第1章 新人コントラクター

第1話


 五日間の業務を熟し、その後に発生した上司の強引な呑み会に付き合った俺は、皆が嫌がる上司との二次会に後輩を参加させるのは忍びなかったので、己一人で引き受け、他の面々を帰す。

 馴染みの店員やマスターのお陰で、何とか日が回る前に上司を酔い潰す事に成功したので、タクシーの後部座席へ叩き込み、上司の良く出来た奥さんへ連絡し、ようやく解放された。


 普段は繁華街に縁が無いので、辺りを歩く観光客や客引きに苦手意識を感じたので、駅まで近道しようと裏道へ入ると、そこには黒い液体と緑の毛が無いサルの様な生き物の死体、そしてタバコを吹かす中年の男性が映った。


「あ?なんで一般人が居んだ?」

「え?分かりません。」


 俺に応え様の無い質問をしたその男性は、着古したトレンチコートと黒のスラックス、同じく黒のジャケットと言った出で立ちで、その様相は一昔前のドラマに出て来る刑事の様だった。

 男性は、俺の返答を聞くと口元のタバコを地面に落とし、茶色い革靴で踏んで消火し、次を取り出す為かジャケットの懐を弄り始めた。


「そりゃ、そうだよな。」

「そうですね。」


 男性の二言目に対しても口を衝いて返事をしたが、状況を飲み込む事は出来ないでいる。

 当の男性は疲れている様な目で此方を見ながら、懐からタバコでは無く赤い石が嵌め込まれた十字架を出すと、それを頭上に掲げた。


 十字架が僅かに発行すると、周囲の黒い液体や緑の死骸が黒い塵と化して、赤い石に吸い込まれて行く。


「此処ってさ、今の所だけど確実に安全って訳じゃ無いのよ。後日、こっちから連絡するから今日の所は帰ってくんない?」

「わ、分かりました。」


 辺りの死体や液体を粗方回収した男性は、俺に懐の拳銃を見せながら此処から立ち去る様に告げた。

 俺はその銃が本物かどうかも疑わずに背を向け、自身のぐちゃぐちゃに混乱した頭と心を引き摺ってその場を後にする。


 呆然としながら駅に辿り着き、流れ作業で帰宅した後、シャワーも浴びずにベットヘ身体を投げ出した。

 そして翌日の今日、その事を夢だと思いながら寝た俺をマンションの呼び鈴が起こし、送迎を依頼されたと名乗る怪しいタクシー運転手に連れられて市内を移動する。


「倉内様。着きましたよ。」

「ありがとうございます。」


 物思いに耽り辺りを見ていなかった俺に、帽子を目深に被ったタクシーの運転手が到着を知らせた。

 開いた扉から身を乗り出すと、そこは巨大な施設のエントラスへと続くロータリーだった。


「またのご利用を。」

 

 運転手が俺の背中に掛け来たお決まりの言葉を聞きつつ車を降りると、それを確認した運転手は、扉を閉めてタクシーを走り出させる。

 此処で降ろすってことは、この中に入れと言う事だと判断し、中へ入る事にした。


 改めて施設を観察すると、高そうな丁度品や市内の真ん中付近と言う立地、エントランスで寛ぐ客層と、其処がかなり値段も階数も高そうなホテルだと分かる。

 普段だと近寄る事も無いので緊張してきたが、佇んで居てもしょうがないので重い足を動かす。


 ホテルの華美な内装に少し圧倒されながら、エントランスから受付カウンターに向かうと、此方に気が付いた男性の従業員が先に声を掛けてきた。


「倉内様。ようこそ当ホテルへおいで下さいました。直ぐに案内の者が来ますので、少々お待ち頂けますか。」


 当たり前の様に俺の顔と名前を知っている従業員に若干の恐怖を感じながら、その丁寧な言葉に従いカウンターから少し離れた所に有る椅子で待っていると、先程の従業員とは別の男性が近づいて来る。

 自身よりも確実に年齢が上に見えるその男性は、黒のスーツと蝶ネクタイを着用し、髪型は清潔感の有るオールバック、顔には柔和な笑みを携えており仕事が出来そうな雰囲気が溢れている。


「倉内様。私、当ホテルでコンシェルジュを務めさせて頂いております。小泉と申します。昨夜の出来事について私よりご説明させて頂きたいのですが、よろしいでしょうか?」

「分かりました。お願い致します。」

 

 小泉さんは、ホテルの客に接する様な丁寧な話し方で説明を申し出てくれたので、俺も落ち着いてそれを了承する。


「ありがとうございます。此方へどうぞ。」

「は、はい。」


 俺の返答を聞いた小泉さんは一礼した後、エントランスからは見つけ辛い位置に設置されたエレベータへ移動した。

 彼に案内されるがまま、エレベーターに乗り込むと小泉さんは宴会場や会議室があるフロアのボタンを押し扉が静かに締まる。


 特に会話も無く直ぐに停止したエレベーターを降りると、幾つか有る会議室の一室へと案内された。

 室内には会議用の大きなデスクがあり、そこにはプリントされた資料が置かれている。


 その資料を小泉さんから勧められたので、受け取って表紙を捲ると、彼の説明が始まった。

 どうやら、俺が見てしまったあの中年男性はコントラクターと呼ばれる職業に就く方らしい。


 彼らは、この世界に侵入してくる異界のモンスターやそれの出現元であるオブジェクトと命名された異物、太古から敵対する闇の眷属やその従者達等の人類に敵対する存在を相手に戦う傭兵らしい。

 そしてこのホテルは、そんな彼らをサポートする組織が運営しており、彼らに安全な拠点や物資の供給、移動手段の提供や情報支援等、様々な支援活動しているそうだ。


 昨晩、出くわしたのは、彼らの仕事現場だった様で、周囲に張られた人避けの結界を俺が何らかの理由で通り抜けてしまった様だ。

 こう言った事は稀に有るらしく、組織としては金銭による口止めをする為に此処に呼んだらしい。


 俺がそれに応じた場合、魔術による口止め契約を行う予定らしく、彼はその手の魔術行使が出来るらしい。

 提示された金額は、俺が十年働いても稼げない様な額で恐らく普通であれば何の問題も無いのだろう。

 

 だが、俺の心にはとある葛藤が渦巻いていた。


 それは、普通の人生では求めても手にする事が叶わないと思っていた非日常が、目の前に存在していると言う事実だ。

 このままサインしてしまうと、その非日常が永遠に遠ざかる様に感じてしまい、サインに躊躇していた。


「どうされましたか?何か気になる事でも有りましたか?」

「一つだけ、質問しても良いですか?」


「どうぞ、何なりとご質問下さい。」

「コントラクターには、何らかの素養が必要なんですか?例えば魔力を持っているとか。」


「いえ、コントラクターは自身で名乗るものです。ですが、彼らに支援をするかは、組織が判断して行います。また、組織の支援を全く受けないコントラクターは極少数です。」

「では、コントラクターへの訓練や教育は此方の組織で行っていますか?」


「はい。行っています。利用される方は非常に少ないですが、インストラクターによる訓練や講習のサービスも提供しております。」

「最後なんですが、俺がコントラクターに成るとして、組織は支援してくれますか?」


「はい。私は倉内様に支援をする価値が十分に有ると、考えます。」

 

 小泉さんに胸中の言葉を吐き出すと、彼はまるでそれを呼んでいたかの様にトントンと答え、最後の質問には笑顔で返して来た。


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