第2話 ダンス・ギャング
「めっちゃ遅れるってよ」スマホを覗き込みながら萌が言った。
ミャンマー人の血が半分入ったこの少女は首が長く、とても姿勢が良かったので、実際の身長よりも背が高く見えた。
幸乃は、地方の駅前に似つかない親友の姿に、現代のミューズを観た。
どんなに素晴らしい技量を持ち、歴史に名を残した芸術家達を持ってしても、萌のような美しさを表現することはできなかったに違いない。
何故なら萌は生きているからだ。理想の美は、現実の美には勝てないものだ。満足したように、幸乃は「ふん」と小さく鼻息を立てた。
「どうする? 急かすか」
「やめなって。味気ないよ」
「そういう問題じゃないやろ。映画に間に合わへんねんで。走らせなあかんやん」そう言って萌は「ふふん」と笑った。
1週間前、2人の親友は、もう1人の親友も誘い、今度の日曜日の午後に映画を観るという史上最強の計画を立てた。だが当日、肝心のもう1人は寝坊(もう昼なのに!)で遅刻していた。
萌はスマホを覗いては辺りをキョロキョロと見回し、またスマホを覗くということを繰り返している。
幸乃は黙って親友の挙動を観察していたが、それは余り美しい光景ではないように思えた。
その時、幸乃の頭の中で突然歌が流れ始めた。
それは最近幸乃がハマっているお気に入りの歌で、一瞬、僅かばかりの理性が働いたけれども、我慢できずそれは舌の上に乗ってしまった。
「ニードレスセセイ、アイキイピナチェック。シワザアバッバッネバラース。カリンイットクワイツナウ、ベビイアマレック。クラッシュマイプレイス、ベビイユアレック」
「きゅ、急にどうしたん?」驚いた萌がスマホから目を離してこちらを観凝視すると、幸乃はこれ幸いと、舌と一緒に身体も動かし始めた。
「わからない。けどどうせ待つんなら楽しみたいよな」
「やめろよ、恥ずかしい。人が観てるやん」
「恥ずかしい? 人が観てる? あたしは萌に観られても恥ずかしくないぞ」
「いや、ウチじゃなくて他の人がやな」
「あんたは今日も明日も一緒に生きるあたしと、今日すれ違うだけの連中と、どっちが大事なの?」
幸乃が身体でリズムを刻みながらそう言うと、萌はため息をついた。そして辺りをキョロキョロと見回すと、観念して一緒に身体を動かし始めた。
「ニードレスセセイ、アイキイピナチェック。シワザアバッバッネバラース。カリンイットクワイツナウ、ベビイアマレック。クラッシュマイプレイス、ベビイユアレック」
「その下手くそな歌、何の歌なん?」
「この前観たスパイダーマンの映画の主題歌。かっこよくない?」
「どうやろ、わからへん。もうどうにでもなれ」
耳を真っ赤にしながら踊る親友の姿は、幸乃をとても喜ばせた。萌の方も実は段々と楽しくなって来たのだが、プライドがそれを口に言わせなかった。
2分42秒の歌を幸乃が無理やり5分にも10分にも伸ばして歌っていると、ようやくもう1人の親友、飛鳥がやって来た。
飛鳥は萌よりも更に背が高かく、いつUFOに乗った芸能事務所のスカウトマンに連れされてもおかしくなかった。
「ごめん。ほんとにごめん」
来るなり飛鳥はそう言ったので、幸乃はすぐにこの親友を許したし、萌の方もすっかり飛鳥の遅刻のことを忘れていた。
「それで、2人は何してるの?」
「こいつがあんたを待ってる間、踊ろって言ったんよ」
呼吸を整えながら、萌は恨めしそうに幸乃の方を向いて言った。
「いや、そんなことはどうでも良いわ。まだ映画間に合うから、はよ行かんと」萌が映画館に行こうとすると、幸乃が止めた。
「ねえ、今日はこのまま踊らない?」
「何言うてんねん。ウチらは今日、映画を観るために集まったんやぞ?」
「その通りだね。でもあたしはこのまま踊っていたい。飛鳥も来たし」
「ウチは昨日、次の日に映画を観るつもりで夜寝たし、今日の朝もそのつもりで起きたんやで。1週間前からこの日を楽しみにしてた。あんたらはそうじゃないんか?」
自分が遅れたせいで面倒なことになっている手前、飛鳥は何も言えず、2人のやり取りをただ眺めることしか出来なかった。
「頼む。一生のお願い」
「何が一生のお願いやねん。お前、一生何個あんねん」
「9個。あたし猫だから」
思わず萌は「ふふん」と笑ったが、慌てて不機嫌な顔を作り直した。
そして映画館のある方向を一瞥すると、大きくため息をついた。それはまるで、愛する人との離別のようだった。
「しょうがない。でも場所は変えるで、ここじゃ人の迷惑になるから」
「ありがとう。でも予約じゃなくて良かった。危うく人生の大事な予定を決められてしまうところだったもん」
「何言うてんねん。1週間も前から決めてたのに」
3人の親友は駅から少し離れた公園に向かった。そこは萌の知っている公園で、幸乃と飛鳥は初めてだった。
公園には滑り台、ブランコ、砂場、鉄棒、木、ベンチ、水飲み場、犬の糞があり、神様はきっとこの公園を参考にして日本中の公園を作ったのだと幸乃には思われた。
そして公園の隅に行き、3人の女子高生は幸乃のスマホから流れる音楽に乗せて踊り始めた。
「September」に「Waka Waka」、「愛だらけ」、「東京ブギウギ」、「I Got Rhythm」、「Shape of You」、「Audio」、「Girls Just Want to Have Fun」
「天国と地獄」「100 degrees」、「Dancing in the Dark」そして「Sunflower」と、他にも多くの、ありとあらゆる世界中の歌がこの公園の片隅で流れた。
元々ダンスの上手い萌は、口では嫌がるくせに最高で、運動神経の良い飛鳥はそれを手本にすぐに上達した。
幸乃も負けてはおれず、父親譲りのおかしな振り付けを披露しては、2人の親友を笑わせた。
3人の高校生につられて、途中から4、5人の小学生も混ざった。高校生は小学生のダンスから想像力の大事さを知り、小学生は高校生のダンスから自己表現の大切さを学んで、お互いに切磋琢磨した。
集団はさながらダンス・ギャングのようであり、今この瞬間における公園の王と呼んで良かった。国家権力すら付け入る隙が無かったろう。
幸乃のスマホの充電が切れると、今度は飛鳥のスマホから音楽を流した。だが飛鳥のスマホの充電が切れて、萌が自分のスマホを使うことを拒否するとパーティーはお開きとなった。
萌のスマホの充電はとっくに切れていたのだ。3人の親友は小学生に別れを告げて公園を後にし、駅に向かった。
「最高だったよ。すんごい楽しかった」
途中で飛鳥が1日の感想を述べると、「呑気やな、遅れてきたくせに」と萌がそれに赤ペンを入れた。
「今日はしゃーないけど、次は絶対映画を観に行くんやぞ」
幸乃は、「もう2度とあんたらと映画には行かない」と萌が言わなかったことに心のなかで感謝した。
「うん、次は絶対映画を観に行こう。それで、観終わったらまた踊ろう」
「アホやな。なんでまだ踊んねん」
「ごめん、2人共。次は絶対遅刻しないから」
「ほんま、絶対やで飛鳥」
飛鳥はそう言ったが、心のなかではまた踊りたいと思っていた。だが今日は自分が2人に迷惑をかけた手前、本当のことは言えなかったのだ。
ただ密かに、わざと遅刻する未来については考えていた。それは少し卑怯であったけども、きっと2人はそれを許してくれると飛鳥は信じていた。だからこそ飛鳥はこの2人と一緒にいるのだ。
幸乃は、今日という日が、これまで生きてきた数多くの1日の中でも、上位に入る1日だったと大満足だった。
人生において最も素晴らしい1日は、自分がこの世に生まれた日。2番目は2人の親友とそれぞれ出会った日で、同率。そして今日は、おそらく8番目辺りだった。
7番から3番まではこれから起こる素晴らしい一日のためにわざと開けておいたのだが、果たして今日を越える日が来るのかどうか、幸乃は少し慎重になった。
だが同時に、もしそんな日が来たら、それはどんなに素敵なことなのだろうと考えるだけで、胸が高鳴り、鼻息が荒くなるのも事実だった。
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