会社のバイトで生活。そのあと誘われたこの会社で働いてる。なんでかわかんないけど血もつながってない人間の後継者になってる。」
「ふーん。あ、長時間の運転は疲れるって父さん言ってた。」
「じゃあ忍耐力に長けたヤツなんじゃないの。」
喉が渇いた。朝起きてからなにも飲んでないことを思い出して、パソコンを閉じてから立ち上がって冷蔵庫に足を進める。誰かがくるような場所でもないから中には冷えたペットボトルのお茶しかなくて、仕方なくコップに二人分注いだ。
両手にコップをもって心優のとなりに戻ると、神妙な顔をした心優が私を見つめた。
見つめ返したら動けなくなりそうで、もう一度腰をあげる。また冷蔵庫のところに戻って適当なパンを二袋ひっつかんでまた戻った。
ほいとパンを渡す。ベリべリと袋を開けてパンを口に入れる。砂糖あま。おいし。
「でもそんな情報、どこでわかったの。」
「ほへは。(それは)」
「食べ終わってから言いなよ、行儀悪いよ。」
こくり、喉を上下に揺らして私は心優に向き直る。
「それは、依頼したら調べてくれる情報屋がいるから。」
「じょうほうや……? 何それ、俺知らないんだけど。」
「そりゃ、知ってたら逆にこっちが不利だわ。ふざけんな。」
さっきと同じように軽く小突く。
「んえ〜。」
「んーと、具体的に言うと、裏だろうと表だろうと、社会のことはだいたいなんでも知ってる輩のこと。いっつもこそこそ聞き耳立てて、体力とかもあるからなかなか撒くに撒けないんだよね。気づいたら近くにいるなんて日常茶飯事だし。ま、サツキさんもいるからなんとかね。」
「え、サツキさん、情報屋だったの?」
「そーそー。」
一息で説明して、ふっと息をつく。
あれ。今まで抑えていた疑問がぽっと頭に浮かぶ。
次元が違う心優に、今日初めて会った心優に、私は一体、どんな感情を抱いてる? 近くにいて安心する。俺は誰にも告げ口をしない、と期待させる。真面目そうな見た目をしてるくせに、たまにちょっかいをかけてくる可愛さ。なんなんだろう。私はここにいるニンゲンに何を期待してるんだ。
「ねぇ、咲。」
ゆっくりとこちらを向いた心優は真面目な顔で私の名前を口にした。
心優の独特な雰囲気が、私たちを包む。この空気、身体にまとわりつくように重くて、腕が、足が、身動きをとれなくなる感覚。私には向けてほしくないなぁ。
小さく聞こえていた話し声も、心優の声以外なにもかも耳に入ってこないし、動きがかくかくしている気がする。壊れたテレビを見ているように、私の五感はそれぞれの役割を上手く果たしてくれない。
背筋がぞわりとした。初めて人を手にかけた時よりも怖くなって、ごくりと喉を鳴らした。
こっちを向いたときよりも、何倍も遅い速さで口を開いた。
「なんで……なんで咲は、ソウイウコトをするのに躊躇しないの……?」
ああ。
いつか聞かれると思ってた。
ソウイウコトっていうのはきっと誰かを殺すっていうことだろう。
心優は名前からして優しいところもあるし、逆にそれが裏目に出て怖いところもあるんだろう。
もう言っていいかな。いいよね。だって殺人鬼と一緒にいたら、心優まで迷惑しちゃうもんね。今回の仕事内容も知っているのに、野放しにしたら怒られるかなぁ。殺されちゃうかなぁ。
……一緒にいられなくなるのは、残念な気がするなぁ。
はぁっと大きく息を吸って、はっと小さく吐いた。いいや。言っちゃえ。
「最初に殺った、のが。」
「うん。」
「その、親、だから。」
なんにも感じなくなっちゃった。そう言葉を紡ごうとしたら、
「そっか。」
その一言で私の言葉を退けた。心優は私がさっき渡したパンを一口、一口と次々に口へ運んだ。
ふっと切れた緊張の糸に、目の縁が熱くなった気がする。ぎゅっと目を瞑って、でてきたのがバレないくらいの量だけで少し安心。目にゴミが入ったように見せかけ、ちょっとでてきたのを拭って、私も口の中に甘いであろうパンをせっせと運び込んだ。
でてきそうになった言葉を飲み込むために一気に飲み込んだ。そのせいでむせる。
ぽんぽんと優しく背中をさすってくれた。引っ込んだ温かいものがまた出そうになる。
……こんなにまっすぐ受け止めてくれる人、初めて会ったかもしれない。
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