1・Side O

「と、いうわけで、遠路はるばるやって来たね。小田桐君?」

「来ておいてなんですがね。いったい、ここはどこなんですか、繭さん?」


 僕と繭墨は並んで廃墟の中に立っていた。狭く暗い空間内で、僕は懐中電灯を動かす。暗闇に、サイケデリックな落書きが浮かびあがった。地面には様々な破片が散っている。以前、訪れた廃ビルと似た印象だ。朽ち果て、荒らされた空間は、どこも同じようなものに見える。僕はふっと懐中電灯を横へ向けた。鮮やかな色が視界を埋める。繭墨は紅い唐傘を差していた。歪んだ落書きを背景に、黒いドレス姿がたたずむ様子はひどく悪夢めいている。彼女は胸元から一枚の紙を取りだした。目を細め、それを読みあげる。


「えーっと、ここは、一室が火事になり、住人が死亡。その後、大家が修繕を拒み放置。以降、大家が死んだことで、権利関係が宙に浮き、そのままになっているマンションだね。ボクらの立っている場所は、元エントランスかな? 昔から、ネット上ではガチ物件と悪名が高く、実際に訪れて消息を絶った人間が、何人もいるそうだよ?」

「また、そんないわくつきな場所を……なんですか。わざわざ探しだしたんですか?」

「以上、雄介君から紹介された、オススメ物件の詳細さ。いや、実にありがたいね」

「雄、介ぇええええええええぇえええええええ」


 いったい、なにをしてくれるのか。楽しんできてくださいねッ! と脳内の雄介はフル笑顔で親指を立てているが、まったく楽しくない。恐らく肝試しと聞き、力の限り心当たりを探してくれたのだろうが、余計なお世話だった。しかし、嘆いても仕方がない。


「おのれ、雄介……あとで全力でドアバンして、苦情を入れるしかない」

「彼が聞くかどうかは、微妙な線だがね。あと、雄介君に八つ当たりはやめたまえ」

「だからって、繭さんにはなにを言ったところで聞いてもらえないじゃないですか」


 暇のあまり僕への嫌がらせに走った繭墨は、止めようがないのだ。さめざめと嘆く僕の隣で、彼女は何かを期待するかのように辺りを見回している。ふとその目が止まった。彼女の視線に従い、僕も懐中電灯を動かす。黒く煤けた壁が照らしだされた。不吉に焦げてはいるが特別異常はない。僕は首を傾げ、繭墨に懐中電灯を戻した。瞬間、思わず息を飲む。


 金色の光の中、繭墨は歪な笑みを浮かべていた。彼女はゆっくりと紅い唇を開く。


「ねぇ、小田桐君。ボクには、一つ疑問があるんだけれどね?」

「なんですか、繭さん? 疑問なんて全部投げて、僕は早く逃げ出したいんですが」

「雄介君の情報では、死亡したのは、父親とその幼い娘………無理心中だったらしいよ。そのことに、彼は大分、憤りを覚えていたようだったね。さて、火事の規模がどれほどだったかはわからない。けれど、ね………出火元は、五階だよ?」


 果たして、ここまで、一階の壁が焦げるものなのかい?


 彼女は人差し指を、壁に伸ばした。僕は懐中電灯を、黒く塗られた爪の先へと向ける。同時に、無数の羽蟲が視界を舞い飛んだ。だが、よく見るとそれは細かな灰だ。不意に、紙に火を点けたかのように、世界は黒く崩れ始めた。


「……ッ、なっ」

「……ふむ、こうなるわけだ」


 床の上から、灰色の煙が沸きあがる。だが、その光景には、匂いも音も、熱もともなわなかった。静かで、圧倒的な変化がくり広げられる。嵐のように渦巻く灰色の中、繭墨だけはなにも変わることなく立っていた。


 だが、次の瞬間、その姿も煙に飲まれた。我に返り、僕は必死に腕を伸ばす。


「繭、さんッ!」


 僕は掌を閉じた。だが、何も掴めない。寒気が背筋を駆け降りた。前に進むが、繭墨の姿はない。確かに目の前にいたはずなのだが、彼女は煙のように消えてしまっていた。果たして、彼女は無事なのか。僕の不安を感じてか、鈍痛と共に腹がごろりと蠢いた。


 無彩色に曇った空間に、確かなものは、もうなに一つとしてない。

「繭さんッ、大丈夫ですかッ! 繭さん、返事をしてくださいッ!」


 叫びながら、僕は煙の中を歩いた。視界は不明瞭だ。だが、いつの間にか夜が明けたかのように濃い暗闇は晴れている。懐中電灯を消し、僕はベルトに差した。伸ばした腕が、壁に当たる。焦げた表面がぼろりと剥がれた。だが、壁自体に崩壊の気配はない。瓦礫の下敷きになる心配は、どうやらなさそうだ。壁伝いに、僕は廊下を進む。やがて、煙の中に、ぼんやりと煤けた扉が現れた。僕はそのノブを掴んだ。


 ―――――――――キィッ


 意外にも、扉は軽く開いた。僕はその中に入る。背後で、扉は自然と閉まった。嫌な予感を飲みこみ、僕は足を進める。わずかに空気の流れを感じた。どうやら窓が開いているらしい。灰色の煙の帯が割れ、黒く焦げた様々な残骸が目に入った。炭化した家具達は、奇妙なことに確かな輪郭を保っている。いくつにも別れた煙の流れの中、一瞬白いものが見えた。

 

 僕は咄嗟に、それを掴んだ。白い腕を捉え、僕は自分の方へと引き寄せる。


「――――――繭さッ!」

「誰ですか、あなたは?」


 強い風が吹いた。煙が晴れる。長い黒髪が宙を舞う。

 どこか青みがかって見える不思議な目が、僕を映す。



 僕の前には、見知らぬ少女が立っていた。


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