君しがらみとなりてとどめん

不尾レノア

プロローグ

小野本の場合

 入学式、クラス発表、期待に踊る心。組分け表の前の人だかり。人波に押し流されたり、押し返したりしつつふたつの名前を探す。ひとつ目、あった。自分の名前だからすぐに見つけられた。

 ふたつ目はなかなか見つからない。前情報がたしかならこの学校にいるはず。だからわたしはここにいるのだから。必死に探す。ようやく見つける。

 ふたつの名前のいる場所は遠く離れているように見えた。でもまだわからない。一縷の希望にすがって人をかき分けてもう少し前から表を眺めた。

 わたしが知りたかったふたつの名前はどちらも確かに組分け表にはあって、だけどそれぞれがいる組は別で。

 もう一度組分け表を見る。期待に踊っていた心は沈み、落ち着き、最終的にまあいいだろう、というところにおちついた。

 一年待った。少なくとも「他校の知らない子」から「同じ学校の同学年の子」にはなった。ゆっくりと進めよう。これから時間はたっぷりあるのだから。


 組分け表から離れようとして、そこに彼女の姿を見つけた。眞延さん。その名前を口に出したい気持ちを、声をかけて最初の一歩を踏み出したい気持ちをぐっと堪える。

 彼女はわたしのことを知らないのだ、少なくとも、今はまだ。まだだ、焦るな、と理性が待てを出す。本能的な欲望が暴れまわる。

 理性と欲望は戦って、まばたきするかしないかばかりのほんの僅かな時間だけ戦って、欲望が圧倒的な強さで理性を下した。

 自分なりに頑張って築き上げてきたつもりの理性は、いざ意中の相手を目の前にするとあっけなく崩れ落ちた。欲望が無意識に口を動した。

「あの」

 突然知らない相手から声をかけられたからか困惑の色が小野本さんに浮かぶ。ああ、初めて見る顔だ。どうしてこの瞬間を記録できないのだろう、という欲望や、ゆっくりと進めようという意思表明はなんだったのだろうという自問が異常に早く回る頭の中でぐるぐるする。それを全部抑え込んで言葉を続ける。

「ごめんなさい、昔から入学とかで緊張しちゃってどうしようもなくなって近くの子に話しかけちゃったの。えっと、その何話せばいいかわからないけど何組? 何組だった?」

 さらさらと嘘と焦りが口から溢れ出す。入学で緊張して変な行動を起こしてしまった入学生の振りも完璧だった。

 実際眞延さんと話しているという事実には焦っているし、明らかに変な人にはなっているので、振りだろうがそうでなかろうが大した誤りではないのだけど。

 返事を受けて合点がいったように眞延さんの表情が優しく変化する。網膜に記憶装置を埋め込む技術の開発がされてない世の中は遅れているな、と思った。

「あー、うん。家からちょっと離れると同じ学校の子とかも少ないしね。わたしは三組だったよ、えと……」

「あ、えっと、小野本です。小野本怜おのもとれい

 少し食い気味に名乗りを上げる。眞延さんはくすりと優しげに微笑んでくれた。

「はじめまして、眞延です。小野本さんは何組だったの?」

「わたしは五組。一緒じゃないか、残念だなあ……」

「ま、そういうもんだよねー。とりあえず私は高校最初の友達ゲットってことで」

「友達……」

 その四文字はふわふわとしたものをわたしの心に宿らせた。丸い形の気持ちだった。嬉しくて泣きそうで顔が崩れそうになるのがわかった。

「あ、ごめん、距離感近すぎたかも」

 かぶりをふって手をわたわたと動かし否定する。せっかくのチャンスをふいにする気はさらさらなかった。

「ううん、大丈夫、友達……」

 一歩踏み込んでみたら一足飛びで「他校の知らない子」から「同級生の友達」にランクアップできた。

 小野本さんと友達。まだ友達だけど、ここから全てがはじまるんだ。

 欲望のままに突っ走ってみるのもたまには悪くない。覚えておこうと思った。

 頬が赤くなるのが抑えられなくって、それを気取られるのは恥ずかしいから必死に我慢して、ギクシャクと手足を前に出しながら歩くわたしを見て眞延さんが声をかけてくれた。

「ね、友達になれたのそんなに嬉しい? 小野本さんは友達少ないタイプには見えないし、普通に人付き合いしてそうだからこれだけのことで緊張してるの、結構意外」

「えと、ずっと同じ地区の学校だったからみんな友達みたいな感じであんまり新しい友達が増えることってなくって……」

 早口に、少し嘘を混ぜた答えを返す。「知り合い」はたくさん居たけど、「友達」という言葉がしっくりくる関係は小六くらいを最後になくなってしまった気がする。わたしは「ともだちをたいせつにしよう」みたいな標語や「友情」の二文字とは縁遠い奴だ。

「そっかそっかー。でもなんかわかる。中学までって全然顔ぶれ変わらないもんねえ」

「そう、そうなの――」

「おーい眞延さーん」と眞延さんを呼ぶ声が会話を遮る。眞延さんは微笑んでくれて、声の方に向かってちょっと待っててー、と返す。

「で、中学から対して遠くもないところに入学するとこういう感じで続いちゃうんだよね、友達って。ごめんね、むこうも相手しなきゃ」

 気持ちが沈む、ぐっと堪えて返事を返す。

「え、あ、うん。大丈夫……」

「まあわたしの『ともだち』はみんな腐れ縁みたいなもんだし、私は大抵暇してると思うからいつでも遊びに来てよ」

「ありがと。もし、もし友達が他にできなかったら、毎日行っちゃうかもしれないなーって」

 友達を作る気もないし、本当に毎日行っていいなら全てを投げ売ってでも会いに行くつもりだった。

 眞延さんはわたしの恥じらいに満ちた答えを聞いてあははと笑った。

「友達はつくりなよー。ま、小野本さん面白そうだし楽しませてくれるなら毎日も悪くないかも」

「が、がんばる」

 楽しませるのを。

「ん、流石にそろそろ待たせすぎか。遊びに来てくれるの楽しみにしてる。それじゃあまたね、小野本さん」

「じゃ、じゃあね、眞延さん」


 手を振り、眞延さんが離れていく。寂しいけど今はそれ以上に、顔から火が出そうなくらいに恥ずかしくて、自分の起こした行動と結果に混乱していて、喜びで叫びだしたくなるような状態だったので、醜聞を晒さなくてよかったのかもしれない、と自分を慰めた。

 教室へと向かう間に顔と頭をゆっくりと冷やし、気持ちを反芻する。眞延さんの友達になれた。大きな、とても大きな前進だった。でも、まだ足りない。

 会話を思い出して、わたしに向けられた表情を思い浮かべて、にやけそうになるのを必死に堪えて歩く。

 眞延さんの「友達」で終わるつもりはなかった。これはただの第一歩だから。そう、第一歩に過ぎないのだから。

 クラス発表からの移動と、担任の自己紹介程度の短めなホームルームを経て少しの冷静さと客観性を取り戻したわたしは、入学式で頭を抱えそうになっていた。

 出会って、一目惚れして、それまでにない意欲で必死に伝手を頼ったり、部活だなんだと遅くなるのをごまかしながら必死に眞延さんを調査したりした一年で知ることができた範囲だけでも、眞延さんの周囲には仲の良い子がそれなりに沢山いるのがわかった。小学校からの付き合いの仲良しグループ、中学三年間ずっとクラスが同じだった眼鏡の長身おさげ、その他細々としたのが大勢。

 少なくともこの中で好感度上位に入り込まないとわたしの恋は成就しない。一人の友人でも、一人の親友でもなく、ただ一人しか座れない彼女の座を射止めなければいけない。目の前に立ちふさがる障害と組分け表の前でのギクシャクとしたやり取りとを思い出して前途多難だな、と思った。

 そもそもそこに「彼女」の座が存在しないんじゃないかとか、彼女より友達と学業とか仕事を選んじゃうんじゃないかとか後ろ向きな考えも浮かんだけど、そっちの心配はそうとわかった時に未来のわたしがなんとかしてくれる、ということにしておいた。諦めだけは悪いわたしはきっと何かいい案を出してくれるだろう。

 今は、そんな先のことは置いておいてたった一人しか座れないはずの地位を目指すことにした。抱えていた頭を上げる。校長先生のつまらなかっただろう話は終わりを迎えるようだ。今この場で起きているほとんどのことは些事だ。ただ、ここにわたしがいて、眞延さんもそこにいる。それだけがわたしにとっての全てだった。

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