第6話 灰暗色の眼(下)
レーカは結局、翌日も学校を休んだ。だがその次の日、ようやく体調と気持ちが落ち着いたので、午後から登校することにした。
とても緊張していたが、それはいつもの下腹部に痛みが走るような緊張ではなく、足が宙に浮かぶような緊張だった。
それは遠い昔、自分が初めてこの国にやってきた時の気持ちに何処か似ていた。
5限目の授業が始める少し前、おそるおそる教室に入った時、幸乃と眼があった。幸乃はレーカの姿を認めると、心底安心したように息を吐いた。
レーカは漠然と、何か悪いことが起こるのではないかと警戒していたが、何事もなく授業は進み、何事もなく帰りのHRになった。担任の吉野先生も、レーカを見てもただ幸乃と同じように胸を撫で下ろすだけだった。
放課後、帰ろうとするレーカの事を、3人の少女が囲んだ。
1人は自分よりも背が高くて、髪は短く、1人は健康な小麦色の肌をして、長い髪を後ろで1つにしていて、1人は小柄で、髪型はボブだった。
小麦色の1人が言った。
「姉ちゃん可愛いなあ。ウチらと一緒に帰らへん?」
4人は一緒に駅まで歩いた。道が狭いので、前に幸乃とレーカが並び、後ろに萌と飛鳥が並んだ。レーカはまだ警戒を続けていたが、そこに悪口も暴力もないことが分かって、ようやく安心することができた。
「悪かったワ。あなたには色々と謝りたいことがあるノ」
「別に気にせえへんでもええよ」
幸乃の代わりに、後ろから声がした。レーカが振り向くと、綺麗な歯をニッと見せながら、萌が笑った。
「ウチが萌で、こっちが飛鳥。よろしくな」
萌がそう言うと、隣の飛鳥も「よろしく」と挨拶をした。
「よろしク」とレーカが言って、3人の記念すべき初会話が済んだ。幸乃とレーカのものより、遥かに素晴らしい初会話と言えた。
「これでレーカはあたしたちの仲間やな。3人の美少女と根暗で構成される」
「根暗? 根暗って誰」
「根暗はあたしのこと」
「そうなノ? でも幸乃は綺麗ヨ」
「お世辞が上手い。完全に日本人だね」
「お世辞なんかじゃないワ。わたし言ったでしョ、嘘はつかないっテ。あなたはとっても綺麗。人形の国のお姫様みたイ」
親以外にろくに褒められた試しのない幸乃は、これに参ってしまった。どう反応していいか分からず、ただ「ふふん」と鼻を鳴らした。
後ろの2人組は、幸乃以上に参っていた。萌と飛鳥は、自分たちが言わなければならないことを、新入りの外国人に言われてしまったことにショックを受け、互いに思わず顔を見合わせた。
(やばいヤツだ)3人はそれぞれ、心の中で呟いた。
だが3人は常に人生を楽しくする術を探していたので、これはこれで良いのだと思うことも出来た。
「あたしが美人かそうでないかは置いておいて、でもあたし以外の3人はみんな外国の血が入っているんだよ。それが羨ましい」
「私は日本人だけど」飛鳥が笑いながら言うと、すかさず幸乃も笑いながら返した。
「あんたは北海道生まれでしょ。北海道は外国だよ。海も挟んでるし、ご飯も美味しいし、馬もいるし、涼しいし」
「萌は日本人じゃないノ?」
「ウチはハーフ。父親が日本で、母親がミャンマー。でも生まれも育ちも日本だし、ミャンマーなんて5、6回しか行ったことない。なあ幸乃、お前は外国の何が羨ましいねん」
「わかんない。けど色んな血が混じり合って、一緒に暮らすのってすんごい愉快じゃない? 考えるだけでワクワクする。
あたしも色んな血が欲しかった。ジンバブエとかトリニダード・トバゴとか。もしかしたらどっかで混じってるかもしれないけど」
「名前だけやん、おもろいの」
4人は笑った。
レーカは自分が今こうして笑っていることが不思議でならなかった。何が面白いのか説明することはできなかったが、とても愉快だった。
道が広くなったので、4人は横に広がって歩いた。広がった瞬間、レーカは気分がとても軽くなったような気がした。友達と並んで歩くというのはレーカにとって新鮮で、何かとても素晴らしいことのように思えた。
それは他の3人が自分と同じ時、同じ場所を生きているという証であり、それは誰か1人でも、前や後ろを歩いていては得られない感情だっただろう。
(なんて素晴らしいんだろう)ふとレーカはそう思った。
太陽は輝いていて、空は青く、まだ蝉も鳴いていた。レーカは久し振りに、五感で世界を感じたような気がした。それはおそらく、側に3人の友達がいるせいだった。
きっとここがブダペストでも、バンコクでも、キンシャサでも、ニューヨークでも、カルカッタでも、モンテビデオでも、傍にこの3人がいれば、今と同じように感じるに違いなかった。
レーカはようやく、素晴らしい人生を送るためのヒントを得ることができた。けれど、これはほんの始まりに過ぎなかったのだ。
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