六、人間国の姫②

 確かにシェルは、獣人国へ行く前はただのお人形だった。絵に描いたようなお姫様で、何も考えなくてもきっと周りがどうにかしてくれる。

 そう考えていた。

 難しいことは男の人たちに任せればいい。

 しかし獣人国へ行くきっかけとなった『国民への関心』から、シェルの気持ちは変わっていった。悪い言い方をしたら、この『国民への関心』もゼールのそばにいるための口実に過ぎなかったかもしれない。しかし獣人国へ行って、ゼールの思いに触れ、シェルの考えは変わっていったのだった。


「だからね、私も考えられる姫になりたいの。国民のこと、国のこと、そして獣人国との関係のこと」


 そう言ってヴァンの目をぐに見るシェルの目は真剣で、幼いヴァンにも本物の思いであることが伝わった。


「……、そっか」


 ヴァンは小さくそうつぶやいた。

 ずっと一緒にいた自分ではなく、シェルを変えたのは遠い異国の王子だったようだ。

 ヴァンは窓の外を見やると、


「じゃあシェル、この後の授業、一緒に受けてみる?」

「いいのっ?」


「俺はこの国の王位継承権第一位の王子で、シェルはこの国の一の姫なんだ。文句を言うヤツはいないだろ?」


 そう言って笑うヴァンの表情は、新しいイタズラを思いついた子供のものだった。

 午後は二人で王宮に戻り、ヴァンの言うようにヴァン一人が受けるはずだった授業をシェルも一緒に受けることにした。授業を担当する講師は突然現れたシェルに驚き、


「姫様は知らなくてもよろしいのですよっ?」


 そう言ってろうばいを隠せずにいた。それに対してシェルは、


「この世界に『知らなくても良いこと』はそれほど多くないと思います。ましてや自国の問題ならば、むしろ知っておくべきことだと思います」


 そうはっきりと主張した。シェルの思わぬ主張にオロオロしていた講師も納得したようで、


「そうですね、姫様の言う通りでございます。では本日は、我が人間国と獣人国の歴史についてお話ししましょう」


 そう言って授業を始めたのだった。

 その歴史は、獣人国のレイガーによって引き起こされた人間国と獣人国の戦争についてだった。突如攻め入ってきた獣人国への対応が遅れ、人間国はなし崩し的に敗北してしまう。一般人の被害も相当出た。

 そう言う歴史だ。


「ここで重要になってくる『レイガー』と呼ばれる期間ですが、実は原因も、解決策も不明のままです」


 そのため現在行われている『いけにえ政策』も、獣人国の言いなりにならざるを得ない。獣人国側がレイガー対策のために人間国の生贄を所望するならば、人間国も友好関係を築くために従うしかないのだ。


「では、その『レイガー』について、人間国側が今していることは何ですか?」


 講義を一通り聴いた後、シェルは思わずこう質問していた。シェルからの質問を想定していなかった講師が一瞬たじろぐ。その様子を見ても、シェルは質問の手を緩めなかった。


「いいなりだ、と文句を言うことは簡単です。ではこちら側からもできることをしているはずですが、何かありますか?」

「そ、れは……」


 痛いところを突かれたのか、講師は言葉に窮している。その様子を目にしたシェルは講師に向かって今回の講義で感じたことを話した。


「先程の歴史のお話では、人間国は一方的に獣人国から攻め入れられ、敗北したように聞こえました。多大なる犠牲を出したのに」


 その上『生贄政策』をしいられている。つまり人間国は被害国なのだ。

 そう言わんばかりの講義だったとシェルは指摘した。


「人間国側にもやらなくてはいけないことはあるはずです。それを棚にあげて、自分たちは被害国なのだから、加害国にどんな感情を向けてもいい、と思わせるような講義をヴァンちゃんが受けていると思ったら、それは姉として、看過することはできません」


 ハッキリとそう言うシェルを間近で見ていたヴァンが目を見開いた。自分の今まで受けてきていた授業に何の疑問も持ったことはなかったが、シェルはたった一度の講義を聴いただけでここまでハッキリ自分の意見を持てるのか、と。

 獣人国へ『極上のいけにえ』として行く前のシェルを知っているからこそ、その変化にヴァンは驚きを隠せなかった。

 それは講師も同じだったようで、シェルの言葉に返す言葉が見つからなかった。


「今後、講義内容をしっかり見直します……」


 講師はそう言うと、肩を落として部屋を出ていった。ヴァンは扉が閉まったことを確認した後、


「シェル、すごいな! あの先生、自分の言葉は正しいって感じで上から目線で授業するから苦手だったんだ」


 そう言ってシェルに顔を近づけた。シェルはにっこり笑うと、


「そうだったのね。私はただ、本当に疑問に思ったことを質問しただけだよ」


 それに答えられなかったのはあの講師が悪いわけではない。実際、人間国は獣人国のために何かをしている様子はないのだ。レイガーは完全に獣人国の問題だ、と割り切っているためだ。


「でもね、人間国の技術力で救えることってあると思うの」


 それは獣人国へ恩を売るだとか、獣人国よりも優位な立場に立つためだとか、そう言ったものではなく、ただただ純粋に彼らを救うことで人間国も平和へと近付くのではないかとシェルは考えたのだ。

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