生きる意味

Re:over

第1話


 俺はカーテンの隙間から零れる光で目を覚ます。次の瞬間、目を開けるよりも先に心に穴が空いた感覚に襲われる。ここ最近、ずっとこの調子だ。


 ずっと、気に病んでいることがある。自分という存在の価値、意味、理由、それから、生き辛さ、その他諸々。一つ考え始めれば、最後まで闇たっぷり。一人では何も解決しないと分かっていても、同じところをグルグルと回る。まるで、ペンローズの階段を上っているような状態。ぐるぐる。


 段々と目が回り、気持ち悪くなる。もう一度眠ろうと試みる――もちろん、会社に行かなければならないので、そんなこと許されるはずもない――が、理性や背負っているものがそれを許してくれない。


 仮に、会社をサボったらどうなるか考え始める。怒りの電話が来て、俺は謝り、会社をクビにされ、その穴埋めに誰かが採用される――あれ、俺いらなくね? 思考がどこへ行ってもたどり着くのは劣等感、虚無感。


 俺に「幸せになりたい」という願望があったのなら、よかったかもしれない。でも、俺はもう幸せになんてなりたくない。幸せであるうちはいいが、その幸せを失った時の消失感に、もう耐えきれないからだ。どうせ、人は死ねば人生で得てきたものを全て失う。それなら、何かを得る意味なんてないのではないか。記憶や思い出は確かに綺麗かもしれない。しかし、最終的にはゴミとなる。思い出が何の足しになるか。腹が膨れるわけでもないし、心の穴を塞いでくれるわけでもない。むしろ、その時と今を比較して絶望してしまう。あの、幸せな時に死んでおけば、こんなに苦しむことはなかったのにな、と。


 もう何もかも捨てて死んでしまいたい。今すぐにでも。体を投げるか、首を吊るか、ナイフで手首を切るか。


 陽光を遮るように布団を被りなおし、重たい息を吐く。結局、死にたいと思えるのはこうして病んでいる布団の中だけで、一歩外へ出れば、気が紛れてしまう。だから、今日こそは。今日こそは、自殺してやろう、と息を吸う。この黒く淀んだ心を赤く染め上げるのだ――目覚ましのアラームが鳴った。


 ……ぁあ。アラームを止め、上体を起こし、目を開く。太陽の明るさで心の穴が小さくなる、連られて闇も姿を眩ませる。こいつはそうやって、心の中に居座り続けるのだ。


 それなりの怠さを抱えて準備へ取り掛かる。顔を洗い、着替えて、荷物を持つ。鞄はやけに重たい。


 家から出て、駅まで歩くのだが、すれ違う学生を見ていると、色々なことを思い出す。体育祭ではっちゃけたこと、絵のコンクールで賞をもらったこと、恋人ができたこと、学園祭で大失敗したこと、部活でずっと補欠だったこと、大学を中退したこと、恋人が死んだこと。それら全て、ただの過去であるのに、未だに胸の奥でガムみたいにくっついて離れない。


 誰か、こんな俺を救って欲しいと願っている反面、そんな簡単に救われてたまるか、とも思っている。人間として、壊れているのかもしれない。ならば尚更、死ぬべきなのだろう。


 駅へ着き、電車へ乗る。そうするとどうしてか、自殺に対する考えが変わる。そこに座っている中年男性だって、そこに立っている大学生の女性だって、抱かれている赤ん坊だって車椅子の人だって駅員さんだってこの電車だって、それである必要はないのではないか。世界の流れに乗っていて、偶然そこにいただけで、代わりなんていくらでもいる。


 それなら、自殺する必要はないな、と吊り革を握る手を緩めた。夜になればまた病むことを知りながら、見ない振りをする。


 満員電車、という程ではないが、それなりに人の詰まった車内は平和であった。良識のある社会人、あるいは、無害な学生くらいしか乗車していなかった。俺も、朝から病むのは疲れる。自殺を一時でも忘れられるのであれば気も緩むわけで。電車がカーブに差し掛かり、緩めた手と気がするりと体を離し、バランスを崩した。俺は反射的に手を構えてしまった結果、隣にいた女性の体を盛大に触ってしまった。


 その中年女性は悲鳴を上げ、次の瞬間に俺の頬をビンタした。俺は離れた気を探すのに必死で、状況を把握できていなかった。頬の痛みが気を連れ戻し、自分のしたことを認識する。


「あ、す、すみません!」


 俺はすぐに謝った。


「あんた、絶対確信犯でしょ!」


「え、いや、どうしてそうなるんですか」


 どれだけ否定しても、女性は確信犯だと言って聞かない。そうこうしている内に、駅へ付き、駅員さんを含めて話し、それでも俺は解放されなかった。


 会社へ行くために苦しい想いをしながら家を出たのに、どうしてこんな不細工な中年女性に事故を装ってセクハラをしなければならないのか。そう言いたい気持ちはあったが、勇気はなかった。


 そして、駅近くの交番へ行くことになり、遅刻が確定した。交番へ向かう途中、改めて、どうして自分が生きているのか考え始めてしまった。


「君は本当に、転んだフリをして、セクハラしたのかね?」


 交番へ着いても同じ質問は続いた。もう、会社へ着いてこの出来事を説明するのもめんどくさいと感じ、後ろで野次を入れる女性がとてもうるさく、警察の懐疑的な目から目を逸らした。


「はい、そうです」


 俺は、この女性の憂さ晴らしのために生きているのだ。


 夜になったら投身自殺しよう、と心に強く誓った。

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