第14話 怪我の功名

 それは全くもって不幸な出来事だった。体育の授業中、華の女子高生達がフットサルをしていた時のことである。


 サッカー部レギュラー、定期テストの成績は常に中の上、寡黙で真面目、人中の豹、長い手足に引き締まった身体、怠惰を許さぬ者、好きな食べ物はデーツ、全ての同性が一度は憧れる、サラ・ベルナールのような美しい中性的な面貌を持った飛鳥は、あろうことか試合中にボールの直撃をその見事なシルエットの頭に受け、倒れた。


 隅で白熱の試合を観戦していた幸乃、萌、レーカの3人は誰よりも早く駆け寄り、親友に声を掛けた。


「大丈夫か、飛鳥」


 飛鳥はぼんやりと、こちらを覗き込む顔を眺めた。健康的な小麦色の顔をした萌の顔が3つになり、1つになったと思うと、また3人になった。


「大丈夫か、飛鳥」

「萌が、3人いる」


「あかんやん!」


 幸乃は急いで先生の許に行き、何事かを話すと、走って戻ってきた。


「保健室に行こう。先生には言ってきた」

「良いよ、大した事ないから」


「いや、行こう。あたしが連れて行くから」

「ホントに大丈夫だから」


「うるさい。行くと言ったら行くんだ」


    ◇

 

 保健の先生は萌を念の為にベッドに寝かせると、所用の為に保健室を後にした。怪我人はキチンと自分が看病すると、幸乃が先生に約束からである。


 だが悪魔のようなこの娘は、先生が扉を閉めた瞬間に部屋の中を徘徊し始めた。


 おそらく、猫の霊が少女にのり憑ったのかもしれない。幸乃はうろうろと部屋の中を歩き回り、棚の中の器具や、身体測定用の道具、はたまた机に乗っている書類を見つけては、神妙そうにそれを眺めていた。


 「ふん」と幸乃は興奮の鼻息を吐いた。


 何かに手を触れ、良からぬ事を起こす瞬間が刻々と迫っている。最早この世に、この猫のような女子高生を止める者はいないのであろうか。


「やめなよ。保健室が壊れる」


 布団の中から飛鳥が言った。幸乃は親友の方を振り返ると、それまでの奇行を止めて、そそくさとベッド近くの椅子に座った。


「良くなったね」

「最初から別に悪くないんだよ。大袈裟」


「大袈裟じゃない。サッカーとかフットサルは危険なスポーツだよ。飛鳥だって分かってるくせに」

「どんなスポーツだって危ないでしょ」


「いや、サッカーとかフットサルは特に危険だよ。凄く危険。スポーツの中で、二番目ぐらいには危険。死ぬ可能性だってある」

「二番目? じゃあ一番目は?」


「決まってる、一番は馬上槍試合だよ」


 萌なら「それのどこがスポーツやねん」と突っ込んだかもしれない。レーカなら「日本って今だに封建制なノ?」辺りか。


 でも飛鳥はそういう事は言わなかった。ただ笑うだけである。飛鳥には、それだけで楽しかった。


 ふと、2人の間に沈黙が流れた。


 ほんの僅かの瞬間だったのに、窓の外では風が吹き、ツバメのつがいが低空を飛び、廊下からは何処かの教室の扉が開く音、そしてその中にいる生徒達の喧騒が聞こえてきた。


 それは何故か、飛鳥に微かな寂寞感を与えた。明確な説明は出来ない。だが時として、人にはそういう瞬間があるものなのだ。


「ねえ、幸乃。私が死んだら、あんたは悲しい?」


 何故そんな事を聞いたのか、これも上手くは説明出来なかった。これは結局、飛鳥も所詮は移り気なただの人間であることの証左かもしれなかった。


 だが飛鳥が他人よりも少し幸運だったのは、そう尋ねるに値するだけの人間が傍にいた点である。


「飛鳥、死にたいの?」


 その返答では、相手が真面目なのか、それとも茶化しているのか、見当が付かなかった。だから飛鳥は、黙って続きを待つことにした。


「どうしても飛鳥が死にたいなら、止めないよ。それで飛鳥が救われるんなら。でも、飛鳥が死んだらあたしも死ぬよ」

「止めてくれる訳じゃないのか」


「止めたいけど、止めないよ。だって生き死にはその人の自由だから。飛鳥が死にたいなら、それは止めない。でもそこからはあたしの自由。あんたのいない人生なんて意味が無いから、あたしも死ぬ」


 飛鳥は驚いた。小石を投げたら、大岩が返ってきたような気分であった。質問にはちゃんと答えられていないし、また答えられたとして、自分にとってどれが正解かも分からなかった。


 だが、幸乃の返答は、飛鳥にとって決して悪くないもののように思われた。


「あんたのいない人生なんて意味が無いから〜 あたしも死ぬ〜」

「いきなりどうしたの?」


「飛鳥が地上の王国に留まってくれるように歌ってるんだよ。この世が楽し過ぎたら死ぬ暇もないでしょ?」


 幸乃は立ち上がると、今度は歌に身振りを付けた。


 それは人を感動させる程のものではなかったが、笑わせるのには十分だった。飛鳥は最初、口を開いて呆けていたが、次第に不思議な状況を楽しむようになった。


 華麗な一人オペラが大団円を迎えるまさにその時、保健室の扉が開いた。萌とレーカが目にしたのは、キメ顔でポーズを取る幸乃と、それに拍手を送る元気そうな飛鳥の姿だった。


「何してんねん」


 萌が呆れたように言うと、幸乃は何事も無かったかのように立ち上がった。


「飛鳥を元気づける為に踊ってたんだよ」

「ふうん。それで、飛鳥は元気になったん?」


「なったよ」飛鳥はそう言うと、ベッドを出た。


 幸乃のヘンテコな踊りか、或いは歯の浮くような名台詞か、はたまたその両方のお陰で、飛鳥はボールに倒れる前よりも元気そうにみえた。


「4人揃ったし、今度は皆で踊ろうか。今度はちゃんと配役を決めて」

「良いわヨ。でもちゃんと、保健室の先生に許可はとったノ?」


「そんな許可出すわけないやろ」

 

 飛鳥は笑った。とても幸せだった。だが幸乃の野望は叶わなかった。


 用事から帰ってきた保健室の先生に「早く教室に帰らないと、制服に着替える時間が無くなるわよ。皆が見てる中で服を脱ぐの?」と言われてしまっては、流石の幸乃も退散する他無かったからである。


 

 









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