3・Side O

「初めまして、白咲初姫と申します」

「ご、ご丁寧にどうも。小田桐勤です」


 開いた窓から入る風のおかげで、煙は大分薄れた。だが、まだ蛇のように、灰色は床を這っている。天井では、溶けた電球の傘が揺れていた。目に入る家具は、形を保ちながら炭化している。そんな異様な状況下で、何故か僕達は向かい合って正座をしていた。目の前の初姫という少女の提案だ。紅いパーカーを羽織った美少女は、僕の挨拶にこくりと頷く。何となく、僕も頷き返した。僕達は、こくこくと無意味に何度も頷き合う。


 いったい、なんなのだろうか。この状況は。いささか、呑気すぎると思う。

 混乱する僕の前で、初姫は黒髪を肩から払った。彼女は小さく溜息を吐く。


「さて、こうして無事自己紹介も済んだわけですが、どうしましょうかね、小田桐勤さん? 私よりも、あなたの方が、こうした異常事態には慣れているものとお見受けします。私達は、怪談でいうところの、このまま帰れないパターンにハマっている予感がするのですが、ぜひ、あなたの見解をお聞きしたいところです」

「まぁ、確かに……僕は多少異常事態に慣れてはいますが、よくわかりましたね?」

「だって、随分平々凡々としたお顔をしていらっしゃるのに、意外と冷静と言うか、『ちくしょうっ、またこれかっ』みたいな表情をしていらっしゃったので。これはホラー映画における、『実は過去に同じ経験のある登場人物』的な何かだと」

「………凄く、特殊な、表情ですね?」

「そうですか? そんなことないと思いますよ?」

「………そうですか?」

「そうです、そうです」

 

 僕達は、再びコクコクと頷きあった。本当に、なんなのだろう、この状況。戸惑う僕の前で、初姫は急に立ち上がった。彼女は座る時、さりげなく床に敷いていたハンカチを畳み、ポケットに仕舞う。辺りを見回すと、困ったように眉尻を下げた。


「それにしても、有坂有哉君はどこにいったのでしょう? 安否が気遣われますね」

「僕も繭さ……繭墨あざかさん、一緒に来た女の子とはぐれてしまったので、探さなくてはなりません。彼女になら、この状況もなんとかできると思うので。とりあえず、ここから出て、二人を見つけることを第一目標にしましょうか?」

「そうですね。私もそれがいいと思います。やはり、ここは一発解決、大団円を目指すことなく、無難な第一歩からですよね。寺生まれのTさんも、知人にはおりませんし」

「えっ、えぇ、有坂さんと繭さんも、僕達のように合流していてくれればいいのですが」

「確かに、有哉君は放っておくと、勝手にサスペンス展開に突入しそうな人ですから、その幸運を信じたいところです。ただ、私以外の女の子と一緒に、こうしたバリバリのホラースポットを回っているというのは、いかがなものかとも思いますがね」

「…………いえ、一人で危険に晒されるよりはいいかと」

「私もそれには心から賛成します。ただ乙女心は複雑ですので。ほら、『吊り橋効果』」

「はい?」

「『吊り橋効果』ご存知ですか?」


 知ってはいるが、いったいなにを言い出すのだろう。初姫は長く艶やかな黒髪をふわりとなびかせ、僕を見つめた。これでわかっただろうと言いたげな顔だが、ちっともわからない。


「はい、小田桐さん。ワンモア。『吊り橋効果』」

「いえ、その学説については知っていますが」

「あらあら、ご存知じゃないですか」

「それでも、話が読めないというか」

「えー」


 えー、じゃない。それにしても、この子はずいぶん落ち着いている。僕よりもよっぽど、こういった状況に慣れているように見えた。いったい、過去にどんな経験があるのだろう。もしも、なにもなくて、この落ち着き具合なら逆に怖い。初姫は紅いパーカーを揺らし、不満げに唇を尖らせた。


「ふぅ、心配しても仕方がありませんね。有哉君がもしも恐怖を恋心に変換して、他の女の子に食欲を覚えていた日には、血でも飲ませた末に、正気に戻すしかありません。私の美味しさを再確認させるのも、やぶさかではありませんが、まずは見つかることを祈って、探しに行きましょうか?」

「ぜ、前半はよくわからないので、無視をさせてもらいますが、探しに行くのは、僕も賛成です。ここにいても、どうしようもありませんからね。二人とも心配ですし」

「えぇ、有哉君は大事な人なのです。なにせ、彼がいなくなっては………」


 私を食べてくれる人が、いなくなってしまいますから。


 さっきから、なんだか、不吉な言葉を聞いている気がする。僕は立ち上がりながら、耳についた言葉を、脳内から消去した。なにせ、この場所では、彼女しか助けはいないのだ。


 僕の聞き間違いか、気のせいだと、切に願いたい。

 既に嫌な予感しか、していなかったりするのだが。

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