第3話 下見


 さて、話は今朝の〈ボンド堂〉に戻る。ダンが≪転移扉≫の掃除にキリをつけ、そろそろ客を迎える準備に移ろうとした頃だ。そのころには、あかぎれは冷水で麻痺し、痛まなくなっていた。


 ダンの背後からよく知った声が話しかけてきた。


「ダンさん、おはようございます!」


 フィレット・キュロス――街の食堂兼酒場で給仕をしている若い娘だ。食事の配達も行っていて、〈ボンド堂〉へは毎朝食事を届けてくれる。


「やあフィレット、朝食をありがとう。今日はオムレツか、いい匂いだ」


 ダンは朝のこの時間をいつも楽しみにしていた。食事もそうだがフィレットの清々しい挨拶と笑顔は、なによりも朝を彩るに相応しい。


 フィレットはごく一般的なウエイトレスだったが、〈ボンド堂〉の常連でもあった。


 ダンジョン屋の大きな役割の一つは、顧客のレベルに合わせたダンジョンを紹介することで、冒険の危険を最小限に抑えることだ。彼らが営業を始めるようになってからというもの、ほとんどの冒険者はまず生還する。


 中には普通の主婦だろうと、果敢に森林型のダンジョンに入っていき、自前で夕餉の食材を調達する者もいた。ダンジョンに死の危険はないと周知されてから、もはやそこは冒険者だけのものではなくなったのだ。


 ダンが手を休め、フィレットと談笑していると、ボンド親方のでかい声が店いっぱいに響いた。


「おいダン、どこだ!」


 ダンは≪回転扉≫の設置してある部屋のドアを開け、隙間から首だけ覗かせて居場所を知らせる。


「はい!ここです、親方。そんなに怒鳴らなくても聞こえますよ」


「おう、そこにいたか。すまんな、自分でも耳が遠いんだ。つい声が大きくなる」


 言いながらそのでかい手でドアの隙間をこじ開け、部屋に侵入してくる。


「なにか用ですか?扉拭きは終わりましたけど。お客さんもう来ちゃってるとか?」


「用もなにもないだろう。この間、お前には下見役の経験を積ませたいって言ったよな?今日は店のことはもういいから、この前買ったダンジョンの下見に行ってきてくれ」


 ダンが返事をするより先にフィレットが手を挙げた。


「はい!私も行きます」


 ボンドはそれでやっとフィレットの存在に気が付いた様子で、目を丸くした。


「おうフィレット、来てたのか。小さくて気がつかなかった。まあ小さくない部分も……あるけどなあ」


 フィレットはボンドの視線の位置に気づいて、腕でその身を庇った。ダンも悪気はなしにボンドにつられていたことに気が付き、目線をそらす。


「もう、セクハラ発言で訴えられますよ」


 ダンがボンドを咎めたのは、決して罪悪感からだけではない。この一連の流れはこれが初めてではなく、もはやお決まりのルーティンワークだった。


「すまんすまん。で、フィレットも下見役の仕事を手伝いたいのか?」


「はい、前からダンさんの仕事に興味がありました。それに、ダンさんにはいつもお世話になっていますし」


 お世話になっている?世話になっているのはこっちのほうだとダンは面食らった。一体自分が彼女の何を世話したのだろう。毎日美味しそうに朝食を頂いて、数分の世間話に付き合うのを世話と呼ぶのなら別だが。


「でも、本当に付いてくるの?危険だよ?」


 世話になっている女性を危険な目に遭わせるのではと思うと、とても諸手を挙げて賛成というわけにはいかなかった。


「はい!大丈夫です!私、ダンさんの役に立ちたいんです」


 一体何が彼女をそこまでさせるのか、ダンは身に覚えがない。


「ダメだ、部外者を連れて行ってなにかあったらどうする。半人前のお前に彼女が守れるのか?」


 いいぞ親方、と今回だけはダンも親方の味方だ。


「守ってもらうつもりはありません!私がダンさんを守るんです」


 フィレットの強情さは意外だった。普段はこんなに押しの強い女性ではないはずだ。


 三人がそれぞれの立場、思惑で意見を交わし合っていると、あっという間に時間が過ぎた。街路が賑わい始めたのが、屋内からでも感じ取れる。周辺の店舗は既に開店の準備を終えている。


 すると部屋の外で聞き耳を立てていたのか、突然ミリダがドアを勢いよく開け、入ってきた。


 我慢の限界、といった表情で一声。


「おい!いつまで油売ってんだ。親方、察しが悪いなあんたも。若い二人で行かせてやれよ」


 このミリダの発言を皮切りに、親方も態度を軟化させ、数分の議論の後、ある条件付きでの同行が許された。


「一緒にいくのは認めるが、これを持っていけ。有事の際の切り札だ」


 親方がフィレットに手渡したのは遺物≪黒武者≫――発動すると周囲の生物の影が実体化し、発動者をあらゆる手段で護衛する。これは要人の護衛にも使われる本物の防衛兵器だ。


 親方は一体どこでこんなものを手に入れたんだろう?


「でも、いいんですか?これって高価なものなんじゃ……」


 フィレットが申し訳なさそうに眉の形を変えると、親方は慌ててフォローした。


「いや、いいんだ。道具は使ってなんぼだからな。それに、あくまでもこれは緊急用だ。それが必要にならないことを祈ってるぜ」


 結局、ミリダ女史の発言が決定打となり、ダンの疑問は有耶無耶なままフィレットが同行する次第となった。





 ダンとフィレットは縦長の洞窟を下っていた。地面には僅かだが水が流れており、あちこち岩が苔生し、手足共に大変滑りやすく危険な環境だった。


 だがこの程度の困難は、今日では誰にとっても脅威ではない。ダンジョン遺物の一つである≪粘着ロープ≫を使用すれば主婦でも一流のロッククライムが可能となる。この遺物は弱小のスライムから得られる素材で簡単に量産できるため、実際に主婦がそこいらで簡単に購入できる。


 遺物は基本的にはダンジョンがもたらした天然の一品ものだが、基本構造が人間に理解可能なものであれば、分解し簡単に模倣できるため――これはもはや遺物とはよべないかもしれない。


 ロープの先端を岩に接着し「くっつけ」と魔力を込めて念じれば、次に「離れろ」と念じるまで離れない。岩の反対側の先端を身体にくっつけさせることで――あとは簡易的な命綱の完成だ。


 一本のロープでそれなりの長さを下降できるが、無限に伸びるというわけにもいかず、定期的に命綱を付け外しする必要がある。


 慎重を期して互いの体も結んでおく。どちらかが誤って命綱を付け損ねた場合もこれで安心。なにより万が一、二人とも命綱を失った場合でも、あと腐れなく二人同時に死ねる――というのは冒険者たちの間でよく聞くジョークだ。


 洞窟内は暗く、蠟燭の明かりだけでは心もとないと感じるほどだった。こういう環境には決まって、≪発光虫≫が生息していることをダンは思い出した。


 ≪発光虫≫がなぜ発光するか、例によってダンはこれも調べたことがある。彼らは発光によって捕食者にアピールすることで、自らその身を差し出す。これは決して無為な自殺ではなく、進化の過程によって勝ち得た、種固有の財産だった。


 ≪発光虫≫を食べた生物は、その最後の餌食同様全身を発光させ、死に至る。その発光死体からは、無数の新たな≪発光虫≫が死肉を突き破って出てくる。


 無数に吐き出された子供たちは、そのあまりに不用心な発光と、ある性質のせいでほとんど残らない。≪発光虫≫は自分より大きな魔力を擁する種の体内では、繁殖できないという性質をもつ。一所に増えすぎた虫たちは、大きな体の一つの生物とみなされてしまい、その捕食者は自然と大きな肉体と魔力をもつものに限られる。


 なんとも奇妙な生態だがこうした特性によって≪発光虫≫は過剰な繁栄も絶滅もせずに、適量生き残る。


 ダンは洞窟の壁の岩陰に、ほの明るくなっている箇所を見つけ出し、手を差し入れ≪発光虫≫を捕獲した。≪発光虫≫は目当ての捕食者――自分より魔力の低い種――以外に食べられることを恐れ、普段はこうやって岩陰に鳴りを潜める。


 一匹だけでは明るさが足りないので、その辺にいたカエルに≪発光虫≫を飲み込ませる。するとみるみるうちに体内で≪発光虫≫が増殖するのが、カエルの半透明な表皮越しに見えた。


 ≪発光虫≫の数が飽和して、カエルの身体を突き破ってしまう前に、強度の高い袋に入れて固く縛り上げる。これを以て、発光カエルランプの全制作工程が完了。


 フィレットは破裂寸前のカエルに、嫌悪感を示すかと思ったが、どうやら平気らしい。

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