#3 刃、潜むは獣

「ところで、なんで荷物をまとめる必要が?」

深夜、まだ冷たい外気に対し暖かな車内で微かに揺られながら道路を走る。

「相次ぐ失踪事件の影響でね。しばらく駆除隊は本部で寮暮らしになったんだ。」

運転席でミントのガムを噛みながらハンドルを握るマグニがそう答えた。

「え、つまりあの人と同じ屋根の下で生活ってことですか?本当に言ってます?」

「なんか文句あるか???」

深刻な表情でそう言いながら俺は助手席でふんぞり返るそれを指さすと、それは即座に食ってかかってきた。

「そんな喜んでもらえるなんて嬉しいわー!マグニさん、こいつの部屋俺の隣にして欲しいっすわ!めちゃんこ仲良くやれる気します!」

俺が明らかに嫌そうな顔をしていると、マグニはそれを見て苦笑いする。

「大丈夫だよ。駆除隊みんながみんなイフォロンみたいな人じゃないよ。みんな事情は色々だけど悪い人じゃないし。」

「ちょっ!マグニさんまで何言うてるんですか!」


車内灯がチカチカと点滅する。

煩いほどの静寂が耳を突く。

何かが妙だ。

張り詰めるような変な緊張感。


あのときの、嫌な予感。



突然金属が軋むような轟音が夜の道路に響き渡る。

まるで大きな何かがぶつかったかのように車体は大きく傾き、体がドアに打ち付けられた。

「いった…どうしたんですか…!」

「細かいことは後や!とりあえず着替えろ!」

俺が衝撃に身を怯ませながら体勢を立て直すと、イフォロンはそう言いながら隊服を渡してきた。

マグニは慣れた手つきで素早く通信機を操作すると、いつになく真剣な表情でマイクに向かって淡々と言葉を発する。

「こちら巡回班マグニフィカス・エニグマ。第16地区D7番道路にて特異存在と接触を確認。直ちに道路の封鎖と近隣住民の避難を要請します。」

ツー…という通信機を切る音が鳴り終えると、彼は一言、告げた。


「パラドックスだ。」


「カゼドラ、手を出せ。」

隊服に袖を通し終えた俺にマグニは突然円盤のようなものを差し出してきた。

「なんですか…?これ。」

「プレデターディスク。エレメントディスクだ。我々駆除隊が対パラドックスに使う最も重要な武器だ。いいか。今は自分の命を守るために使え。自分の命を最優先に考えろ。」

「使えって言われてもどう…。…っ!」


なんだ…?

力が急にガクッと抜け、倒れ込みそうになる。

宙に舞うようなふわっとした感覚が全身を襲う。

「うぐっ…!」

刹那、全身に凄まじい慣性を感じると共に足首から引っ張られた。


「カゼドラくん!!!」

足に絡みついた紐のようなものが俺を車から引き摺り出す。

冷たい風が全身を刺すように襲いかかる。

なんだこれ!!パラドックスの攻撃か!!!

なんで気づかなかった!なんで誰も気づけなかった!!

抵抗しようにも固く結ばれてて解けない!しかも何だこの力!すごい力で引っ張られる!

クソっ…!あのときの力が出れば!

あのときみたいに!目の前のものをバラバラにできれば!!

思い出せ!俺はあのとき何を考えてた!!!

思い出せ!!!


視界に、黒いものが映り込む。

なんだ…これ…。

こっちに…来る。

縄…?

もう一本…。

まずい!首に…!!



「マグニさん!!追いましょう!今ならまだ追いつけますよ!」

「…マグニさん…?」

足元でピシャッと水溜まりを踏むような音が鳴る。

血…?誰の…いつの間に…?

まさか…!

マグニは血の零れる脇腹を押さえ、イフォロンにもたれかかる。

「顔色悪いっすよ!どないしたんですか!」

息を荒らげ額から脂汗を垂らすマグニの背後、窓の向こう。

揺れる半透明が視界に映る。


…ッ!?

パラドックスの触手!

さっきのやつとは明らかに見た目が違う!


…2体目がおる!


窓越しに煌めくその半透明の月は、月光に照らされまるでこの世のものではないかのように優雅に空を舞っている。


「ここなら暫くは大丈夫なはずですよ。」

とりあえず隠れられる陰まで移動してきたけど時間の問題やな…。

「クラゲ…か。うちの隊長をようやってくれたわ。マグニさん、少し痛いですけど我慢してくださいね!」

救急箱を静かに開く。


俺のやるべきことを考えろ。


駆除隊員として一番回避しなくてはならないルートは隊長の損失、そしてそこからの全滅と民間人への被害や。

特に隊長格の損失。それは国レベルでの損失や。駆除隊ごと解体される危険性すら孕んどる。

理屈ではわかっとる。

でもそんな理屈で新人を見殺しになんて俺にはできへん。

優先順位は圧倒的にマグニさんの手当をしてこのクラゲパラドックスを駆除することが第一。ロープのパラドックスは救援を呼び大事になる前に片付けてもらう。

いや、それじゃ絶対に間に合わんな。

それまでにカゼドラくんは確実に死ぬ。

ボムパラドックス弱らした言うてたけどでかく見積っても戦闘のレベルは一般人に毛が生えたみたいなもんや。毎回そんなうまく行く確証はない。

考えろ。2人ともの命を救う方法を。


「イ…フォロン…。」

処置を終えたマグニがゆっくりと立ち上がる。

「マグニさん!今は安静にしといてくだ…。」

イフォロンの唇にそっと人差し指を添える。


「…カゼドラを助けに行け…。私に構うな。」

「…ッ…でも…!」

「いいから行け。心配なんかするな。」

そう言って彼は青白い顔でにっこりと笑う。


「…死んだらばか高い飯奢りですからね。」

「わかってるさ。」



どれぐらい眠っていたのだろうか。

身体が悲鳴を上げている。

足はもう既に感覚がない。

全身が痛い。

無数の縄に縛り上げられる。

暗く狭い空間の中。


なんで、上手くいかないんだろうな。

バカみたいなやつに、バカみたいに愛されて。

バカみたいなやつを追いかけて、その背中を見失って。

バカみたいなやつに振り回されて、バカみたいに命を賭けて。

俺が一番のバカじゃねえかよ。


こんなバカなやつがいたんだって。

話したかったな。

こんなにバカなことをやったんだって。

話したかった。

聞きたかった。

おっちゃん。

まだ俺、死にきれないよ。

冷たく麻痺した腕に、ぬるい体液が伝う。


[そうやって、また、逃げるの?]


…そうだよな。

…何、諦めてるんだよ、俺。

ごめん、また、逃げようとした。

おっちゃんの言う通り、半端な覚悟だったよ。

油断して死んだ仲間の二の舞にはなって欲しくないって言ってくれたよな。

今度こそ、覚悟を決めるよ。

まだ、遅くないだろ。

まだ死ぬって決まった訳じゃねえだろ。

最後の、希望。

唯一自由の効く右腕。


右ポケットの中の、1枚のディスク。


「マグニさん…使わせてもらいます。」


俺はこのディスクの使い方を知っている。


誰から聞いた訳でもない。

誰かが使っているのを見た訳でもない。

それでも、知っている。


ゆっくりと、ゆっくりと身体を縛りつける縄はその力を増していく。

ディスクの縁、返しのようになった鋭い刃を首に当てる。


…そうだよ。

俺はバカだよ。

生半可な気持ちだって思われるような理由で命をかけて。

駆除隊に入って。

今もこうやって足を引っ張って。


それでも。


「それでも俺は!!!まだまだ死ねない理由しかねえんだよ!!!」

首を思いっきりディスクで引き裂き、傷口にディスクを差し込む。

痛み。

もはやそんなものは関係ない。

俺の身体を縛りつけていた縄を全て切断すると、パラドックスはギィギィと軋むような音で鳴き喚きながら暴れるように縄を振り回す。


「もう、後悔なんてしないために!もう後悔なんてさせないために!俺は駆除隊であることを!!おっちゃんの息子だってことを!!」


「証明してみせる!!!」


攻撃を全て、躱し、弾き、切断する。

鉄の匂いが充満する。

刃のように変形した腕から血が滴る。

全部、感じる。

匂いも、味も、音も、光も、空気の動きも!

なんだ…この気分は…?

なんだこの高揚感は…!

「ははっははははは!」

今はただ…こいつを八つ裂きにする!


パラドックスは力を溜め一筋の縄を鞭のように振り飛ばしてくる。

一閃。

飛んでくる縄を刃で火花を散らしながら切り飛ばす。

「そんなに近づかれるのが嫌か?最初はあんなに必死に俺を掴んで離さなかったのによ。」

パラドックスはギィィと軋むように叫び、恐れ暴れるように更に攻撃は苛烈さを増す。

一撃一撃が重く、そして速い!

ああ…なんて…!なんて…!

楽しいんだ!!


振り回していた無数の縄はズタズタに切り裂かれ力を失いふわりと宙に舞う。


1歩。


怯えるその縄人形のようなものの寸前まで、一気に距離を詰める。

「どうした?ここまで来るとその縄も存分に使えないか?」

歪んだ笑顔が麻縄に滲む。

「次はこっちのターンと行こうか!」


「なんやあれは…。」

イフォロンは目の前の光景に息を呑む。

銀髪の先端が紅く染まり、剣のような腕で満身創痍のパラドックスを切りつけるカゼドラ。

まるで獣の狩りのような、一方的な蹂躙。

暴走状態…?にしては知性が高すぎる。…がしかし、少なくともあの状態は異常や。

ディスクを…使ったのか…?

にしてもあんな状態、見たことも聞いたこともあらへん。

ディスクの使い方も知らんはずや。なんもわからん…!


刹那、パラドックスの胴体に刃を突き立てたカゼドラの首がガクッと力が抜く。


「ッ…!?」


深夜、星もあまり見えない曇天。

微かに照らす月明かり。

そんな静かな空気にヒビを入れるかのように異様な雰囲気が立ち込める。


本能的な恐怖。

まるで肉食獣のような血腥い眼光。

見てるだけで息すら飲めないようなこの佇まい。


「……ッ!あかん!!暴走状態や!!!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る