ラストエピソード・Side O

「なかなかいい肝試しだったね。思わぬ成果があったよ」

 誠に残念なお知らせだが、突然、繭墨あざかは壊れた。


 チョコレートを差しだす手を止め、僕は顔を上げた。革張りのソファーに横たわった繭墨は、気だるげな様子で窓の外を眺めている。黒のゴシックロリータに包まれた体は、夕暮れの濃密な橙色に照らされていた。絵画のような美しい光景だ。だが、その口から出た言葉は、意味不明である。僕は首を傾げた。彼女にならい、遠い空へと視線を投げる。


「……綺麗な空ですね」

「僕は特に感慨は覚えないけれどもね」


 夕日の中に巨大な入道雲が浮かんでいた。うだるような暑さを感じさせる光景だ。だが、部屋の中は、。新しい空調の取りつけが、早々に終わったのは幸いだった。珍しく、繭墨が業者に直に連絡を取った結果、事はトントン拍子に進んだのである。省エネ機種を選ばなかったことや、少し値段が高かったことに、不満はあった。だが、金を払うのは繭墨なのだから、彼女がいいと言えばいいのだろう。僕の手から、繭墨はチョコレートを受け取った。それを眺め、僕は首を横に傾げる。


「それと繭さん、いったい、なにを言ってるんですか? ?」


 突然、なにを言い出すのだろう、この人は。もしかして、行きたいのだろうか。寒気が背筋を駆けおりた。試しに想像をしてみよう。繭墨あざかと肝試し。あまりに不吉すぎる。僕の言葉に、繭墨は顔を傾けた。彼女は長い睫毛を伏せる。


「そうだね、別に行ってはいないさ。いやぁ、それにしても、いい風だね」

 やはり、クーラーがある部屋は、いいものだよ。そう、繭墨はご機嫌だ。


 当然のことなのに、いったいなにがそんなに嬉しいのだろう? 珍しいこともあるものだ。チョコレートを食べ終えると、繭墨は満足げに体を横たえた。その姿を眺めながら、僕は再び首を傾げた。目を軽く閉じた彼女を前に、僕は椅子に座り直すと何となく呟く。


「………………………………………………肝試しと言えば、ゾンビですよね?」

「ゾンビは日本らしくないよ、小田桐君。日本人ならば墓場で運動会の方だね」


 僕は、再度首を捻った。確かに、彼女の言う通りだ。日本での肝試しに、通常、ゾンビは関係ない。脳内に謎な映像も浮かぶが、ゾンビと追いかけっこなど馬鹿げている。


 本当に、僕はどうしたのだろう?

 

 思い悩みながら、僕は遠い空を見上げる。そこには、鮮やかな夕暮れが広がっている。今日の夜も暑くなるだろう。肝試しにはもってこいの日に違いない。


 だが、僕達はどこにも行かないのだ。


 僕は机の上に視線を向ける。繭墨が食べ残したチョコレートの中に、玩具の兵士の形をしたものを見つけた。僕はそれを掴みあげる。なんとなく、それを前へと弾いた。兵士は少し飛び、落ちる。何だか、不思議と愉快なような、ツッコまずにはいられないような、そんな心持ちになった。僕は、小さく呟く。



「…………………………………超、適当ですね」



 僕は首を横に捻る。本当にどうしたのだろう。

 この感覚も、一日経てば、消えるのだろうか。



 夕暮れは、徐々に澄んだ紺色へと沈んでいく。

 かくして、僕の平穏な一日は終わりを告げた。

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