5・Side O
「繭さあああああああああああああああああああん、どこですかああああああああああああああああああああ、繭さああああああああああああああああああああんッ!」
「小田桐さん、気をつけてください。ゾンビ映画はパニック起こすと死にます」
そんなお約束を、淡々と語られても大変困る。
と、いうか、なんでこの子は、こんなに冷静なのだろうか。
部屋をぐるぐるさまよったあげく、クローゼットの扉を開けたのが運の尽きだった。中からまさか、事態を打破するなにかどころか、動く死体が現れるとは思わない。本来ならば、犠牲者の無残な末路を憂うべきなのだろうが、僕は全力で取り乱していた。そして、初姫を連れて逃げ回っている。
「急になんなんですか、この展開!」
「まあまあ、ゾンビ映画の展開って冒頭はホームビデオ風だったりしますし」
「さっきまでも、別にホームビデオじゃなかったですよね⁉」
「それはそれ。これはこれ」
「どれ⁉」
普段の怪異よりも物理的な脅威にぶつかれば、多少慣れていようが戸惑いもする。僕はゾンビ映画は得意ではないのだ。だが、初姫の方は相変わらず冷静だった。
「まあ、落ち着きましょう、小田桐さん。走りながら深呼吸して」
「無茶振り!」
「ひっひふー、ひっひふー」
「ラマーズ法!」
彼女は淡々と僕の隣を走っている。部屋から出ても同じ部屋に入るだけなので、僕達はさっきからぐるぐると、リビングの中を円を描いて逃げ回っていた。単調な逃亡に飽きたのか、初姫は無意味に速度をあげるとゾンビの背中にぶつかりかけ、立ち止まった。どうしよう、混乱しているのが、馬鹿らしくなってくる。だが、完全に足を止めたらどうなるのか試したくなどなかった。走り続けなければならない状況に、変わりはない。
「さて、どうしましょうね、小田桐さん。彼らには一口噛まれたらアウトなのか、意外といけるのかが、気になるところです。ここは、ぜひ実験をしてみたく思いますが、一人が倒れれば戦力半減な状況下では、そうもいきませんね。人生は過酷です」
「も、もしかして、三人いたのなら、一人はちゅうちょなく生贄にしたんですか?」
「まさか誤解です。私はそんな非道な人間ではありませんよ、お父さん。せいぜい一人がうっかり躓いて食われてしまっても、尊い犠牲として合掌と共に見送るくらいです」
「見送らないで下さいよッ! あと、何ですか、お父さんって」
「わざわざ、そこをツッコまれたのは初めてですよ。なかなか新鮮な反応を得てしまいましたが、こうして有哉君の不在時に初体験を重ね、大人の階段を昇ってしまうのはどうかと思わなくもないですね? それについて、小田桐さんのご意見はどうですか?」
「お、大人の階、段?」
「大人の階段を昇っている君は、まだシンデレラだという説もあり、その先には新たな」
「繭さああああああああああああああああああああん、どこですかあああああああああああああああああああ、繭さああああああああああああああああああああんッ!」
この子は、僕には対応しきれない。素直に助けを求めてみるが、返事はなかった。
後ろからはゾンビが迫り、焦げた空間に逃げ場はない。いったい誰のどんな思考が、この空間をこれほどまでに歪めたのか。この地に捕えられ、朽ちた人間の末路は背後の数体が告げている。僕の隣で、いつの間にか後ろ向きで走っていた初姫は気だるげに呟いた。
「それにしても………何故、彼らはこんな風になってしまったんでしょうね?」
「それは、この怪異を起こしている元凶に聞くしかッ!」
「だって、おかしいとは思いませんか、小田桐さんや?」
「この子ッ! 聞いてないッ?」
衝撃だ。僕の話を完全に無視して、初姫は片手を挙げた。綺麗な爪先が室内のあちこちを指し示す。そろそろ完全に記憶しつつある内装を、彼女は走りながら辿ってみせた。
「ちなみに、この整った爪は、私のささやかな自慢ですが、適切なお手入れ方法は、ググった結果無理だと諦めたので、維持は成り行き任せです。いいのだか、悪いのだか」
「そ、それで、問題なく維持できているのなら、いいのではないでしょうか?」
「しかし、女子力を上げなければ、世紀末を生き抜けないとの専らの噂ですよ?」
「それは、どこの覇者の話ですか? それよりも、なにがおかしいと」
「だって、こんなにこんなにこんなにこんなに、こんなにも同じなのに」
再び、初姫は自然の産物だという爪で室内を示した。数秒後、僕は彼女が言わんとしていることに気がついた。室内の家具は、等しく炭化しながらも、その形を保っている。次に、初姫はちらりと後ろを振り向いた。迫りくるゾンビ達は特に焦げていない。彼女は玄関に視線を向ける。僕達は外に出ようとする度、強制的に同じ部屋へと戻された。
「この部屋は、炭化しながらも、恐らく火事が起こる前の内装を再現しています。更に、私達は何度も部屋に戻される……怨念の主か何かは、この部屋に相当な執着があるようです。それなのに何故、クローゼットの中には、新しい物を仕舞ったんでしょうね?」
「新しい、物」
「焦げた部屋を維持していながら、それって、何だかおかしくないですか? 例えば、この私、白咲初姫は、強者に食べられたいという、確固たる信念を持っていますが」
「ちょっと待ってください。さっきから、なんだか不吉な言葉が聞こえてくるんですが?」
「安心してください。気のせいですから。みんな違ってみんないいって、小学校でも習いました。話を続けますが、私は私の信念を、曲げたことはありません。私は常に、私にふさわしい『強者』を求めています。いきなり、そこらのアイドルに目移りすることはないのです。この部屋の造り主は、私と似た執念の持ち主ではないかと思われます。それなのに、統一された室内に、異物がある。この事実には納得しかねますね?」
「か、仮にそこがおかしいとしてもですね。それがいったいどうしたというんですか?」
戸惑いながらも、僕は聞き返した。初姫の話には、意味不明な要素が多すぎる。だが、もしも彼女の主張が正しかったとしても、それが空間からの脱出の手立てに直結するとは到底思えなかった。だが、初姫は顔の前に人差し指を立て、チッチッと左右に振った。ちなみに、彼女はこの仕草を、走りながら行っている。器用な子だ。
「甘いですね、小田桐さん。もしかして、そこに突破口があるかもしれませんよ?」
「突破口、ですか?」
「違和感があればそこを突け。もれなく、相手の弱点である可能性が高い。とは、幼稚園にてお山の大将を気どっていた悪がきが唯一丁寧に扱っていた鞄の中から、ぴかぴかの状態で保管されていたプラモデルを見つけ、一撃粉砕した、姉から倣った教訓です」
「君のお姉さんは、悪魔かなんかだったんですか?」
恐ろしい話だ。本当になんなのだろう、この子は。脳裏に、悪魔と言えば、お馴染みの、慣れ親しんだ微笑みが浮かぶ。だが、コレとアレとは種類が違った。初姫はしみじみと理解不能な類の人間だ。だが、彼女の提唱する説自体は、馬鹿にはできない気がした。
人とは違う視点を持つ人間は、時たま、ひどく勘がいいものだ。
「さて、この死体は、所有者にとって、一体どんな存在なのでしょうね? 新しく追加した大事なもの………にしては、扱いがぞんざいですし、私達を追い詰めるギミックにしては、なぜ床の上に放置しないで、クローゼットの中に仕舞っていたのかも謎です」
次々と、初姫は違和感を連ねていく。その指摘に、僕も頷いた。確かに、人の死体をクローゼットに詰める理由はなかった。この部屋自体が、既に棺桶のようなものだ。僕達を追い詰めることが目的ならば、床にでも転がしておけば十分だろう。それなのにいったい、なぜ、死体はわざわざ、クローゼットに入れられていたのか。
「追いかける速度も鈍く、そこまで脅威ではない………そうですね、もしかして、作り主には『新しい物』をクローゼットに追加した気はないのかもしれません。死体達は」
なくしたなにかの、替わりかもしれませんよ。
そう、唐突に、初姫は真剣な声で囁いた。彼女は再び後ろを振り向く。
あぁなる前に、食べてもらいたいですねと、彼女はしみじみと呟いた。
腐ったお肉は、美味しくないですし。と。
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