第2話 カフェの店長は情報屋さん

2,カフェの店長は情報屋さん

 スマホを片手に歩く。手慣れた指使いで、そのままあの人に連絡をする。

 目の前を見て、曲がり角を確認する。大丈夫そう、また壁に頭をぶつけることはないと思い、スマホに視線を落とした。すぐに返信を知らせるバイブ音がして、画面に視線を落せば指定場所と称されたリンクが貼ってある。建物の名前なんざいちいちのっていない。リンクをクリックすれば、見慣れた地図。それを見ながら進んでいく。もう慣れてしまった作業。……あ、ついでに調べることあったんだ。

 ぽちぽちとスマホを操作して、少し前を向いて、またスマホとにらめっこ。

 最初のうちは他人を信頼する余裕もなければ、相手もこっちのことを信じてみようという気もさらさら感じられなかった。でも二年という月日が経つにつれて、知らない間に信頼の「し」の字くらいはできていた……のかもしれない。そうだと思いたいけど。

「ねえねえ、次はどこに何しに行くの?」

 後ろをちょこまかとついてい来る心優。

 また肩越しに振り返ってみれば、その瞳は三日月型にキラキラと光っている。それは好奇心からなのか、それとも単に月の光で光っているのかわからない。

 やっぱりこいつの辞書には恐怖という言葉がのっていないのか。声色がわくわくしている。つくづくわからないやつ。

 スマホに目を向ける。なんだ、まだかかると思ったのに。あと数分じゃん。なんだか少し、足が軽くなった気がする。

「ねーねー、聞いてる? おーい。どこにい。」

「もう少しだから黙ってろ。」

 被せてそういうと、二人そろって口をつぐんだ。

ぽちゃ、ぽちゃ……ぽちゃ、ぽちゃ

 前を行く私に飽きもせずついてくる心優。距離だってそれなりに空いているはずなのに、なんだかほわほわして近くにいるような気がする。

 そのまま歩き続けて三分くらい。

「……ついた。」

 急に足を止めた私にぶつかりそうになったのか、私の背中に手をついた。わっ、と声を上げた後、その建物を見て声を上げた。

「え、ここ?」

 そう思うのも無理はないだろう。私だって最初は面食らったものだ。というか、驚かないほうがおかしい。だってそこは——。

「……嘘だ。俺に嘘ついてるでしょ。」

「いや、ほんとだし。」

 嘘だ、と何回も繰り返す心優に、ただでさえ遅かった私よりどんだけ処理速度が遅いんだよ馬鹿め、とつっこみたいような、ただただ全力で呆れるような。

 まあ、いっか。

 その考えが頭を占領していく。一言に一蹴された考えはみるみるうちに頭から離れていく。そうだそうだ、いらない考えは頭から落ちてけ。

——カランカラン

「はーい、あ、いらっしゃあい。」

 音を立てながら建物に入るとあの人の声がきこえる。

 ドアが閉まるころには、また心優の動きが固まっていた。そりゃあそうだ。

 驚くのも無理はない。だってここは——外から見たら、普通の人がやっている、普通の人のための、いたって普通のカフェだから。

「あ、あの……。」

 心優は振り絞るような声を出す。

 あの人は私の後ろにいた心優を見て、一瞬こめかみをぴきりと動かした。それでもやっぱり裏の人間。すぐに表情はビジネススマイルに戻った。

「お二人様ですね! カウンター席でよろしいでしょうか?」

「ええ、全然。お気になさらず。」

 そう。なんにも気にすんな。

 席に案内され、何事も無かったように平然と腰を下ろす。あの人は「ありがとうございます。」といいながら、すっとメニュー表を差し出してくる。受け取りながらさりげなく視線をかわす。そのとき、注意しないと見逃してしまうほど少し、あの人は深い青色の瞳に火を宿した。でも瞬く間にすっと消して、「失礼します。」とだけ言い残し、カウンターの奥に引っ込んだ。他の客の注文でも受けていたのか。

 私たち以外に客は一組しかいない。入るときの角度的に顔は見えなかったが、一テーブルだけが使われていたのはわかった。

 自分が置かれている状況にやっと脳が追いついてきたのか、心優は口を開く。

「ね、ねぇ、さ。」

「どれ頼む?」

 ここが本当にその指定場所か気になったんだろうと思って、心優の話を遮る。そんなこと、あとであの人から聞けばいい話。今はどうでもいい。

「あ……えっと、あ、じゃあジュース。」

「ん。」

 そう返事は聞いたものの、そうだ、客がいる間は口を開くなと釘を刺されていたんだった。危ない危ない。あとであの人が来たらな、ちょっと待ってて。

 店内は観葉植物やドライフラワーできれいに飾りつけされていて、あふれ出るインテリア感が止まらない。でもこれも、見慣れた風景。

 暇すぎて、テーブルに突っ伏す。あー、ひまひまひまひまひまひまひまひ……ん? まひ? 麻痺? 脳が麻痺するくらい暇。だめだ、笑えねぇ。

 目を閉じて周りの音に耳を傾ける。小さな笑い声。時計の秒針の音。カップと皿が優しくぶつかり合う音。あの人の足音。目の前でコツコツ音が止まる。トポトポとコップに何かを注ぐ音が二回。コトリ、とコップが置かれる音も二回。それを追うように、もう二回、なにかが置かれる音がする。

 片目だけ開けると、目の前にはおいしそうなスイートポテトとジュース。うわ、おいしいやつじゃん。よだれ垂れてないよね? ちょっと口元を触って濡れてないことを確認してから、上を見上げる。あの人の白く細い手が見える。細いように見えておっきいんだよなぁ、あの手は。あれ、何考えてんだ私。

 え、と心優が声をもらす。大方、まだ頼んでなかったのに、とかそう理由だろう。

「どうぞ、食べてください。」

 そんな言葉なんか右から左に流して顔を下に向ける。

 さっきの会話、聞いてたのか。さっすが職人。

 服が擦れる音がするから、しゃがんだのかな。ぱたんと扉を開けて、がさごそと近くの冷蔵庫から何かをだす音がする。さっきと同じ音が耳に届くと、あの人は急いで後ろの方向に向かったのか、速く足音が遠のく。すると

「すみません、今日はもう閉まっちゃうんです。」

「あら。もうそんな時間? ここは居心地がいいから、時間なんて忘れちゃうのよねー。」

「ええ。日当たりも良くて、いいところだと思うわ。」

「ありがとうございます。よろしければこちらもお持ちください。スイートポテトです。お口に合うかわかりませんが。」

 嬉しそうに上機嫌で立ち上がっていく女の人たち。あーあ……可哀そうに。こいつ最低だから、料金上乗せさせられるよ。さーいてー。

 一通りの会計を済ませたのか、カランカランとドアが開く音がする。後を追うように、ありがとうございました、とあの人の声が聞えて、OPENと書かれた札をCLOSEの面にしたのか、そんな音が聞えた。ドアが閉まると、今度はカタカタと何かがぶつかり合う音がする。ああ、これはあれだ。大通りに面している大窓のブラインドが閉まる音。

 そして、こっちに向かってくる足音。

 ゆっくり顔を上げて、体ごと振り返ると、あの人が立っている。多分、心優もこっちをみている。

 あの人の目元は長い前髪とその陰で見えない。一文字に結んだ口は、心なしかカタカタと震えている気がする。

「……さて。」

 右に目をやると、心優の喉ぼとけがこくりと上下に揺れた。顔は真剣で、これから起こることを知っている私は、逆に申し訳なくなる。

 まあ、これも、この人の確定演出だからな。いつも通りいつも通り。なんでもないなんでもない。

 それでも、これから起こる一連のくだりに目を背けたくなる私は絶対に変わってない。絶対に。

「咲ちゃぁーん!!」

 一気にデカい何かが走ってきた。と思ったら抱き着かれた。いつもされるけどきっしょ。慣れるわけないだろうが。

「ひさしぶりだわねぇ! 死んでなくてよかったぁ!!」

「はあ? サツキさん、きっしょ。くたばれ。」

「咲ちゃん、ひっどぉい! あたし、好きでやってるのにぃ!!」

「だからそれがうざいんだって。」

「じゃあ、許可を取ってからならしていいの?」

「それも違う。」

「ひどい!!」

「何もひどくないでーす。何なら、金を上乗せして払わせるほうがさーいてー。」

「サービス代よ、サービス代!」

「サービスは無料なんだよ、知らないの。」

「え、ちょっとまった咲!」

 心優の手で、意味のないぐだぐだした(一方的な)会話に終止符を打たれる。よくやった心優。ほめて遣わす。

 心優は未だに目を白黒させながら、私とサツキさんを見比べる。そりゃあ、言いたいことは山ほどあるだろう。

 あ、とサツキさんは心優を改めて見る。にっこりと、さっきまではあんなにかっこいい顔だったのに、今では気持ち悪い笑顔をしてみせる。

「挨拶してなかったわね。初めまして、ここの店長と情報屋のサツキでぇす♡」

 ……やっべぇ、吐き気してきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る