第4話 下見2


 下る途中で何度かコウモリに襲われもしたが、ダンが短剣で退け、難なく最奥へと到達する。洞窟の最深部は地底湖になっており、その中央に丸い陸地があるのでそこに降りる。


 その丸の中央にさらに丸が鎮座していた。このダンジョンのコアだ。コアから伸びる青白い発光は、陸地全体を照らし、地底湖の部分にもゆうに到達していた。


 水部分の発光からは毎秒、微生物が産み出されていて、周囲はあぶく状になっていた。これこそがコアのもつ力でありダンジョンの最も奇異なる部分。コアは生命エネルギーにあふれていて、すべての遺物や魔物はそこから生じる。


「コア……ですね。でも周囲に魔物の気配はない……」


 フィレットが恐る恐るその発光元に近寄る。


「ああ、どうやら発生してまだ間もない、若いダンジョンみたいだ」


 ダンジョンの規模や脅威度はコアに貯められた生命エネルギーと、ダンジョン内に生物や遺物として実体化した潜在的生命エネルギーの総量によって決まる。


 コアがエネルギーを貯める方法は四種類。最も影響の大きいのが、人間の生命エネルギーを取り込むことだ。人間ほど複雑な脳を持つ生物から得られるパワーはすさまじく、人を喰ったダンジョンは、それだけで危険度が跳ね上がる。もちろん、人間が内包する魔力もそのまま吸収されるので、高レベルな冒険者ほどその価値は高い。


 次に大きく影響するのは、初めにコアが発生したときの周りの環境だ。コアがどういった経緯で現れるのか、誰も知らなかったが、自然発生的にある日突然降って湧いてくるので、いつしか「発生」という言葉を使うのが様式になった。


 発生した当初のコアは、まず一旦、周囲に存在する生命を吸収してしまう。その後改めて同程度の複雑さを持った生態系を構築しなおすのだ。よって植生の豊かな大地のほうが脅威となるダンジョンを生み出しやすい。不毛の地ではいかなる作物も育つことを拒むのだ。


 コアはそれ自体も微弱なエネルギーを生み出し続ける。つまり、時間経過で生物さながら成長する。ただしこれは人間時間に相対すると、かなり気の長い話になるのであまり加味する必要はない。


 最後にもう一つ、コアが発生させた生成物は、破壊されるときにその半分を還元する。


 ここまでフィレットに講釈して、ダンはふとあることに気が付いた。


「妙だ……」


「どうしたんですか?ダンさん」


「このダンジョンには、ダンジョンマスターが居ないみたいなんだ」


 ダンジョンマスターとはコアの化身のことで、それぞれのダンジョンに必ず一体ずつ存在する上級モンスターのことだ。コアは意思を持たず、移動することもない。そのためダンジョンマスターという形で具現化し、ダンジョンの運営を行う。


 ダンジョンはそれ自体が生物だと考えられ、繁殖繁栄――つまりはコアが包容するエネルギー総量を高め、ダンジョン内を生命体で満たし、その範囲を広げること――を至上命題として定義する。


 ダンは考えを纏め、ダンジョンについてもう一席打とうとフィレットのほうを振り返る。


 フィレットがいない。


「ダンさん……私もう我慢できません」


 足元に屈んでいた小さな影は、そう言うやいなや、ダンの両足を抱え込み、押し倒した。


「ちょっと、何のつもりだ!フィレット、やめるんだ!」


 フィレットの目から普段の輝きは失われており、完全に我を忘れている様子。


 ダンは怪我させない程度に抵抗するが、簡単に組み伏せられてしまう。一体彼女の細い体躯のどこにこんな力が?


「ごめんなさい。今まで黙っていたけれど、私実はサキュバスとのハーフなんです」


 突然の告白に動揺を隠せない。だが半分人間でないならこのパワーも納得だ。そう意識するだけで、ダンの力はさらに抜けていき、抵抗する気は完全に失せてしまった。


 サキュバスとは他者の生命エネルギーを喰らう魔物の総称だ。特に人型に近い者ほど異性からの吸引を好む傾向にある。中には人の夢に介入しエネルギーを吸い上げるタイプもいるみたいだが、フィレットの行動から察するに、彼女はそうではないらしい。


「サキュバスなら生命維持にエネルギー補給が必要だったはずだ。いままでどうやって凌いだ?」


 好奇心から尋ねたのではない。敵を知ることが、状況を変え得る唯一の手段に思えたからだ。


「私はハーフですから人間としての食事でもエネルギーを得られるんです。もちろんそれだけでは刺激が足りなくて、いまこうして限界を迎えて暴挙に出たわけですが。だって……あまりにもダンさんがおいしそうだから。ダンさんが悪いんです。こんなに私を狂わせてしまうなんて」


 種としての本能を理性で押し殺すことは、どれだけの困難を伴うだろう。その物足りなさは、調味料のない食事のようなものだろうか。決して満腹感を得られない食生活は、いったいどれほどの苦痛だろう。


 ダンは腹をくくった。


「よし分かった。思う存分吸ってくれ。生命力には自信があるんだ。それで死ぬことはあるまい」


「え……いいんですか?数日は立てなくなると思いますが」


 さっきまで無理やり搾り取ろうとしていたくせに、いざ身を委ねると躊躇するとは驚きだ。やるなと言われればやりたくなるし、やれと言われれば気がすすまなくなる。それが人間というものだ。


 フィレットのそうした人間部分が、ダンを救った。気を緩めた隙に、上に乗ったフィレットの身体ごと身をよじり、ほの青く輝く地底湖めがけて、勢いよく転がり落ちた。


「きゃっ」フィレットが悲鳴をあげた。


 人体二つ分の水しぶきがあがる。投げ入れられた衝撃と、水中という特殊な環境の性質が作用し、二人の身体はうまく離れた。


 地底湖の陸地に近い部分はそれほど深くなく、ほどなくして二人とも歩いて復帰する。


 計画の失敗を感じ、フィレットが柄に合わない悪態をつく。「くそっ」


 濡れて引っ付いた洋服が、フィレットの体躯を浮き彫りにした。コアの光がそれを青く照らし、神々しささえ感じさせる。しかしその輝きは一瞬の後に光量を変えた。


 コアが微生物を生じさせていた地点を二人が荒らしたことで、持て余していたコアのエネルギーが放出先を得たのだ。地底湖の水面が再びあぶくを立てはじめる。コアは、ちょうどよい濃さの影を生じさせる光源になっていた。


 フィレットはチャンスとばかりにポケットから≪黒武者≫を取り出した。四角い箱に黒い帯が捲かれたそれは、予期せぬ形でダンに牙をむいた。親方の厚意が裏目に出るとは。


 フィレットが帯を外しながら唱える。


「行け、黒武者」


 箱から吐き出された魔力が霧散し、周囲に存在する生命体の影が、影人形となって実体化する。フィレットの影、さらには自身の影もがダンに標的を定めた。


 自分の黒い手が、足元を絡める。


「絶体絶命かよ……。親方め、恨むぞ」


「さあ、おとなしく私に生命力を分けてください」


 恍惚とした表情を浮かべ、フィレットがにじり寄る。


 彼女が十分に近づくのを待って、ダンは切り札を切った。


「残念だが、僕のほうが一枚上手だったようだね」


 後ろ手に持った破裂寸前のカエルランプを袋から取り出す。締め付けを失ったカエルは爆発し、辺り一面に数百の≪発光虫≫をまき散らした。


 突然の発光にフィレットは目を眩ませた。ダンは目を閉じてそれを回避。さらに、発光は洞窟中の影という影を剝ぎ取った。≪黒武者≫によって生み出された鉄壁の護衛団は文字通り影を潜めた。


 これで解決したかに思われたが、突然フィレットが倒れた。


「ちょっと!大丈夫か!?」ダンが慌てて駆け寄り、倒れる前に手を差し伸べる。


「だ……大丈夫です。ちょっとふらついただけです。昨日から何も食べてなくて……」


 何も食べてない!?それで空腹になって、襲われたほうはたまったもんじゃない。


「なんでそんなことを?」


「ダイエットです……。そんなこと言わせないでくださいよ。デリカシーがないんだから」


 呆れた理由だ。この細い体躯のどこにそんな必要があるというのか。


 だが、まさかこのまま彼女をここに置いていくわけにもいかないし、この縦長の洞窟を人ひとり抱えて登り切るのは無謀に思えた。


 ダンは今度こそ本当に腹をくくった。毎朝お世話になっているのだから、これくらいの空腹は自分が満たしてやるべきだ。


「必要なだけ吸えばいい」


 袖を捲って腕を差し出す。今度はフィレットも厚意に抵抗する気はないようだ。


「ありがとうございます」でも……と付け加えるように言った。「腕じゃ……ないんです。そんな、吸血鬼じゃないんだから」


 吸血鬼もサキュバスも人から吸うのだから似たようなものだ。「じゃあ腕じゃないならどこに?」


「ここです」


 空腹で動かなくなった体の、最後の力を振り絞り、フィレットは接吻した。

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