2・Side A
「初姫ちゃんッ!」
「誰だい、君は?」
猫に似た目が、ゆっくりと瞬いた。人とは思えない美貌が、俺を見返す。
俺の前には、見知らぬ少女が立っていた。
残念、人違いです。ありやんってば、うっかりさん。
いや、本気でドジっ子ぶっている場合ではない。いったい、なにが起こっているのか。肝試しに侵入したマンションにて、煙が辺りに立ちこめ、初姫とはぐれたかと思えば、コレである。どうやら俺達以外にも、入り込んでいた人間がいたらしい。ううん、エントランスには誰もいなかったと思ったんだけどなぁ。
それに、果たしてコレは人なのかな?
俺が初姫ちゃんと間違えた美少女は、どこか致命的におかしい。掴んだ腕からドキドキが止まらないね。目の前の少女モドキは、嫌な形に唇を歪める。
「おや、珍しいね。一瞬で、察するとは」
「いやん、バレてるぅ。初対面なのに、失礼なことを思っちゃって、ごめんなさいね?」
「気にすることはないよ。勘がいい人間は生き残りやすいからね。悪いことじゃないさ」
えぇ、その手の能力はフル活用しないと、死にかねなかった境遇にいたもので。勘の良さには自信が。って言うか、否定しないっていうことは、やっぱりまともな人間じゃないってことで、よろしいか。俺は改めて目の前のお嬢さんを眺めてみる。
紅い唐傘に豪華絢爛なゴシックロリータ。喪服に似たドレスが人とは思えない美貌によくお似合いです。なによりも凄いのは、その目ですね。
ううん、コイツは吐き気がする。
断言しましょう。この美少女は見かけたら、走って逃げなくちゃならないたぐいの奴です。勘がいいと褒められましたが、そもそもコレと接して、平気な人間がいるとは思えない。もしもいるのならば、ソイツはいくらまともを自称しようが頭がおかしいに決まっている。
だって、少女の姿をした悪魔っていうのは、きっとこんな感じに違いない。
「でもなー、出会った相手がそんな人だからこそ、ここは頼らなきゃいけない局面だと思うんですよ。初姫ちゃん、行方不明だしね。えーっと、というわけで、名前も知らない、なんか高貴っぽい御方?」
「高貴な出なのは否定しないがね。ボクは繭墨あざかだよ。好きなように呼ぶがいいさ」
「うーん、一般庶民とは一線を画す、産まれながらのブルーブラッドな予感が。ご丁寧にどうも。俺は有坂有哉といいます。それで、繭墨さん?」
「なんだい、有哉君?」
「俺の………正確には俺のでもなんでもないんですが、初姫ちゃん知りませんか?」
「さて、知らないな。見たことも、聞いたこともないよ」
「それじゃあ……この煙をなんとかできたりはしませんかね?」
「君も初対面の人間に、無茶を言うね? つくづく、いい勘だ」
くるりと、繭墨さんは唐傘を回した。その動きに合わせて、灰色は渦状に掻き混ぜられ、一点に収束する。そして消滅した。後には焦げた部屋が残される。うーん、この人にはやれそうだなと根拠もなく思いましたが、実際目にするといささかありえない光景ですね。一時、常識には蓋をしましょう。まともに考えたらSAN値が減る。今は煙が消えたことを素直に喜ぶべきだ。
「ワーイ、ハレタハレター、ワーイ」
「見事なカタコトだね…………ふむ」
『不吉極まる美しい少女の皮を被った何者か』、略して美少女は、俺のことをじっと見つめる。なになに、その視線は、いったいどういう意味ですか?
「君は、ボクと似た性質の人間かと思ったが、違うようだね。だからと言って、依頼に訪れるようなタイプでもない………それでいて、ただの一般人というわけでもなさそうだ。それなりに、奇妙な人物のようだね、君は?」
「いきなりかつ不躾なんじゃないの? な分析をありがとうございます。まぁ、俺なんぞ海を漂うプランクトンみたいなもんなので、どうかお気になさらず。どうせここを出れば二度と会わないたぐいの人間ですし、最終的には、クジラに美味しくいただかれる運命ですし」
「それもそうだね。奇妙な人間と興味を惹く人間は、ボクにとって、必ずしもイコールではないよ。君は奇妙だが、面白くはなさそうだ。そして、ボクに気に入られない方が、君にとっても都合がいいだろうさ」
「その通りでございます。悪とか善とか、超越してそうな存在はノーサンキューですわ」
「互いに、友好の意志はないというわけだね。結構。だが、今は小田桐君がいないんだ。この部屋から出たいというのならば、君にもそれなりの働きを要求させてもらうよ?」
脅迫めいた言葉と共に知らない人の名前が出ましたよ。いったい、誰でしょうね?
その前に、もしやこの人、誰かと一緒に来たんですか。意外すぎますわ。オダギリサンとかいう、コレと一緒に行動してた人って、どんな剛の者だよ。さぞかし、修行を積んだ強者なのでしょうなぁ。そんな馬鹿を考える俺の前で、繭墨さんとやらは歩き出した。分厚い靴底で、彼女は降り積もった灰を蹴る。そして、焼け焦げた部屋を見回した。俺も一緒に辺りを見回す。
うん、そう言えば、ここはなにもかもがおかしいね。
ソファーが、床が、天井が、箪笥が、机が、全て炭化している。
焦げた家具が廃墟に残されていたとは思えないのだが、いったい、これはなんなのだろうか? そもそも、ここまで焦げているのに、形は完全に保たれているというのもおかしな話じゃないですか。舞い上がった灰も落ちることなく、空中を漂い続けている。それ以前に、俺達は一階にいたはずだ。エントランスの先にはエレベーターと階段しかなかったはずなのに、ここはどこだろうか?
「うーん、なんとも不思議空間。ありやん、思考停止」
「そこは無理にでも、動かしてくれたまえ」
「あざーっす。了解っす。観察継続、継続」
開いた窓の向こうにはベランダがあるが、その先には、黒一色の光景が広がるばかりで、何階かすら定かじゃない。空間だか時間だかが、ねじ曲がっている気配がしますね。軽く分析してみたが、嫌だなー、異空間のホラー経験なんて、ツイッターから流れてくるどっかの駅に迷いこんだかなんだかの情報で十分ですよ。自分が体験するもんじゃないわ。そうおののく俺を置いて、繭墨さんは歩き出した。
黒い薔薇の飾りつきの靴を高らかに鳴らし、彼女は進む。
灰を蹴散らし、堂々と道を開き、彼女は俺を振り返った。
「脱出まで、君には助手の替わりを勤めてもらうよ」
原因をどうにかしなけりゃならないようだからね。
そう、彼女はとても面倒そうな口調で言った。さてはて、実に怖いなぁ。なにが怖いって、この状況下で、目の前のお嬢様が面倒そうで、退屈そうなのが異常だなぁ。
まぁ、しかし一人で騒いで探し回っても、初姫ちゃんとは会えなさそうだし。
残念ながら、どんな物語でも無事に帰るには代償の一つや二つ必要なものだ。
手足を無理やり奪われるとかじゃないなら、これ幸い。
文句は飲みこみ、助手くらい勤めてみせましょうかね。
「わかりましたよ。不肖、有坂有哉。繭墨さんの下で働かせていただきましょう」
嫌な予感しかしないけど、さ。
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