プロローグ・Side A

「うらめしや、有哉君」

「深夜二時にふさわしい第一声だねぇ、初姫ちゃん?」


うだるような暑さの中、白咲初姫はぶっ壊れた。

と言いたいが、驚くなかれ、これが通常運転である。


 俺の上に腹ばいになり、白咲初姫はどこか青みがかっても見える不思議な目を瞬かせた。彼女はこういう子なのである。無理やり人の押し入れに泊まった挙句、いきなり這い出て来て、住人こと俺、有坂有哉の体に乗り、うらめしやとか言いだすのだ。ですが、当方、息苦しさは、童話のお姫様ばりに綺麗な顔と胸元の豊かな膨らみに免じて、我慢しなくもありません。ツヤツヤの長い黒髪と、ショートパンツから伸びる細い足も加点対象だね。ただ前触れなく上に乗ってくること自体は、実はご勘弁願いたかった。首を絞められるのかと、びっくりするんですよ。錯乱した脳味噌が暴走して、無駄に死にかけますね。


 そう、この俺こと有坂有哉はそういう人間なのだった。どうしてそうなるのかについては、薄ら暗い背景事情がもやもやしてますが割愛。俺のことなんてどうでもいいのです。今の問題は、初姫ちゃんですよ。俺は再度枕元のスマートフォンで時間を確認した。


 揺らぐことなく深夜二時ですね。いったい、この子どうしたのかしら。


「お茶ならマイ冷蔵庫。スポーツドリンクもマイ冷蔵庫。トイレなら廊下。氷枕なら冷凍室……そう言えば、暑っいねぇ。寝る前に、俺がうっかり消しちゃったクーラーのリモコンなら、悪いけど自力で探してねん。本棚の前辺りが有力候補だよ」

「違いますよ、有哉君。私はなんらかの物体の要求をするために、あなたを起こしたわけではありません。私は別のことを要求するべく、こうして、情け容赦なしに、あなたの上に腹ばいになっているのです」

「えーっ、なんですかー? それは俺の眠気をガン無視してまで、やるべきことなんですかー? 俺に人権はないんですかー? ないって答えられたらどうしましょうね。生きるのが辛くなるわ」

「有哉君の人権については、法律に記載されている範囲内で、尊重する心づもりです。建前上は、人類皆尊い……ですが、今回ばかりは、深夜にならないとできないことをやりたくなったため、申し訳ありませんが、あなたの人権はガン無視させて頂きました」

「なんだろうね。せめて、色気のある展開を期待したいところだけれど、相手が君な時点で、なんだか無理そうだね」

「ご名答。しかし、正解からはまだ遠いので、ネクストコナンズヒント『うらめしや』」

「うらめしやって、墓場の幽霊みたいよねー、ありやん嫌になっちゃう、わぁ……ん?」


 眠さのあまりのおねえ口調は緊急停止だ。ようやく脳の覚醒である。俺は起き上がりかけ、再び頭を枕に戻した。このまま腹筋をしては初姫ちゃんのお胸にダイブだ。セクハラへの罰則は重い。俺の眼球が彼女の手でさよならバイバイする事態は避けたかった。


「で、初姫ちゃん、もしや、肝試し?」

「その通りですよ。有哉君。レッツ、肝試しです」

「えっ、肝試し? 行きたいの? またどうして?」

「最近、マンネリだと思うんですよねぇ」


 ぺたりっと、初姫ちゃんは左手を自分の頬に当てた。そのまま、こてんと小首を傾げる。可愛らしい仕草ですが、何がマンネリですか。俺は大の字になったまま続きを待つ。


「ほら、私は有哉君に、『私を食べてください』って、頼んだじゃないですか?」

「君が『食糧志望』なのは知っているけれどね、初姫ちゃん。それが、いったいどうしたの?」

「しかし、私はこうして、今日も元気に、有哉君の上に乗っているわけですよ」

「俺としては、乗って欲しくなんてないわけで、横暴を訴えたいところですが」

「つまり、食べられてはいません」

「まあ、俺の胃の中にはいないね」

「やはり、こうして停滞した事態の進行には、刺激が必要だと思うんですよね。ほら、カップルがそれを切っかけにいい感じになり、次のステップに進む、アレの必要な時が来た気が」

「アレですか。つまり、なんですか」

「吊り橋効果ですよ」

「それって錯覚だよね」


 本当になにを言いだすんでしょうかね、この子は。だが、初姫ちゃんはいつでもどこでも真剣そのもの、本気に元気である。彼女は俺の上に座ったまま、逆側に小首を傾げた。


「ほら、ドキドキが高じたあげく、恋心と共に私への食欲が芽生える可能性が微レ存かと」

「人を恋心と食欲が直結した異常者であることを前提にしたハートフルなご意見だね」

「で、いつか試そうと思っていたんですよ。そうしたら、本日うだるような暑さで目が覚めてしまいましたので。腹いせに有哉君を叩き起こして共に出かけたいなぁと」

「クーラーをうっかり切ったことについては、正直すまんかった」


 初姫ちゃんは、俺から降りるとベッドの縁に腰掛けた。催促するように押し入れで見つけたらしい懐中電灯を回す。発作的な意見にしては準備万端だ。俺は深い溜息を吐く。


「仕方がない、行こうか?」


 甘すぎますか? まぁ、無茶苦茶だが、ソレはソレ。俺は突発事項には慣れている。常に着ぐるみ姿な妹とか、作家をしてる妹とか、元気に走り回る犯罪者な兄のおかげで。それに、次男なだけにお兄ちゃん気質だしね。言われたことは叶えてあげたくなってしまうのだ。


 かくして、俺と初姫ちゃんの無駄に長く。そして、不条理な夜が始まった。

 しかし、先が思いやられる予感。五体満足で、無事お家に帰れるといいね。

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