第5話 冒険者
帰還したダンは、げっそりした表情でフィレットに半身を預けていた。フィレットはというと、血色良好で、いつもよりツヤツヤしていた。
「おう、顔色悪そうじゃねえか。親方にこってり絞られたのか?」
店内にいた常連の客が、馴れ馴れしく話しかけてくる。絞られた、という一点に関しては――まあ間違いじゃない。
「君がサキュバスだってことは秘密にしておいてやる。もうダイエットなんてバカなマネ、二度とするんじゃないぞ。こんなことが続くようだったら、僕も出るところに出る」
「サキュバスとしての栄養補給が出来ない分、人間の食事で補う必要があるんです。成長期だからたくさん食べなきゃいけなくて、太っちゃうんですよ」
なるほど、だがその栄養は別のところに集まっているみたいだから、心配しなくていいぞと思ったが、心の中にとどめておく。
「それでも、もしまたどうしても吸いたくなったら、僕のところにこい。他の人よりは体力に自信があるし、なにより僕意外にバレるのは君も避けたいところだろう?」
「あ、それならご心配なく。もうすでに何度かお世話になってるので」
「は?」虚を突かれる思いだった。
「私、出発前に言ったじゃないですか。ダンさんにお世話になってるって。夜、寝てるときとかにこっそり……」
あれはそういう意味だったのか……。なんとも恐ろしい人物だ。
「……って、寝てるときってことはじゃあ、僕の家に忍び込んでるってことか!?」
「いやいやまさか。違うんです、そうじゃなくって……私たちサキュバスは夢を通じてエネルギーを得ることもできるんです。もちろん味も量も、直接吸うのには劣りますが」
味なんてあるのか……。
ダンは直接襲われたせいで、フィレットに夢に干渉する能力はないものと思い込んでいたが、それは誤解だった。
「どうしても一度直接吸引してみたかったんです。ダンさんの生命エネルギーは他の人より濃厚で……。ダメだって分かっていたんですけど、二人きりになるとどうしても我慢できなくて。あの時私、どうかしてましたね……。ごめんなさい」
他の人からも吸引しているのか……。
ダンにこのとき生じた感情は嫉妬なのだろうか。何に対する嫉妬だ?彼女が自分に抱いてる感情は、あくまで捕食対象としての魅力に違いないのに。
「でも、バレちゃったから今度からは堂々と直接吸えますね!毎朝の配達のときとか。物々交換です」
「吸うな!どうしてものときだけって言っただろ!」
物々交換というからにはこちらの朝食代をタダにしてもらわないとおかしい。
ミリダが「なんかお前たち、親密になって帰ってきたな。ダンジョンで何かあったのか?」といらぬ詮索をしてきたが、思ってるようなものとは違うので安心してほしいとだけ返した。
それからほどなくして、フィレットは酒場の仕事があると言って帰っていった。
「なんだか今日は大変な一日だったなぁ」
大きく伸びをする。フィレットから解放されてようやく生気が戻ってきたような気がする。
「おーい。まだ仕事終わってねぇぞ」
ミリダに言われてようやく気付く。まだ夕方だった。
ちょうどそのころ親方がどこかから戻ってきて新しい仕事を告げた。
「この間、扉をいくつか新調しただろ?それでいらなくなった扉が何枚かあるからリサイクルセンターに持っていってくれ」
≪転移扉≫を他のゴミと一緒にその辺に捨てて置くわけにはいかない。もしそのような行為に及んだ場合は法律で厳しく罰せられる。すべての扉は協会の管理下になくてはならない。それは不要になったものでさえも。
◆
扉リサイクルセンターは街の入口にあった。協会から定期的に回収にくるため、利便性を重要視して、ほとんどの街でそのようになっている。
引き渡しはすぐに終わり、これにて本日の業務終了となる。
「今日は疲れたし、肉でも食べようかな」
センターから出てすぐに、通りの飲食店からいい匂いが漂ってきて、もうすでに思考は完全に夕食への思いでいっぱいになる。でもフィレットのいる店で食べるのだけは、今日は勘弁だ。
ダンが数秒入口に突っ立っていると、見知らぬ人影からお声かけがあった。
「あなた、ダンジョン屋の人?」
声の主は、見たことないほど美麗な女性だった。桃色の髪に銀色の鎧を着こんだその姿は、まるで絵画から飛び出てきたかのようだ。
フィレットも見た目はいい方だが、目の前の彼女はとびぬけて美人だ。
「そうですけど、なんで?」
なぜこのような美人が自分なんかに声をかけたのだろう。
彼女は質問の意図を理解していない様子で、「扉リサイクルセンターから出てきたから?」と首を傾げてみせた。
「いやそうじゃなくて」
なぜ彼女が、ダンがダンジョン屋であることを見抜いたか、ということを訊いたわけではない。
「ああ、ちょっとダンジョン屋を探していてね」
なぜか自信満々に自慢するようにそう言った。
まあ彼女が声をかけてきた理由が、ナンパ目的でないことは最初から分かっていたが。それでもダンにとっては、これが新規顧客会得のチャンスというわけだ。
「でしたらぜひ〈ボンド堂〉をご利用ください。僕が案内しますから」
「あらそう、ありがとう。頼むわ」
彼女の口調は、他人にものを頼み慣れてるような感じで、その態度になぜか気品を感じざるを得ない。
〈ボンド堂〉に到着するまでの間、二人は軽い世間話をした。
「僕はダン・ウィックといいます。ダンジョン屋には勤めてまだ半年ほどで、まだまだ半人前なんです」
本当は腕に自信があるダンも、初対面の人間の前では謙遜してみせる。能ある鷹は爪を隠すのだ。「私はロッタ」
ファミリーネームは?とは訊かなかった。ぶしつけな質問をして印象を悪くするのは避けたい。この美人と自分が、客と店員以上の関係になるなどとは夢にも思わなかったが、仲良くするに越したことはない。
「ロッタちゃんかぁ」
口に出したつもりはなかったが声になってしまっていた。無意識にニヤニヤして口元が緩んでいたのだ。しかも鼻の下が伸びている。ダンは自分でも気持ち悪いと思った。嫌われただろうか。
「ええそうよ、ロッタ。よろしく」
当の本人は気にも留めないといった様子で、自信満々に自分の名前を再び口にした。少し変わった娘だと思った。
〈ボンド堂〉に着くころには二人ともすっかり打ち解けていた。
ロッタは最近この街に引っ越してきたらしく新しいダンジョン屋を探していた。彼女は冒険者で、ダンジョンに潜って生計を立てているみたいだ。
高位の冒険者が利用するようなダンジョンでは、貴重な資源や遺物が手に入るので、ダンジョン屋に料金を支払っても十分元が取れる。ハイレベルダンジョンは利用自体に高額な料金が発生するがその分見返りも大きいので、冒険者の実力に比例して、まさに青天井で利益は増える。
ロッタがどの程度の冒険者かは知らないが、鎧のランクから察するに相当の手練れだと思われる。その強さは、顧客リストに載せるのに十分値する。強くなるには、その分途方もない回数ダンジョン屋とやり取りを重ねるので、この世界において強さは信用だった。
「じゃあ、あしたからよろしくね」
「じゃあ、また」
今日はもう遅いので利用登録だけに留め、ロッタは薄暗がりの街に消えていった。
夕食にでも誘うべきだったか?いやそんなことは無謀といえる。
なぜだか一人で食事をするのは寂しく思えてきて、結局フィレットのいる店へ行き、そこで見慣れた面子と食卓を囲んだ。
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