石井登場

 

 多宝寺は歴史のある寺院である。元々は商売繁盛や学業成就などを叶えてくれる勝運のご利益があるとされていたが、近年では様々な動物の形をした木彫りが御守りとして購入できるようになり、願い事が叶ったらその木彫りは参拝客によって境内のあちらこちらに奉納される。数多の木彫りが並ぶ多宝寺の風景は、人々の願いを叶えてくれる象徴として有名であった。

 多宝寺は山間部にあり、交通機関を利用すると本数の少ないバスを何度か乗り換えなければならず、参拝客の多くは観光ツアーのバスか自家用車で訪れていた。


 紗椰の父は車を所有していない彰と紗椰を乗せて、車で二人を多宝寺まで連れて行ってくれた。紗椰の母も同乗し、一行はおよそ一時間ほどのドライブを経て多宝寺に到着した。


「懐かしいなぁ。なんか、木彫りの種類がすごく増えてんなぁ」


「お父さん、ここに来たことがあるの?」


 紗椰は境内の入口付近に点在する木彫り達を見渡しながら訊いた。


「うん、お母さんと一緒にな。あのときは、確か龍の木彫りを買ったんや。健康祈願でな」


「お父さん、あれは龍じゃなくて蛇やったやんか。長寿の御守り。間違えて買うたやろ。健康祈願にもなるからええけどね」


紗椰の母が呆れたように笑いながら言った。


「あぁ、そうやったな。今度は間違えんようにせんと⋯」


 そんな会話を微笑ましく聞いていた彰は、自分はどの木彫りを買おうかと考えていた。

 今、神様に願うべきことは何か⋯。


「あれー! 紗椰! 久し振りー!」


 大きな声がした。皆で振り返ると、そこにはスラリと背の高い女性が立っていた。


「あ、石井!」


 紗椰が声を弾ませた。石井は紗椰の中学時代の同級生だった。石井の方は紗椰と呼ぶが、紗椰は名字で石井と呼ぶ。仲間内でふざけて石井だけ名字で呼んで遊んでいるうちに、いつの間にかそれが定着してしまったらしい。

 石井とは紗椰と一緒に二回ほど会ったことがあり、彰も彼女を石井と呼ぶようになった。


「おぉ、石井やないか」


紗椰の父まで石井と呼び、彰は思わず噴き出した。


「あんたら、私の名前覚えてへんやろ」


全員が首を縦に振り、笑った。

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