眞延の場合
駐車場の側の桜の花は既に散り始めていて、校舎へ続く歩道は踏み固められた桜色で染まっていた。
入学式、クラス発表、新しい環境に踊る心。歩道の脇の組分け表の前に群がる人、人、人の群れ。環境が変わる。ある程度関係性がリセットされる。それを時に嬉々として受け止め、時にそれに泣く。組分けには人の営みが垣間見える。いいことだ。
少なくとも私はそう思っていた。それでもこの浮足立ったような気配と、騒々しい人混みにはどうしても期待感とは違うそわそわとした感じを覚えてしまう。
人混みの上からなんとか名前がみえないかな、とつま先立ちで人混みの向こうを眺めてみる。こういう時、背が小さいのは不便だ。
とりあえずここからでも見える範囲から探してみようと一番上の一組目から目をなぞらせる。一組目にはなさそうだ。二組目、ちょっと見辛さが増す。足を休めながらそれっぽい位置を探したけどやっぱりなさそう。三組目、そろそろ限界が近い。つま先を頑張って立てて疲れたら下ろしてを繰り返して自分の名前がありそうな場所を目で追う。樋口、本田、前田、眞延。見慣れた漢字があったような気がした。
一年三組、
他の知り合いの名前も探そうかと思ったけれど、足は疲れているし、腐りかけたりひびが入ったりした関係からせっかくリセットされた人たちは浮かれているだろうしと適当な理由をでっち上げて、後で会ったときにでも聞けばいいやと開き直った。そんなに気にしないといけないような相手もいないことだし。
組分け表の前の人集りが「同じクラスになれたね、またよろしくねなんてみんなでわいわいしている」なんてわいわいしている。さっさと離れて教室へ向かう流れに混ざろうとした。
ふいに駆け足の音が聞こえた。遅刻したのだろうか、誰か知り合いを追いかけているのだろうか。駆け足は私の側で止まって、「あの」聞き慣れない声が私を引き止めた。
さて、入学早々自分はなにかやってしまったのだろうかとそちらを向くと顔だけは知っている子が顔を真っ赤にして私の前に立っていた。
ああ、私を追いかけてここに来たのか、なるほど、と他人事のように捉える。私はよく知りもしないこの子につきまとわれてるストーキング被害者、そしてその加害者。学生ストーカーがストーキングの相手と学校を合わせるのはそんなに不自然なことでもないかもしれない。
思えばこの子との付き合いも長くなる。ストーキングを付き合いと呼んでよいのならば、だけど。
最初にストーキングされていることに気づいたときは何がなんだかわからなくて家族に相談するべきか悩んだけど、特につきまとわれて困るようなこともなかったし、何より見た目が好みだったからすべてを良しとして、野良猫か野良犬にでも懐かれたようなもんだと放置していた。
そんなほとんど一方的な関係性が向こうから飛び込んできた。ここまで内側に飛び込まれるとどういうリセットの仕方をするにせよ関係性の掃除は大変だろうな、と思った。
私は何故かこの子に関する面倒くさそうな関係性のあれこれを他人事のように見てしまうようだった。いずれにせよ、ストーカーに話しかけられるのはなかなか貴重な経験だと思うし、何を話されるか気になったから「あの」で固まっている会話の続きを待つことにしてみた。三秒、四秒、まだ来ない。じれったさと心に芽生えた嗜虐心に従って、わざと困ったような表情を浮かべてみるとわたわたとしながらガトリングトークを投げかけてきた。
「ごめんなさい、昔から入学とかで緊張しちゃってどうしようもなくなって近くの子に話しかけちゃったの。えっと、その何話せばいいかわからないけど何組? 何組だった?」
焦りすぎて周りを見ることができなくなって、完全に浮いた存在になっている。完全に私だけをロックオンしにきている。同性のストーカーなんて地雷の塊のような存在でも、見た目が好みで性格も好きそうなら許しちゃうんだなあとほっこりした。
「あー、うん。家からちょっと離れると同じ学校の子とかも少ないしね。私は三組だったよ」
そういえばこの子の名前を知らない。ストーカーの名前なんて知らないのが正しいのだろうけどなぜか少しもやりとした気持ちになった。
「えと……」
「あ、えっと、小野本です。小野本怜」
食い気味な返事が返ってくる。知るべきことを知ったという満足感に満たされた。さて、どう返そうか。多分この子は私の名前も知っている。だからあえてフルネームは告げない。そもそもフルネームを知ってる同級生だってそんなに多くないし、それで十分だろう。
「はじめまして、眞延です。小野本さんは何組だったの?」
この子が私の期待通りの性格をしてくれていれば、きっとすぐに尻尾を振りつつ問いかけてきてくれるだろうし。
「わたしは五組。一緒じゃないか、残念だなあ……」
言葉の節々からも、口調からも、心の底から残念だと思っているのが伝わって気持ちがよかった。わかりやすくて素直な子は好きだ。つい頬が緩んでしまう。
「ま、そういうもんだよねー。とりあえず私は高校最初の友達ゲットってことで」
その場のノリで肩でも抱こうかと思ったけど、小野本さんがオーバーヒートしそうだったからやめておいた。
「友達……」
捨てられた子犬のような顔で見つめられる。地雷でも踏んだだろうか。とりあえず謝っておく。
「あ、ごめん、距離感近すぎたかも」
ぶんぶんと勢いよく首を降って否定される。小野本さんの頬の赤みが強く増す。
「ううん、大丈夫、友達……」
「友達」というワードが小野本さんの動きのぎくしゃくさに拍車をかけた。やはりなにか触れられたくない部分があるのかな、と思い、でも反応を見る限り「友達」という言葉自体がだめなわけでもなさそうだ。
それはやはり私をストーキングしていたのと関わりがあるのだろうか。単に友情関係に慣れていないだけだろうか。彼女をしげしげと眺めてみる。後者にはあまり見えない。
まあ、でも、友情関係に不慣れだからぎくしゃくしているのほうが言い訳も通りそうだ。誰に対する言い訳かはわからないけれど。とりあえずそっちから攻めてみよう。
「ね、友達になれたのそんなに嬉しい? 小野本さんは友達少ないタイプには見えないし、普通に人付き合いしてそうだからこれだけのことで緊張してるの、結構意外」
「えと、ずっと同じ地区の学校だったからみんな友達みたいな感じであんまり新しい友達が増えることってなくって……」
「そっかそっかー。でもなんかわかる。中学までって全然顔ぶれ変わらないもんねえ」
ぼんやりと自分の交友関係を思い起こす。地方の小中学校の顔ぶれが変わるのは稀だ。せいぜい一部が私立に進学したり家庭の都合で消えたりするくらいで、そういう些事はすぐに過去の出来事になる。
とはいえ毎年何かしらのリセットが走って、関係に良い変化も悪い変化も生まれて、そういう流れの中で近づく子も離れる子も出てくる。それすらも経験せずここまで緊張できるのは真実だとすればだいぶ貴重なタイプだろう。
知り合いと友達の境目なんてあやふやなのだから知り合いができて、そこに人間関係が生まれて、自然と人付き合いが生まれる。たとえそれが嫌なことであっても。それすら避けてこられたのなら貴重と呼ぶしかない。
「そう、そうなの――」
「おーい眞延さーん」返事はリセットしきれなかった関係が遮った。進学でリセットするのが残念だなと思った相手の声ではないのはわかったので、きっとそれなりにどうでもいい相手なのだろう。
ストーキングの期間を考えなければ真新しく、そこそこに居心地がよさそうな関係性より優先させるのももどかしい。
大丈夫だよ、まだ行かないからね、と小野本さんに微笑み、「ちょっと待っててー」と返して小野本さんと向き合う。
「で、中学から対して遠くもないところに入学するとこういう感じで続いちゃうんだよね、友達って」
知り合いと友達の境目はあやふやだけど、少なくとも今できたばかりの友達よりも古く付き合いがあるだけの知り合いを優先しないといけない状況があるのは面倒くさいなあと思った。
「ごめんね、むこうも相手しなきゃ」
「え、あ、うん。大丈夫……」
後ろ髪が引かれる思いだった。なぜかこの子との関係は守りたいなと思ってしまった。ストーカーなのに。あるいはストーカーだから。勇気づけるように言葉を紡ぐ。
「まあ私の『ともだち』はみんな腐れ縁みたいなもんだし、私は大抵暇してると思うからいつでも遊びに来てよ」
「ありがと。もし、もし友達が他にできなかったら、毎日行っちゃうかもしれないなーって」
小野本さんは顔を背けて小さく答える。多分きっと、この子は毎日遊びに来るだろう。今までだってほぼ毎日のように後ろをついてはまわっていたのだから。
改めて客観的に考えると危ないことをしているな、と思ってあははと笑った。
「友達はつくりなよー。ま、小野本さん面白そうだし楽しませてくれるなら毎日も悪くないかも」
「が、がんばる」
きっとその「頑張る」は友達をつくるほうではないんだろう。なんとなくこの不器用でまっすぐなストーカーが愛しく感じた。
「ん、流石にそろそろ待たせすぎか。遊びに来てくれるの楽しみにしてる。それじゃあまたね、小野本さん」
「じゃ、じゃあね、眞延さん」
待たせている相手なんて正直どうでもいいけど、待っててと言ってしまった以上このふわふわしていてなんとなく居心地のいい会話を断ち切った。でも大丈夫だろう、多分この居心地の良い関係がリセットされることはしばらくないだろうから。
小野本さんに手を振り、中学時代の残滓のもとを訪れる。
「ごめん、待たせた。久しぶり、でもないか」
「いいよいいよ。面倒だしおひさーってことで。クラス、おなじになったね。知らない人結構いるから眞延さんいるの嬉しくなって声かけちゃった」
周りの皆は年1の関係性のリセットがそんなに好きでないことが多いらしい。知ってる人がいること、そんなに大事だろうか、とは思ったけど声には出さなかった。
「まあ、やりやすくはあるよね。高校にもなって班とかあるのかわからんけど。いや、あるか、化学の実験とか修学旅行とか。まあ、とりあえず今年もよろしく」
「うん、去年あんまり話せなかったけどさ、せっかくだし色々話そうねー。それじゃ、教室でまた会おう」
なぜかふんすと気合を入れるように最後の一言を言って、彼女は教室へと向かっていった。
表面をなぞるだけの薄っぺらい会話だったけど、それはそれで気疲れしなくて悪くないかと思った。悪くないことはプラスなのだ。ただプラスの大きさが違うだけで。
私も行くか、と教室に向かった。
入学式は、半分夢見心地で、記憶も朧げだった。
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