六、人間国の姫③

「そうだ、ヴァンちゃん!」


 そこまで考えたシェルはいいことを思いついたと言わんばかりに、両手を胸の前でパンとたたくと、至近距離でヴァンの目を見ながらこう言った。


「町に出てみましょうか!」

「え? 町に? 今から?」

「そう! 今から!」


 唐突なシェルの申し出にヴァンはどうしたものかと考える。

 実際、ヴァンは公務以外で王宮の外には出たことはない。外に出たとしても、顔を合わせるのは王侯貴族ばかりであった。


「本当の意味で私たち王族を支えてくれているのは、町の人たちじゃない? だから、彼らの生の声を聞いてみたいの!」


 シェルはワクワクする気持ちを抑えられずにそう言った。こうなってしまってはシェルは意地でも、一人でも、町に下りてしまうだろう。それはさすがに危険だと思ったヴァンは、


「わ、分かったよ! 俺もついていく」


 そう賛同せざるを得なかった。




 二人は身分を隠すべく、なるべく安く、そしてシンプルな服装を選んで、こっそり王宮を抜け出した。それから町の中へと手をつないで入って行く。


「う、わぁ……! 人間国の町も、やっぱりにぎやかね!」

「そう、だな……」


 町に着いたシェルは獣人国とは違う人間国独自の活気に興奮した様子だ。対してヴァンは初めて感じる町民たちの雰囲気に完全に飲まれている。知らず知らずのうちにシェルの手を握る力が強くなる。シェルはそんなヴァンの様子に気付いて、ほほましく感じるのだった。

 そうして手を繋いだ二人を、そばにいた出店の主人が冷やかす。


「なんだい、お嬢ちゃん! この町は初めてかい?」

「そうなんです! 獣人国のマーケットには行ったことがあったのですが……」

「おぉ! 獣人国の! あそこも賑やかだっただろう?」

「はい! とっても!」


 そうして世間話を始めるシェルを見ながら、ヴァンも出店の主人の言葉に聞き耳を立てていた。

 それから町の人たちが獣人族についてどう思っているか、人間国の政策についての意見なども聞いていく。すると意外なことに、


「獣人族も大変だよな。あの人たち、耳がいいから聞かなくてもいいことを聞いて、傷ついたりしてるんだ」


 そう言った。どうやら王族以上に町民たちは交流がある分、獣人族のことを知っているようだ。だからこそ、過去の戦争についてはそこまで根に持っている町民たちは少ないように見受けられた。それよりも、


「平和にしてくれてることは国王様に感謝だがなぁ……」


 どうも現状の国内政治について思うところがあるようだった。

 色々と世間話をしながら町の人たちとふれあう中で、外へと不満を漏らす声よりも、内側である国内の情勢に不満を持つものが多いことが分かった。それは王宮にいては知らなかったことだった。


「意外だった……」


 王宮に戻ってきたヴァンは町民たちの生の声を聞いた感想を素直にこう言った。今まで机にかじりついて経済学や交易の仕方、交渉の仕方などを勉強してきたが、それらに費やした時間よりも有意義な時間を過ごした気がした。


「シェルが、町に行こうって言った時は驚いたけど、行って良かった。ありがとう、シェル」


 ヴァンは素直にシェルに礼を言った。ヴァンはずっと、国民たちの不満は獣人国にあると教わってきたのだ。その概念が一気に崩れ去ったことになる。


「私たちは、もっと外に目を向けなければいけないのよね」


 シェルはヴァンにそう言った。


「ヴァンちゃんは、強い国王になりたいって言っていたけれど、その強さが誰のためなのか、何のためなのか、忘れないで欲しいな」


 そのための毎日の勉強なのだ、とシェルは言った。

 せっかく身につけた知識を、間違った方向に使って欲しくないと思ったシェルなりの助言だった。


「シェルがここまで行動的になれたのも、全部、あの獣人国の王子のお陰、なんだよな……」


 ヴァンはぽつりとつぶやいた。その声はあまりにも小さくてシェルは聞き取ることができなかった。聞き返すと、


「いや、何でもない!」


 ヴァンはそう言って笑う。その笑顔は少し寂しそうだった。

 そんなヴァンへシェルは言った。


「私ね、ヴァンちゃんとゼール様なら、今みたいなうわべだけの友好関係じゃなくて、真の友好関係を築いていけるって信じてるの」


 これはシェルの本心だった。

 ヴァンとゼールが国王になったとき、きっと本当の意味で二人が平和を築いてくれる。それは願いでもあり、確信でもあった。


「別にね、町民たちの願いを全部かなえることだけが政治ではないけれど、声を聞いてあげることは絶対に必要かなって思ったんだ」


 それができたとき、ヴァンもゼールを理解することができるかもしれない。

 シェルはそう感じたのだった。


「ゼール様を好きにならなくてもいいけれど、長所は認めてあげられる人間になって欲しいな」


 にっこりと笑って言うシェルを見てヴァンは、


(悔しいけど、シェルを変えた獣人国の王子を認めるしかないか……)


 そう思うのだった。

 翌日。

 シェルとヴァンは国王のえっけんの間に呼び出されていた。どうやら昨日、勝手に町に下りたのが国王にバレたようだ。


「供も付けずに二人だけで行くと言う愚行は許されたものではないぞ!」


 国王はそう言って憤っている。


「町民たちの生の声が聞きたいというのなら、ちゃんと手続きを踏んで、訪問と言う形にしなさい。お前たちは王族の人間なのだからな!」


 国王は二人に対してそう言った。

 頭ごなしではなく、話を聞いた上で叱ってくれているのだ。確かにこっそり王宮を抜けたのは悪いことをしたとシェルも反省し、


「ごめんなさい……」


 そう素直に謝った。

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