一、人間国と獣人国④
そうしてパーティー開始の時刻まで控え室で待っていると、突然玄関ホールの方が騒がしくなった。と言っても、玄関ホールから少し距離のあるシェルの控え室にはその騒がしさは伝わってこなかったのだが、
「姫様! 姫様!」
「なぁに?」
「ゼール王子が到着されました!」
「えっ?」
急いで駆けつけてきた侍女によってシェルにもその騒ぎが伝わることになった。いよいよ獣人族をこの目で見ることが出来るのだ。シェルはいそいそと椅子から立ち上がると、そっと控え室の扉を開いて玄関ホールへと向かおうとした。
「あっ! いけませんよ、姫様!」
侍女が止める声がするが、シェルは後ろを振り返ると、
「大丈夫、見つからないようにするから!」
そう言ってドレスの裾を両手で持ち上げながら玄関ホールへと駆け出してしまうのだった。
さて、玄関ホールでは初めてやって来た人間国の王宮で、獣人国の王子であるゼールが冷や汗をかいていた。
「フォイ」
「はい」
「人間とは、こう言う生き物なのか……?」
「こう言う、とは?」
ゼールは傍に控えていた秘書のフォイへと言葉をかける。フォイはゼールが一体何に対してこんなにも冷や汗をかいているのかが分からない。真っ白な耳をピクピクとさせながら周囲を警戒しつつ、ゼールの言葉を待っていると、
「人間たちの視線が、痛いんだが……」
ゼールは少し戸惑ったような声を上げた。
王宮前で馬車を降り、玄関ホールへと入った途端、獣人族の客人に興味津々だった王宮内の使用人たちがその姿を一目見ようと集まっていたのだ。しかし直接ゼールたちに声をかける勇気がある者もおらず、測らずともゼールたちを中心に一定の間隔で円が出来上がっている。その円の外側にいる王宮の使用人たちの目はゼールの尻尾や耳に釘付けのようだ。
そんな好奇な視線に晒されているゼールは居心地の悪さを隠すことをしなかった。
(人間とは、全く、野蛮な生き物だな……)
次の瞬間、ゼールはそう呆れるのだった。
「獣人国次期国王、ゼール王子様、ようこそ、人間国へ」
そこへ人波をかき分けて初老の執事と思われる人物が姿を現した。ゼールとフォイはその人物へと顔を向ける。
「招待、感謝する」
ゼールは心にもない感謝の言葉を口にした。その言葉は剣呑としており、聞いている人間の本能に恐怖を感じさせるものだった。初老の執事もピクリと眉尻を動かしていたがその表情は全く動じていない。
「このたびは、我が国の王が不参加となってしまったこと、誠に申し訳ないです」
対してフォイの声は柔らかく、その顔には笑顔が浮かんでいた。ピンと立った頭の上の耳がピクピクと動き、周囲を警戒していることはきっとここにいるゼール以外は気付いていないだろう。フォイの態度はそれだけ人間に対して友好的に思えるものだった。
初老の執事はゼールたち獣人族を見に来た野次馬たちを注意することなく、静かな声で彼らにこう告げた。
「国王が待っておられます。さぁ、こちらへ」
その態度にゼールはますます目を細める。フォイは困ったように笑うとそんなゼールの様子に軽く肩をすくめるのだった。
そんな一行の様子を見ようとやってきていたシェルだったが、
「み、見えない……」
野次馬たちの大きな壁に遮られ、この時にゼールたちを見ることは叶わなかった。
「一目でもいいから、見たかった……」
シェルは肩を落としたまま用意されている控え室へと戻る。
「どうでしたか? 姫様」
「何も見えなかったわ……」
「さようでしたか……」
戻ってきたシェルの髪の毛やドレスを調えながら、侍女もシェルと共に落胆してくれる。
「それでも、姫様はパーティーでゼール王子とご一緒になるのですから! きっとお目にかかれます」
侍女の言葉にシェルは落としていた顔を上げる。その表情はなんだか自信がなさそうだ。シェルの今にも泣き出しそうな顔を見ていた侍女は、
「さぁさぁ、そんな悲しそうな顔をなさらないでください。せっかくのお綺麗なドレスに負けてしまいます」
そう言って勇気づけた。そうしていると突然控え室の扉がノックされた。間もなくパーティーが始まると言う合図のようだ。その合図に気付いた侍女が、
「いってらっしゃいませ、姫様」
そう笑顔でシェルの背中を押す。
こうしてシェルは、幼い頃から親しんできた侍女に見送られながら、久しぶりとなるパーティーへと参加すべく、隣接するダンスホールへと向かうのだった。
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