第3話 最高に晴れた日曜日

 日曜日、幸乃と萌は2人の共通の親友である飛鳥のサッカーの試合を観に来ていた。2人はこの親友の試合を観るのが初めてだった。


 それは飛鳥の性格によるもので、シャイな彼女は頑なに自分の試合を観られるのを嫌がったからだった。


 けれども進級して、飛鳥が2年生としては 異例のキャプテンになると(本人は驚いていたが、幸乃と萌はそれが飛鳥の才能と努力に対する正当な結果だと思っていた)とうとう観念して、2人が試合を観に来ることを承諾したのだった。


 「良いなあ」小ぶりなスタジアムを見渡しながら萌が言った。


 幸乃も同意見だった。グラウンドは青々として観ていて気持ちが良かったし、段々になった観客席からの見晴らしも良かった。


 スタジアムの向こう側には小高い丘と森が迫っていて、そこから鹿や狸、猪が飛び出してきそうな雰囲気があった。


 幸乃はこの小ぶりなスタジアムがとても気に入ってしまった。それは如何にも自分たちが暮らしている、中途半端な田舎を体現した素晴らしい建造物だったからだ。


「飛鳥はどっち?」

「青い方」


 ピッチでは青と赤のユニフォームを着た選手たちが準備運動をしていた。萌が青い集団の方に目をやると、背の高い飛鳥が直ぐに見つかった。


「ほんまに飛鳥はでかいよなあ」

「でかいね。今この瞬間、ピッチに立っている女のサッカー選手の中で世界一かもしれない」


「ポジション、どこやっけ。攻撃? 守備するやつ?」

「ボランチ」


「ボ、ボランチ? なにそれ、なにするやつなん、それ」


「ボランチは守備するやつかな。相手のパスをカットしたり、ぶつかってボールを奪ったりする。だけど攻撃の選手にいいパスを出したり、時には自分でシュートも決めたりする」


「じゃあ攻撃と守備の両方やん、すごいなあ。飛鳥が一番強いんちゃうん。それより、なんでお前はそんな詳しいん?」

「勉強した」


「他にもっと勉強せなあかんことあるやろ」

 

 ホイッスルが鳴って、試合が始まった。素晴らしいことに、飛鳥はスタメンだった。


 最初の5分は互いに様子見だったが、すぐに相手が攻撃に出た。相手は全員がよく走り、よく攻め、よく守る良いチームだったので、飛鳥のチームは苦戦を強いられた。


「倒された、カードはないんか?」

「今のは浅いから」


「はあ? なんで笛やねん!」

「オフサイドだから。攻撃の選手が、相手の守備のラインを越えてたんだよ」


「おかしい、なんでボールが外出たのに相手のキーパーから始まんねん!」

「相手の選手が触れてないと、コーナーキックにはならないんだよ」

 

 萌は思いっきり試合に熱中し、幸乃も鼓動が早くなっていた。


 今日の試合は、少なくとも今月に入って一番のエンターテイメントだった。結局前半はどちらも点が取れず、休憩になった。    


 後半に入って、飛鳥のチームはいきなり攻撃に出た。飛鳥が大きなパスを出し、それを受け取った選手が、また前線の選手に鋭いパスを出した。


 最後の選手はとても上手くシュートに繋げたのだが、相手のキーパーが見事なセービングをしたので、観客席は湧き上がった。


 しかしそれもつかの間、キーパーがボールを素早く味方選手に繋げると、今度は相手チームの攻撃が始まった。


 それは風のように早く、水の流れのように自然だった。全員が攻撃に上がっていた飛鳥のチームは対応が遅れて、あっというまにネットを揺らされた。芸術のようなカウンターだった。


「なんてこった、やられた!」萌は大げさに頭を抱えると、大げさに地団駄を踏んだ。


「これで負けじゃないよな?」

「まさか、やっと試合が始まったって感じ。まだまだこれから」


 けれども相手は点を決めると守備に入ったので、飛鳥のチームはもっと攻めにくくなってしまった。


「卑怯や、正々堂々戦え!」萌がスタンドから身を乗り出して野次を飛ばしても、戦局には何ら影響が無かった。


 そして再び、両者共に決め手に欠く時間がしばらく続いた。時間が迫る中、飛鳥のチームはなんとかコーナキックをもぎ取った。


「これがラストプレイ?」

「多分」


「頼む。ああ神様」


 幸乃はふと、萌が信じる神様について考えた。このミャンマー人の血が半分入った少女が信じる神様は、彼女のように2つの血が調和した美しい姿をしているのだろうか。


 もしそうで、この神様が飛鳥のチームを救ってくれるのなら、幸乃は明日からこの神様も信じなければならないだろうと思った。

 

 高く蹴り込まれたボールは相手の守備に弾かれた。「ああ」というため息が幸乃の隣から漏れたその時、集団から少し離れたところにいた飛鳥の足元にボールが転がった。


 幸乃は心の中で「うて、うて!」と叫んだ。


 それが聞こえたのか、飛鳥は強く足を振った。ボールはキーパーに向かってまっすぐ向かう途中、相手の守備の足に当たって軌道がずれ、そのままゴールに吸い込まれた。


 瞬間、観客席から2種類の悲鳴が起こった。1つは悲しみの、もう1つは喜びの悲鳴だった。幸運にも幸乃と萌は喜びの方だった。


「やった、入った?」

「入った、しかも飛鳥のゴールだ!」


「そんな、信じられへん! 嘘、ホンマに? すごい、なんてヤツや、凄すぎる!」

 

 2人の大親友は抱き合って、もう1人の親友が成したことを祝福した。


 それはただの引き分けではなく、飛鳥がこれまでの人生で成してきたこと全てに対する祝福であると言えた。2人の親友は、何よりもそのことに大喜びしたのだった。


「こういう時、ゴールを決めた選手の名前を叫んだり、讃える歌を歌ったりするらしい」

「先に言えや、ウチら歌なんて用意してないで」

 

 試合が終わり、ロッカールームに戻る途中で、飛鳥は観客席にいる親友たちの姿を認めた。2人は大声で何かを叫んでおり、飛鳥は一瞬恥ずかしくなったが、近くに行くことにした。


「ボランチ、チームの心臓、点取り屋、MVP、得点王、高身長!」

「大好き、愛してる、あたしの人生の半分をやるぞ!」

 

 飛鳥は何も言わず、ただ満面の笑みを浮かべることで2人に返事をした。


 そして舌を出すと、ウィンクをして去っていった。その大げさな素振りには全く違和感がなかった。それだけのことを飛鳥はやったのだ。


「とんでもないヤツやな、あいつは」


 帰りの電車の中、夕陽が床に落とした窓格子の影を踏みながら萌が言った。


「次の試合はいつや? 早く続きが観たいわ」

「再来週の日曜日かな。でも次も今日と同じ様なおもしろい展開になるとは限らないんじゃない?」


「そうかもな。でもホンマにそう思うか?」

「そりゃそうよ」


「もう一度聞くで、ホンマにそう思うか?」

「分かったよ。あんたの言う通り」


「それでええねん。そう思うことが大事やねん。再来週か、もちろんウチは行くけど、あんたも来るな?」


「もちろん」幸乃が笑いながら言うと、「それでええねん」と笑いながら萌も言った。最高に晴れた日曜日だった。

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