おまけSS 狐と怪物の邂逅

 ―――――――チリリンッ

 涼やかな、鈴の音が鳴った。


 底抜けに青い夏空の下、音を追いかけて彼は辺りを見回した。一括りにされた長い白髪が、その背中でさらりと揺れる。この暑さのせいなのか、不思議と辺りに人気はなかった。いつもは足元に纏わりついてくる黒猫すらも、気づけば消えている。そのの姿を追い、彼は視線をさまよわせた。そこで近くの玄関先に丸まった異物を見つけた。思わず、彼は首を傾げる。


「んー? そうなのー?」

「なぁん」

「そうなのねー? んんー、ほんと、どこも大変よぉ」

「なぁん」


 路面の上では、見慣れた黒猫と、見知らぬ巨大な三毛猫が会話をしていた。正確には、黒猫の相手は三毛猫ではない。薄手の三毛猫の着ぐるみを着た人間が、ぺたりと地面に伏せているのだ。その頭では、三角の耳が垂れている。それを見て、彼はある不吉な光景を思い出した。彼の妹も、寝る際には何故かボンボンのついた奇妙な帽子を被る癖があった。流石に猫耳をつけているのを見たことはなかったが、奇抜さにそれほど変わりはあるまい。彼は目を不機嫌に細め、黒猫の名を呼ぼうとした。


「ん、んー? あの人がそう?」


 そこでぐるりと三毛猫が振り向いた。琥珀色に蕩けた目が、彼を見る。三毛猫の着ぐるみを着た少女は、なにを黒猫から聞いたというのか、小首を傾げ、にっこりと笑った。


「あなた、狐ねぇ」

「…………………………わかるのかい?」

「でも、もう、お耳も尻尾もないのねぇ」


 ひょいっと、自身の猫耳の上に更に耳を形作るかのように、彼女は立てた掌を押し当てた。彼は一瞬、返事に迷った。狐が耳も尻尾も失い、もう誰も騙せなくなったのだとしたら、それはあるはた迷惑な男のせいだろう。だが、彼には少女の言葉を認める気はなかった。それを否定するべく、彼は口を開く。


「君にいったいなにがわかるというんだい? それに、そう言う君は、人か獣か」

「はーい、有亜ー、もー、そんな格好でお外にいたら熱中症になっちゃうぞー、ねっ、ちゅーしよう、なんちゃって、キャーッ!」


 その瞬間、騒々しく少女の傍の扉が開いた。ある青年が道まで飛び出してくる。顔を覆い、青年はなにやらわめいた。それから両の掌を外し、少女の前にしゃがみこむ。彼はそこで初めて、まともに青年の顔を見た。青年は爽やかとすら言える、細フレームの眼鏡の似合う美形だった。三毛猫はとろりとした目を青年に向け、両の手をくるっと丸める。


「有汰兄、狐さんよぉ、コンコン」

「んー、有亜は抜群に可愛いけど、こんな街中に狐なんて、そんなもんいてたまるもんですかって………おや、どこの誰とも知らない方がおいでだねぇ。ここは一応、紳士的に挨拶をしておこうかな。やぁ、コンニチハ、いい天気ですねッ!」


 急に、明るい声が、彼の方にも飛んできた。立ち上がると、青年は彼を正面から見つめてくる。その顔には、相変わらず爽やかな笑みが浮かんだままだ。敵意は特に感じられない。だが、その目を見て、彼は一瞬であることを察した。


「ところで、うちの子に、なにかぁ?」

「………………いや、なんでもないよ」


 コレは、関わり合いにならない方がいいたぐいの人間だ。そう、彼は判断した。その昔、狐だった頃、彼は望みを持つ人間の手を握り、歪ませ、狂わせたことがある。目の前のコレは、決して彼の手は取るタイプの人間ではない。だが、別の形に歪だった。コレは、既に誰かの手を握っている。そして、相手が死に、その手が腐り落ちたとしても放しはしないことだろう。青年は、そうした不気味さを感じさせる目をしていた。


「さぁ、有亜ー、クーラーの効いた部屋で、お兄ちゃんとおやつを食べよー。お外は危ないよー。お家は平和だよー。あっ、猫ちゃんごめんねー」

「なぁんっ!」

「じゃぁ、ご機嫌ようっ!」


 素早く三毛猫を抱きかかえるようにして、青年は家へと戻った。後には不満げな黒猫が残される。やがて、黒猫はふんすと一つ鼻息を漏らし、彼の足にごろごろと背中を押しつけてきた。それを邪険に無視し、けれども、追い払わないままに、彼は歩き出した。


「………しつこく擦り寄っても無駄だよ。しばらく、鰹節はお預けさ」

「なぁんっ!」


 違うと言うように、黒猫は鳴いた。引き続き甘えてくる猫を無視して、彼は歩き続ける。だが、不意に足を止めた。振り返ると、やはり道には人気はない。彼は低く呟いた。


「まさか、こんなところにもいるとはね」

 

 一見平穏な住宅街にも、魑魅魍魎の棲むという。

 そして、彼は再び、黒猫を連れて、旅へ戻った。

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真夏の夜の邂逅夢/B.A.D.×ヴィランズテイルコラボ小説 綾里けいし @ayasatokeishi

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