9・Side O
初姫は、僕の首を横にグギッと捻り、飛び降りた。
一瞬、彼岸を見たが、無事、目的は達したらしい。
「すたっと着地、見事な活躍、キュア初姫!」
「そろそろどこかから怒られますよ!」
「清く正しい大人からの𠮟責は甘んじて受けなくもないですが、今は見てください。ちゃんと探し物は手に入れましたよ」
彼女の腕の中には、埃塗れの、よろよろの箱が抱えられていた。中には目がぴかぴか光る、安物のロボットが入っている。いったい、子供の父親は、これをどこから探してきたのだろうか。数年前には、既に売られていたとは思えないような、実に古典的な玩具だ。だが、それを見つけたはいいものの部屋から特に反応はなかった。この結果は予想していなかったので、僕達はそれなりに戸惑う。僕は辺りを見回してみるが、突然子供が現れて涙ながらにロボットを抱き締める、という展開はなかった。亡霊の本体がどこにいるのかすら、僕にも初姫にもわからない。いったい、これからどうすればいいんだろうか。
だが、その時、僕の肩にぽんっと手が置かれた。
僕は顔を上げる。虚ろな目をした人がぬうっと。
ゾンビと僕の視線が、見事、コンニチハした。
「うわあああああああああああああああああああああああああッ!」
「あららっ、これはこれは」
僕は初姫の腰を抱き、再び走り出した。そう言えば、ゾンビの存在を忘れていた。
肩に沁みついた、何かの液体がとても辛い。僕達は円を描きながら、逃亡を再開した。そろそろバターになりそうな気がする。僕は唇を強く噛み締めた。せっかく、この状況をなんとかできそうな物を見つけたのに、僕達にはどうしようもないのか。僕に担がれながら、初姫は箱を上下に振る。特に落胆した様子もなく、彼女は不満げに唇を尖らせた。
「うーん、オリジナルらしき物を見つけても、まさか無反応とは思いませんでした 私に有哉君、小田桐さんにドリンクバー、亡霊さんには安物の玩具と思ったのですが?」
「真ん中は、真ん中は否定させてくださいッ! どうしましょうね、これからッ!」
「この状況下でもいちいちツッコンでくれる小田桐さんの律義さは、賞賛に値すると、私の中で専らの話題ですね。即反応が癖になったら、どうしましょう。さてはて、ここで、私の灰色の脳細胞は、新しい疑惑に気づいてしまったわけですが、ビビビッ!」
「ポアロは、そんなこと言わないッ!」
「私達、気がつけば二人きりですね?」
「凄く今更ですッ!」
どうしよう、叫び続けていたら喉が渇いてきた。冷たい水を煽りたいところだが、蛇口を捻っても何も出てこない。こんなことで体力を消耗してどうするのだろうか。足も随分疲れてきた。僕はふらふらしながら、ゾンビから距離を取り続ける。そう言えば、初姫が降りてくれれば大分楽になるのだが、彼女に自分から動こうとする様子はない。
「あのですね、小田桐さん。なんで、私達は二人きりなんでしょうね?」
「なんでって、それは、僕達がはぐれてさ迷っているうちに、出会ったからでは」
「運命の出会いっぽくて大変いい表現ですが、今一度、この部屋に辿り着いた時のことを思い出してみてください。私と似たような状況だったのなら、小田桐さんは壁伝いに歩いていたら、目の前に扉が現れたので、中に入ったはずですよ。つまり、私達はこの部屋へと誘導されたようなものなんです。それなのに、二人きりなのはおかしくないですか? 四人全員、同じ部屋に招かれてもよかったはずでは?」
「………それは、確かにそうですが」
「その理由を推測しますね。このワンルームに、子供は父親と二人きりで棲んでいました。だから、この部屋に三人以上の人間を閉じ込める発想が、子供にはないのではとないか思うんです。この部屋には、二人しか入れない。それがルールなんですよ。きっと、有哉君と繭墨さんも、ここと同じで、違う空間に囚われているのではないかと」
「それはわかりませんが、子供にはこの部屋へのこだわりがあるようですから……同じ造りの……いえ、全く同じ、別の場所で拘束されている可能性は、確かにありますね」
僕はそう応えた。この部屋のコピーが、異界に多数作られていたとしても、驚くには値しないだろう。僕に担がれたまま、初姫はぶらりと体を揺らした。彼女の灰色の、エキセントリックな脳細胞は、どうやら高速稼働しているらしい。彼女は手に持った箱を、上下に勢いよく揺らした。ガシャガシャと、中で安物のロボットが、音を立てて揺れる。
「ですが、この部屋のコピーを複数作ったところで、観察者である子供は一人だけでしょう? もしかして、もう一個の部屋でなにかがあったから、私達がこのロボットを見つけたことに、子供は気づけていないのかもしれません。失礼な話ですよね。閉じこめたのなら、二十四時間三百六十五日、私達のことを見守っていてくれなければ困ります」
「僕はそんなに長い間、閉じこめられるのは嫌です」
「安心してください。最初の三日程度を除いて、後はゾンビ化され、人間ではなく、物カウントとなり、他の人達と改めて一緒な仕様です。さて、そんな時はどうすればいいんでしょう、かッ!」
「あだーッ!」
突然、初姫は僕の脇腹を突いた。とても痛い。転びかけ、僕は危うく姿勢を正した。進行方向は左へずれる。見ると、初姫はそのまま窓の方へ走れとクイッと顎を横に振ってきた。この子、悪魔か。ここまでの横暴は、何度も言うが繭墨にもやられたことがないのだ。恐ろしい子すぎる。多大な不満を飲みこみながら、僕は大人しく窓辺へ走った。
「で、窓辺に来て、どうするんですか、初姫さん?」
「……………この暗闇には、触れたことがありませんでしたね、小田桐さん?」
初姫は真剣な様子で、ベランダの外に広がる暗闇を眺めた。僕も神妙な顔で頷く。
確かに、その通りだった。外の暗闇はあまりにも濃すぎる。腕を入れれば、そのまま飲まれそうな気がした。不用意に触ることすらためらわれる。いったい、これがどうしたのだろうか? 僕に担がれたまま、初姫は真剣な眼差しで、果てのない暗闇を見つめている。
「この先が、どこに繋がっているかはわかりません」
「…………………………………ええっ、そうですね」
「恐らく、どこにも繋がってなどいないのでしょう」
「………………………………ええっ、そう思います」
「つまり、ここに飛びこめば闇に食われるわけです」
「……………………………ええっ、恐ろしい話です」
「この闇は、いったい、誰の管轄なのでしょうね?」
「………えっいや、うーん、そんなこと言われても」
急に、初姫は澄んだ瞳で、話題の方向性を変えた。誰の管轄と言われても、僕は戸惑うばかりだ。僕の返答は期待した反応ではなかったのか、初姫は唇を尖らせ、訂正した。
「管轄という言葉は、適切ではなかったかもしれません。この闇も、恐らく子供が作ったものなのでしょう。見るからに危険なここに飛びこめば、流石の子供も、私達がなにかをやっていることに、気づくのではないでしょうか? 闇に飛びこんだ相手を手元に引き寄せるか、放置するか、衰弱死したところでクローゼットに入れるのかは、子供の気紛れ次第でしょうが、重要なのは、『恐らく気づくだろう』という、期待感です。『気づいた』結果、これを引き寄せて欲しいなぁと、私は切に願います」
「………………………………えっ、えーっと、初姫、さん? 僕には話がよくわからな」
「と、いうわけで」
瞬間、初姫は腕をあげた。彼女は僕に担がれたまま、体を逸らす。まさかと思った瞬間には遅かった。彼女は特に根拠なく、なんのためらいもなく、振り上げた箱をブン投げる。
切り札のはずのソレは、高速で闇に突っこんでいった。
「届けッ! 有哉君へッ!」
「超、適当ですねッ!」
初姫と僕の心の叫びも、闇の中に吸い込まれる。
平行にすっ飛んだ箱は、そのまま消えていった。
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