赤色ワールドエンド

希音命

第1話 路地裏の出会い

1,路地裏の出会い

 しとしとしとと雨が地面を濡らしていく。

 すっかり冷え切った肌に吸い付く服は、びしょびしょになって重い。上手く立てない。誰かに手を貸してほしい。

 なんて思うはずがない。いや、立とうとは思ってるけど。

 路地裏の壁に全体重をあずけて座り込んでいる私に、重いなんて概念は今、ないに等しい。左手に仮面を軽く握る。仮面の上に落ちた雫が音を立てて、ゆっくりと溜まる。

 左隣には血だらけになって倒れている男。なんかの事件の犯人で、今、警察に追われているらしい。自ら晒していくスタイルのバカめ。

 空を見上げるときらきらと目が痛くなるほど光っていて、ああ、まぶしいな、なんて思ったりして。

 すっと右を向くと、目の前がチカチカした。数十メートル先の景色だ、よく見えない。でも遠くからでも見えるものだって、少なからずある。光を消されたショーウインドーの中で眠る服。いちゃいちゃとお互いの腕を絡ませて歩くカップル。一個しかないね、なんて言いながら相合傘をして歩く夫婦。きゃあきゃあと水たまりで遊ぶ、黄色のかっぱを着た子供。後ろから追いかけてくる母親。それを優しく見守る星たち。

 目に入るものすべてが光っていて、自分だけ仲間外れになった気分だ。ゆっくりと、この世界から離れるのを惜しむように百八十度反対をむく。真っ黒な海に赤色がうかんでいて汚い。

 もしも。

 もしもこの手が綺麗で、あんなにも無邪気にいられたらな。

 ばしゃりと仮面の中にたまった水を自分の顔にかける。そのまま顔にあてて、ぼーっと反対側の壁を見た。

 一度道を踏み外してしまった私は、もうどうしようもないくらい真っ黒に染まっているんだ。

 大丈夫。あってる。これでいいの。自信持て、私。

「なに、やってんの。」

 明るい世界から声をかけられて、ぎくり、と肩が飛び跳ねた。

 さっきまで眺めていたほうを振り返ると、さっきまで眺めていた景色を背景に、だれか一人、傘を持った人が立っていた。

 あ? なんだよこいつ。

 ひょろりとした小さい体に、ほっそい腕と足。ちらりと見上げて顔を見ればちっさくて、世間じゃ整っている部類に入るような人間がいた。

 お前なんかに殴らても、なんにも怖かねぇんだよ。

「べつに、いいだろ……。ほっとけ。」

 どうでもいい喧嘩はかわないし、うらないと決めている。

 しかもこんな弱っちそうな中学生くらいの女なんて殴られましたーって言って親に泣きついて、はい警察沙汰ってなるのは目に見えている。

 それに私は独りで生きてくんだ。これからも。月夜の光に照らされる、一匹オオカミのように。

 もっと。もっと 、もっと強くならねぇと。

 それじゃないと頂点には立てない。

 「いいじゃん、別に……。ねぇ、これってさ、君でしょ。」

 そういって女が突き付けてきたのはスマホの画面。


『本日、午後十一時ごろ、○○県○○市に住んでいる女性から「隣人を最近見かけない。もしかしたら何かあったのかも。」と警察に電話が入りました。駆け付けた警察官が家の中に入ってみたところ、男性と女性、そして女の子が血だらけで倒れているところを発見されました。警察官が呼んだ救急隊員によって、その場で一人の死亡が確認されました。女性と女の子はいずれも軽症、亡くなっていた男性はこの家に住む、××さんだということです。××さんは詐欺事件で過去に何回も起訴、逮捕を繰り返していたそうです。最近このあたりで起こっている連続殺人犯、闇烏が犯人として、警察は捜査を続けています。次のニュースです……。』


 今やっている映像なのか、LIVEという文字が右上に出ている。

 ちっ。ここまで報道されたか。

「そうだといったらどうすんの? 通報するんなら……それなりのことはさせてもらうけど。」

 それなりって言ったけど、これで通じるといいな。

 そしたら、そんなに物騒なことをするつもりねぇし。

 重い腰を上げて立ち上がる。そのときにかつて人だったモノを踏みつけた。女はひるむことなくただひたすらにこっちを見つめる。

「う~ん、そうだなぁ。『それなりのこと』ってやつにもよるかなぁ。それって何?」

 は? なんでわかんないわけ? 逆に不思議になってくるわ。

 女は楽しいのか、さっきから笑顔を絶やさない。それが仮面だっていうことは、一目見ただけでも私が一番分かっている。

 ていうかこいつ、あの画面を見せえてくるっていうことは、私が連続殺人犯ってわかってて言ってんの?

 そんなの単なるバカじゃねぇか。

 お望みなら殺してあげるけど。

「こういうことだよ!」

 そういって私は女を押し倒して、馬乗りになった。腰に常備してるナイフを女の首元に忍ばせながら。

 命の危機を感じて、女ははぁはぁと息を荒げた。そしてごめんなさい、許して、を繰り返して泣き始めた。

 ……なんて、そんなのは私の妄想に過ぎなかったらしい。

 女は何一つ乱れることなく、これだけ? みたいな目でこっちを見てくる。

 は? なんでだよ。なんでナイフ突き付けられて、驚かないやつがいないわけないと思ってたのに。

 逆にこっちがぽかんとしていたら、女はふっと笑って、さっきとは別の気持ち悪い笑顔という名の仮面を顔に張り付けた。

「本当に殺しはしないんだ。やったらやったで面白かったんだけどなぁ。」

「は? お前、自分のこと、なんだと思ってんだよ。」

「ん? 可愛いとかさ、そんなこと思うの自己チューだけでしょ。もう、自分のことなんかどうにでもなっちゃえ~って感じ。」

「は? ぇ……。」

 なんで? 自分が一番大切なんじゃないの?

 自分が一番大切で、一番かわいいって、かっこいいって思ってるんじゃないの?

「なに? 困ってるみたいじゃん。もしかしたらさ……。」

 ふっと腹に力を入れて女は起き上がる。


 予想外のこと、言われちゃった?


 ゆっくりと私の顔に、自分の顔を近づけた。

 何かされる。今までの経験上そう思って、その面を思いっきり睨みつけた。なのに顔の横を通ったかと思えば、そう耳元でそっとささやかれた。

「ひっ。」

 あは、女の子だねー、と言ってくる女は馬乗りをやめて、そばにしゃがみこんで私の顔を覗き込んだ。

 さっきまで見えなかったモノが見えるはずなのに、それには一切目もくれず、私のことをじろじろと見てくる。

 というか、こいつ。

「女じゃない……?」

 そう考えだすと、確かに納得する部分はたくさんあった。

 さっき押し倒したときに握った腕は、細そうに見えて結構な力があった。つーことは、脚力も強い可能性は十分にありうる。それに、倒したときにさりげなく受け身をとってたな、こいつ。何か運動でもやってるのか? 柔道? 空手?

 それに顔だってよくよく見れば男っぽい。中性的な顔立ちだ。それでもなお、女にしか見えない私はなんなんだ。

「そーだけど?」

 何を今更、とでも言いたげな顔でこちらをむく、自称男(だって、女にしか見えないし)。

 数がわからないくらい殺してるっつったって、無闇矢鱈に手にかけているわけじゃない。殺すことによって、大金で売れるような情報を手に入れるときもあるし、所持金を奪って使うこともできる。

 言いたいことは数を重ねればわかることは多い、だ。

 女か男か、そいつの動きを見ればわかるくらいには成長してるはずだったんだけど、全然じゃん。ざっけんな、私のクズ。

「ねえ、名前は?」

 は?

 本当に何言ってんの。頭のネジ全部ぶっとんでんじゃねーだろうな。

 思いが珍しく顔に出ていたのだろうか。男は笑いをこらえるようにしてこっちを向いた。

「心優。あ、これ俺の名前ね。って、そんな嫌そーな顔しないでよ。あー、俺傷ついたー。」

 えーん、とわかりやすくて反応に困るような泣きまねもかましてくるものだから、余計にはてなが浮かぶ。

 だって普通、殺人鬼に名前聞くか? いや、聞かねーだろ。なんならあったばっかの人間に名前聞くか? いやいやいや、聞くわけない。なに、ほんとに脳みそぶっとんでんの。

 自分でもわかるくらいの百面相していたら、にやりと不気味なほど口角をあげて、周りの空気が張り詰める。息がしにくくなった気がして、苦しくなる。さっきまでのふざけた様子はいったいどこに捨ててきたのだろう。そんなことをのんびりと考えてしまう自分が馬鹿らしい。

 かと思えば、ふっと空気が緩まる。なに、何こいつ。本当に何がしたいのかよくわからない。

「さっき、失礼なこと考えたでしょ。」

 どやり、そんな効果音がつきそうな純粋な笑顔を向けられて、さっきとのギャップにうろたえる。

 ……だめだ。こんなやつに持っていかれるな。平常心。平常心を保て、私。

「うっせぇ。」

 なんだかもう疲れた体を頑張って持ち上げる。

「それで? 名前は?」

 繰り返しきいてくる心優にイライラして、口を開く。

「……咲。」

 ぼそりと言ったから聞こえてないかもしれない。

 なんで私がこんなことしなくちゃいけないんだ。かったるい。

 肩越しに後ろを振り返ると、心優はあたたかい視線をこちらに投げかけていた。

「わかった。咲ね。咲。」

 なんだろう。一瞬だけ、こいつの瞳に知りたいっていう欲望と、もう一つ、他の欲望が見えたような……。もっと知りたい好奇心にフタをする。

 あれ、こいつ、放っておいていいんだっけ。そうだ、情報だ。情報を流すな。

「ああ。」

 思い出した。私はくるりと後ろを振り向く。

 さっきと違う無表情でこちらを見つめる心優。

 その瞳には、恐怖も好奇心も一切映っていない。私が立ち上がったことで真っ赤なコレは見えづらくなった。こんな普通な家で育ってきたお子様なんか見たこともない光景を見ても、何一つひるまないことが気に食わない。さっきはどうでもよかったことが、だんだん風船のように膨らんで、自分でも初めてだしたのがわかるほど低い音でチッと舌打ちをした。

「コレみたいになりたくなかったら、ついてくれば。」

「いくよ。」

 間髪入れずに心優は答える。

「だって、どうせ見られてるんだからさ。僕に拒否権はないでしょ?」

 ふふっと笑ってこちらに歩いてくる。

 前を向き、目についた空き缶を蹴っ飛ばす。それがあたったのか、なんなのか知らないけど、にゃあ、と鳴き声がひとつ聞こえた。なんだか無性にムシャクシャして、もう一度、私の舌打ちがなる。それを追うようにして、靴の音も夜の路地裏に響いた。

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