二、王子と姫のはじめまして②

「お一人でございますか?」


 そう言って笑顔を向けてくるのは、ゼール王子の傍に付き従っていたはずのフォイだった。


「フォイさん、でしたか? 私に、何かご用なのでしょうか?」

「いえ、用という程のものではないのですが……」


 フォイはそう言うと笑顔に細めていた瞳を更に細くして、シェルに耳打ちをした。


「『極上の生贄』について、姫様はご存知でしょうか……?」

「『極上の生贄』?」


 シェルは初めて聞く単語に思わずフォイの言葉をオウム返ししてしまう。それを聞いたフォイが少し悲しそうな表情になりながら、


「やはり、姫様はご存知ではなかったのですね……」


 そう呟いた。そんなフォイの表情に、シェルの好奇心がむくむくと湧き上がってきてしまう。


「『極上の生贄』とは、一体何ですか?」


 思わず尋ねてしまったシェルに、フォイは嫌な顔一つせずに説明をした。

 ゼール王子は今まで、レイガーの時期になると生贄を使わずに自ら押さえ込んできたという。しかしレイガーの衝動は年々強くなる一方で、今後王位を継承するとなるともう自力ではレイガーの衝動は抑えられないだろう。これは獣人国王宮のお抱え医師の診断によるものだ。


「そこで、ゼール王子には今までにない『極上の生贄』が必要とされているのですよ」


 今までのような、悪く言ってしまえば凡庸な生贄ではもう、ゼールのレイガーを抑えることは不可能なのだと医師が言うそうだ。そこで人間国国王へと『極上の生贄』について打診を行ったという。しかし人間国国王からの明確な返答はまだ貰えておらず、こうしている間にもゼール王子の次のレイガーがやってくるのも時間の問題なのだそうだ。


「姫様ならきっと、この『極上の生贄』のあてをお持ちではないかと思いまして……」


 フォイはそう言うとチラリ、とシェルの方を見た。シェルは何かを考え込んでいる様子だ。それから、


「フォイさん。何をもって『極上の生贄』と定義しますか?」


 そう尋ねた。それを聞いたフォイの瞳がキラリと光る。


「それはですね、血筋、ですね」

「血筋……」

「えぇ、『極上の生贄』にはそれなりの身分の方がふさわしゅうございます」


 フォイの言葉にシェルはしばし考える。

 もしかして、この『極上の生贄』にふさわしい血筋の人間は、自分なのではないだろうか……?

 そう思っていると、


「フォイ」


 突然、低く唸るような声がした。シェルが弾かれたように顔を上げると、その視線の先には褐色肌のゼールの姿があった。


「何をしている?」

「いえ、ちょっとした世間話でございますよ。ね? シェル姫様」


 フォイはにっこりとシェルに微笑みかけた。シェルはその視線を受けてぎこちなく頷く。それを確認したフォイが、


「そんなことよりも、王子。姫様とダンスを踊ってみてはいかがです?」

「は?」

「淑女を誘うのは、紳士の務めでございますよ?」


 フォイににっこりとした表情で言われたゼールははぁ~……、と盛大にため息を吐き出した。それから気持ちを切り替えるように軽く頭を左右に振ると、シェルの前にひざまずいた。


「シェル姫様、一曲、踊って戴けませんか?」


 シェルの目の前に跪いたゼールは、シェルの右手を取ると上目遣いでそう誘った。先程向けられた厳しい視線ではない。ゼールが普段から女性を誘うときにするのだろう視線で誘われたシェルは、即答した。


「喜んで!」


 シェルの顔には自然と笑みがこぼれる。ゆさゆさと揺れる尻尾も、整った顔つきも、褐色の肌も、全てがシェルの持っていないものだった。シェルはその全てに目を奪われながら、ゼールのリードでダンスホールへと入る。それから、音楽に合わせてダンスを始めるのだが、


(ゼール王子、リードが上手……)


 ゼールは女性と幾度も踊ってきたのだろうか。シェルの歩幅に合わせてゆっくりと踊ってくれる。そんなゼールの厚い胸板を感じながら、シェルは幸せな気持ちになる。


(これなら、今回のパーティーに来たかいがあったわ)


 フワフワとする頭の中で、シェルはそんなことを思う。シェルがふと視線を向けると、そこには音楽に合わせてゆらゆらと揺れている尻尾があった。長く、太く、ふさふさの尻尾はそれだけでシェルを魅了する。

 シェルはその尻尾に見とれていた。すると、足元が疎かになってしまい、自分のドレスの裾を踏んでしまう。


(あっ……!)


 これは転んでしまう!

 シェルがそう思った時だった。腰に回されていたゼールの腕にグッと力がこもり、シェルが倒れそうになったところをしっかりと支えてくれた。こんな経験は今までの貴族たちとのダンスでもなかったことだ。


「あ、ありがとう、ございます……」


 シェルは恥ずかしさから小声になってしまうも、ゼールへと礼を言う。きっとゼールには聞こえていないかもしれない。そう思うほど小さな声だったのだが、


「しっかりしろ、姫」


 頭上から呆れたような声が返ってきた。獣人族の聴力は人間よりも優れているのかもしれない。

 口に出した礼をしっかり聞かれていたことがシェルを余計辱めたのだが、シェルは残りのダンスをしっかりと足元に留意しながらダンスを踊っていった。そうしてゼールとの夢のような一曲のダンスが終わってしまう。

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