第10話 ダンジョンマスター2


 ダンは〈ボンド堂〉のカウンターに肘を立て、暇を持て余していた。ダンジョン屋の昼下がりといったら、とにかくやることがないのだ。冒険者たちをダンジョンに送り出した後は、彼らが帰還するまでの間、下見するべきダンジョンがない場合は暇になる。


 親方とミリダはそれぞれに用事があり留守にしていた。退屈な店番はいつもダンの役目だった。


 ダンの頭の中にあるのは、あれからロッタがどうしたかということだけだった。別のもっといいダンジョン屋に鞍替えしてしまったのだろうか。それともこの街にはもう見切りをつけて、旅立ってしまったか。


 退屈が極まり、ダンは手元にあった紙を丸めて、宙に投げた。


「いてっ!」


 その声と共に、紙は空中ではじき返され、地面に落ちた。


「誰かいるのか!?」


 ダンが誰もいないはずの部屋に疑問を投げかけると、再び空中から声がした。


「ふっふふ、バレちまったらしょうがない」


 そう言うと声の主は姿を現した。ゆっくりと透明から半透明になり、今でははっきりと実態をもって存在する。


「我が名はストラトヴィダッチェ!偉大なるダンジョンの主じゃ」


 ストラトヴィダッチェと名乗ったその生き物は、どう見ても偉大に見えない。手のひらほどのサイズもない小さな妖精で、全裸のまま宙に浮いていた。羽の生えた全裸の幼女。怪しすぎる。


「だ、誰?」


「我は偉大なるダンジョンの主!ストラトヴィダッチェじゃ!」


 妖精は同じ内容を順番を入れ替えて、再び自己紹介をした。小さな見た目と偉そうな口調のギャップがなんだか間抜けだ。


「それは分かったから……って、ちょっと待って、君はダンジョンマスターってこと?」


「じゃから、さっきからそう言っておるじゃろ」


 さっきまでの穏やかな昼下がりの雰囲気とは一変、ダンの背筋が凍る。


「なんでダンジョンマスターがダンジョンの外にいるんだ!?なんのつもりだ!?」


 ダンが腰の短剣に手をかけると、ストラトヴィダッチェが慌てて距離を取った。


「ちょいちょい、待て待て。我に敵意などない。危害を加えるつもりなら、透明になった状態で、既に襲っておるわ」


 それもそうだ、とダンは警戒を緩めた。


「じゃあなにが目的なんだ?」


「なあに、暇だったからちょっと人間をからかってやろうと思ってな。お前を数日間観察しておった」


 ダンは目を丸くした。ここまで理性、知性、自我が高水準で備わった魔物を見るのは初めてだった。


「ダンジョンの外に出るダンジョンマスターなんて聞いたこともない。一体どうやってそんなことが可能に!?それも君の能力なのか?」


 それを聞いてストラトヴィダッチェは大笑いした。小さな体なのによく通る大きな笑い声――いや、小さいからこそかもしれないが。


「ダンジョンのカギを閉め忘れたのはお前じゃろ」


「なに!?」


 慎重な性格のダンは、自分がそんなヘマをするとは思えずに、必死で記憶を辿った。あるとすればあの日だ。フィレットと一緒に下見に行った日、ダンはフィレットにエネルギーを吸われ、疲弊して帰還した。朦朧とした意識で、うっかりカギを閉め忘れていたとしても、おかしくない。


「まあお前のおかげで退屈なダンジョンから抜け出せたのじゃからそこは礼を言うぞ」


「だとしても、おかしな点がまだある。あのダンジョンはそんなに高レベルの扉じゃなかったはずだ。それに、僕たちがコアに到達したときには、既にダンジョンマスターは居なかった」


 ダンは自分で言いながら、途中である可能性に思い至った。ストラトヴィダッチェ――彼女の透明化の能力が、単に視覚的なものだけでなく、その生命エネルギーすらも感じさせない類のものであったなら……。


「その通り!我の能力は単なる透明化ではない。完全に自分の存在そのものを消すことができるのじゃ。そうやってあのダンジョンを安値で売られるように仕向け、間抜けで未熟なお前みたいな奴に買われることを待っておったのじゃよ。お前たちのイチャコラも全部見ておったわい」


 なんたる策士。ここまでの知能を有したモンスターを生成するまでに、コアは一体どれだけの人間を喰らったのであろうか。だが、そうするとこれもおかしい。ストラトヴィダッチェが管理していたダンジョンは新作のダンジョンとして売られていた訳だから、人間を捕食していたはずがない。発見されたダンジョンはすぐに協会に報告されるはずだから、発見者が皆ダンジョンに飲まれでもしないと、未発見のダンジョンが驚異的な危険度を持ち合わせるに至るはずがない。まさか、本当にそうだとでもいうのか。


 ダンは恐る恐る訊いてみた。


「君はどうやってそのような高度な魔物になったんだ?君のダンジョンコアはどうやってそれほどまでのエネルギーを蓄えることができたんだ?」


「知らん。我は最初から我じゃった。おそらく、コアが初めに生成されたときに、なにか巨大なエネルギーを飲み込んだんじゃないか?」


 これは……上手くはぐらかされたのだろうか?


「とにかく、僕は君を元の場所に帰す必要がある。これは僕のミスだからね」


「我がそれに従うとでも?」


「嫌でもね!」


 ダンは袋を裏返して手にかぶせると、目の前の幼女を捕まえようと手を伸ばした。ストラトヴィダッチェはそれをひょいと避けると、瞬時に姿を眩ませた。


「もう少し楽しませてもらうよ」虚空から声がする。


「くそっ!親方にばれたらどうしよう……」


「我も面倒事はごめんじゃから親方とやらには黙っておいてやるぞ。お前が無理やり我を捕えようとせん限りはな」


 ストラトヴィダッチェのこの言葉は本当だろう。親方にばれるということは、彼女自身の得にもならない。だが、いくら透明で、危害を加える気はないとしても、市街に魔物を放ったままでいるというのはどうしても落ち着かない。


 ダンに出来るのは、せいぜい彼女が透明なまま、何も起こさないでくれと祈るばかりだった。

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