二、王子と姫のはじめまして③

 曲が終わった瞬間、周囲から拍手が二人へと送られ、どうやら先程ダンスをしていたのはゼールとシェルの二人だけだったようだ。ゼールは曲が終わった後もしっかりとシェルをリードし、ダンスホールから退場した。そうしてフォイの元へと戻った時、


「これでいいだろう? フォイ」

「大変素晴らしゅうございました」


 ゼールに声をかけられたフォイは美しい白い顔に笑顔を貼り付けると、そう返す。


「では、我々はこれで。シェル姫様、また」


 フォイはシェルにそう声をかけると、ゼールを連れ立ってその場を後にした。残されたシェルは先程までの夢のようなダンスの時間の余韻に浸る。

 しっかりと鍛え抜かれたあの腕の筋肉や胸板は、人間にはないもののように感じた。いや、もしかしたら人間も鍛えたらあのようになるのかもしれない。しかし筋肉のしなやかさはやはり獣人族独特のもののように感じられた。


(それに、あのふさふさの尻尾は……)


 やはり人間にはないものである。

 どうにかしてあの、ゆさゆさと揺れるふさふさの尻尾を触ってみたいとシェルが考えていると、


「なぁ」


 下から声がかけられた。シェルが何事かと声のした方を向くと、そこには正装に身を包んだヴァンが、しっかりとシェルを見上げて立っていた。


「どうかしたの? ヴァンちゃん」


 シェルはしゃがんで目線をヴァンに合わせる。ヴァンはシェルの目をしっかりと見つめながらこう言った。


「シェルはさ、どこにも行かないよな?」

「え?」


 急なヴァンからの言葉に、シェルは面食らってしまう。


「王妃様の時みたいに、シェルは、どこにも行かないよな?」


 不安げなその言葉に、シェルは笑顔を向けた。


「大丈夫、私は死にませんから」

「そうじゃなくって……」

「あっ!」


 まだ何かを言い募ろうとしていたヴァンだったのだが、シェルはダンスホールの上にある時計を見て声を上げた。はからずとも、それはヴァンの言葉を遮る形になってしまう。

 時計を見やったシェルは、


「ごめんね、ヴァンちゃん。私、もう行かなくちゃ……」

「ちょっ! シェルっ?」


 慌てるヴァンをよそに、シェルは立ち上がるといそいそと用意されていたダンスホールの隣にある控え室へと向かうのだった。




 獣人国王子、ゼールの王位継承を祝うパーティーが終わって数日が経った。この数日間、シェルは離れの小屋で家事を行っている間にボーッとする時間が増えていた。


(カッコよかったなぁ……、ゼール王子……)


 気付けば頭の中を占めるのはゼールのことばかりになっていた。あのたくましい胸板に包まれて踊ったダンスの時間はまさに夢のような時間であり、低く唸るような不機嫌そうな声音もまた、シェルの心を動かすのに十分だった。

 そもそも、シェルは箱入りの姫だったため、男性とのふれあい経験がほとんどなかった。パーティーで踊ることはあっても、それ以上のことはなく、心を動かされることも全くなかったのだ。しかし今回、ここまでシェルの心を動かしたのは、ゼールが整った顔つきをしているからだけではないだろう。


(獣人族の方々って、みんな、あのような体格なのかしら?)


 シェルの心を動かしたのは、ゼールの見た目だけではなく、その種族が獣人族であるところだったのだ。長年、獣人族の存在は聞いていたが、やはり初めて目にした獣人族の立派な姿は、シェルの心を大きく動かした。


(何より、あの尻尾は素敵よね)


 目を閉じれば鮮明に思い出すことが出来る。シェルは褐色の肌から出ていたふさふさの尻尾を思い出していた。あの尻尾が何よりも獣人族を美しく見せているとまで、シェルは思っていた。


(もう一度、いいえ、出来ることなら、ずっとゼール王子のお傍にいたい……)


 シェルは日に日にそう思うようになっていた。そんなシェルの脳裏に一つの言葉が思い出された。それは、




『極上の生贄』について、姫様はご存知でしょうか……?




 そう問いかけてきた、フォイの言葉だった。


(確か、血筋が良い者が『極上の生贄』になる権利があったのよね?)


 シェルはそこまで考えると、いてもたってもいられなくなっていそいそと着替えを始める。これから王宮の父王に会おうという心づもりだった。

 身支度を終えたシェルは鏡の前で母王妃の形見である古いネックレスを身につけると、離れを後にし王宮へと向かうのだった。

 王宮に辿り着いたシェルは国王の側近に現在の父王の様子を尋ねた。


「国王様はこのあと、少しの休憩時間に入ります」

「では、その時間に面会を許可して貰えませんか?」

「かしこまりました」


 側近はシェルにそう言うと、どこかへと姿を消した。シェルがその場でしばらく待っていると、


「あ、シェル!」

「ヴァンちゃん!」


 国王になるべく教育を受けているヴァンが駆け寄ってきた。どうやらちょうど、授業の合間時間に入ったようだ。


「王宮で会うなんて珍しいな!」


 ヴァンは笑顔でシェルに言う。シェルはいつものようにしゃがんで、ヴァンに目線を合わせると、


「実は、『極上の生贄』についてお父様とお話ししようと思って」

「『極上の生贄』だって?」


 シェルの言葉にヴァンの眉毛がピクリと動いた。そんなヴァンにシェルは先のパーティーでフォイに言われたことをヴァンに説明する。


「まさかとは思うけど、シェル……」

「うん。私が『極上の生贄』になろうと思って」

「ばっ!」


 思わず大声を上げそうになったヴァンは慌てて自身の口元を押さえる。それから声を潜めてシェルに言った。

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