10・Side A
神様が、どうにかしてくれたらなぁ。
と思った瞬間、箱が突っ込んできた。
大事なことなので、二回言います。
箱が、突っ込んできた。
平行にすっ飛んで来た箱を、ガシッと子供は受け止めた。その顔に、今まで見たことのない表情が生まれましたよ。黒い煤が綺麗に払われて、その目が大きく見開かれて、可愛らしい女の子が、って、わぁ、いい笑顔。俺は思わず呆然と、その顔を見つめる。彼女はぎゅっと大切そうに、箱を抱き締めた。その姿が薄れ、薄れて。
「………き、消えおった」
「うーん、超展開だねぇ」
俺達がいないところで、なにがあったのだろうか。いったい、スッ飛んできた箱はなんなのか。誠に解せない。覚悟を決めてラスボスと戦っていたところで、指輪を火口に放り込まれたような気分である。俺は慌てて、後ろを振り向いた。そこには、もうゾンビの姿はない。それどころか、強固に維持されていた、灰で造りあげられた部屋すら消えていた。
後にはもやもやした、奇妙な空間だけが残されている。
煙が霧のように、上も下もない曖昧な世界を覆っていた。これはいったいなんだろう。空間を固めていた執着が崩れ、その名残りだけが、ふわふわ漂っている感じでしょうかね。うーん、この分析。我ながら不思議状態に慣れたものである。嫌な方面にメンタルが鍛えられちゃったわ。そういう進化は遂げたくないってのに。Bボタン連打で、キャンセルできないかしら。無駄かしら。
「まあ、ありやんの進化問題は置いておいて……おーい、無事ですかー?」
繭墨さんは、と俺は視線をさまよわせた。だが、探すまでもなく彼女はすぐに見つかった。繭墨さんは俺の隣にふわふわと浮かび、唐傘を回している。うーん、優雅な空中浮遊。不思議の国のアリスを思い出しますね。何となくファンタジーの住人っぽいご様子。
「繭墨さーん、最重要なことをお尋ねしますが、このまま漂ってたら、俺は元の世界に戻れますかね? 一緒に消滅っていう結末なら、妹と初姫ちゃんを思って泣きますが」
「あぁ、戻れるともさ。だが、ボクにはこのまま、素直に戻る気はないけれどね?」
おや、なんか怖いことを言われた。なんですか。この空間を利用して、新たな罠を作り、ゾンビ軍団を量産するのだーとか、この人は………言わないだろうなぁ。わざわざ世界征服なんてしなくても、ワールドイズマインって認識してそうな人だし。いや、ちょっと違うか。この人は世界に自分のものにする価値を、微塵も感じていやしないタイプだ。
「拝啓。繭墨さんにおかれましては、いったいなにをなさるおつもりなんでしょーか?」
「安心したまえ。そこまで悪いことじゃないよ」
繭墨さんの黒いレースが、美しく空中を漂う。うん、なかなか綺麗な光景だ。灰色の霧の中を、白い足が動く様は、まるで人魚姫のようですね。喩えに童話を使いすぎです。繭墨さんはふわふわと下がってくると、俺を前から真っ直ぐに見つめた。大きな目が、俺を映す。わざわざ視線を合わせてくれるとは。一時の部下としては光栄なことですわ。
「思い出してご覧? ボクは君に言っただろう? ここは空間と時間が、共に歪められている。そこで、ボクが着目したいのは、時間の方さ。今のこの空間………異界には、時間を捻じ曲げるための要素が充満しているんだよ………流石に、時間を弄るのは、普段は何の手助けもなければ無理だがね。これを利用すれば、面白いことができそうだ」
「あらなんか、SFも真っ青なことを、やらかそうとしてらっしゃる予感が」
「その通りさ、有哉君? そもそも、君とボクとの出会い自体が、ねじ曲がったものだったしね―――――教えてくれるかな? 君は、何年から来たんだい?」
繭墨さんの言葉に、俺は今年の年号を口にした。
同時に、繭墨さんも彼女が生きる年代を答える。
それに、俺は目を見開いた。うっわー、五年も前じゃないですか。どうりで、エントランスには俺達以外、誰もいなかったはずである。この部屋は、飲みこんだ人間をその時代に関係なく、二人ずつ一緒にしていたらしい。と、いうことは、俺はもっと別の時代の人間と、シャッフルされる可能性もあったわけか。繭墨さんは不吉なお人だったが、パニックを起こして自暴自棄になるような別の誰かと一緒にされなくてよかったと思う。
ほら、こういうホラー物って、一緒に閉じ込められた人間のせいで、死ぬのが鉄板だし。その点、繭墨さんならダークヒーロー的に死なないか、実は黒幕かの二択だろうしさ。
「わー、知らなかったー。繭墨さん、そんな前の人だったんですねー。スマートフォンとか、普及してない世界の予感。連絡一つ取るのにも、色々苦労しそう」
「まぁ、ボクと君のいた年代では、技術の発達に様々な違いはあるだろうね。さて、この空間は、現在、全ての時空から切り離されている。だからこそ、ちょっと無理を通せば、どこへでも帰れるだろうさ。その際、どんなパラレルワールドが発生するか、今のボクがある時点に帰った結果、本来そこにいたボクがどうなるかは、知ったこっちゃないよ。一応、聞いておこうか。有哉君?」
君は、帰りたいタイミングはあるかい?
繭墨さんはそう俺に尋ねた。うーん、話を聞く限り、初姫ちゃんとはぐれた後にしてもらった方が何かと面倒がない予感。でも、その場合この記憶はどうなるんでしょうね。何度も言いますが、俺はこの不吉極まる美しい少女の皮を被った何者か、略して美少女との出会いを、覚えておきたくないんですよ。ゾンビ映画並みの、ホラーな記憶についても同様だ。有坂有哉は、平穏を好む人間です。既にサスペンスホラーな記憶が詰まった脳に、これ以上の負担はかけたくないんですよ。脳味噌がオーバーヒートするわ。
別に、さ。繭墨さんみたいな人のことは。
決して、嫌いなわけじゃないんだけどね。
だって、俺達、色々と話は早かったし。
仲良くしたくは全くないわけだけどさ。
「……………………それじゃあ、ですね」
そして、俺は口を開いた。
その答えに、繭墨さんは黙って頷く。
彼女は紅い唐傘をくるくると回し始めた。
別れの言葉すらない。
この人と、さよならを言いあえる人間なんて、この世の中にいるんだろうか。唯一それに該当しそうな、小田桐某とは、結局会わないままで終わってしまった。まぁ、五年後、彼が生きているのなら、どっかの古本屋とかで、ばったり出くわすかもしれないし。出会っても、それが誰だか恐らくわからないだろうという、弊害はあるだろうけれど。
まぁ、別に、積極的に知りあいたいになりたいわけじゃないしね。
似てるようで、似てない苦労人になんて、全く会いたくはないさ。
ぐるぐるぐるぐる、世界は回って、とろとろとろとろ、全てが消えていく。
あっ、そう言えば、もう終わりだし、あの子の希望について考えなかった。
いつのどこに戻るのか勝手に決めちゃってごめんね、初姫ちゃん。
お詫びに今度、一緒に、ファミレスでも、連れて行ってあげよう。
初姫ちゃん、確かクーポン集めてたし。
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