第5話 深夜の秘め事

 紀子博士の自宅は廃業したホテルを改装したものだ。玄関の自動ドアも広々としたロビーもそのまま使用している。


 黒ぶち眼鏡をかけたメイド服の女性が出迎えてくれた。


「ようこそ正蔵様。私は佳乃翠よしのみどりと申します。本日は私がご案内させていただきます」


 恭しく礼をする彼女は佳乃の姓を名乗っている。つまり、彼女もあの試作型アンドロイドなのだろう。そのままエレベーターに乗せられ、四階の客室へ案内された。案内してくれたアンドロイドの翠さんは小柄で胸元も薄く、髪は三つ編みのおさげにしていた。


「正蔵様。これからお風呂になさいますか? お食事になさいますか? それとも私?」


 思わず躓いて転びそうになった。


「正蔵様、どうして焦っているのですか?」

「からかわないでください。本気にしたらどうするんですか?」

「勿論冗談ですよ。お食事の準備がありますので、お風呂とどちらを先に致しましょうか?」

「ああ、そうですね。では先にお風呂へ行きます」


 俺は備え付けのタオルと浴衣を抱えて浴室へ向かう。ホテルの大浴場をそのまま使用しているので個人宅としてはとても贅沢だ。

 俺は洗い場で手早く体を洗い日没直後の露天風呂に入る。赤く染まった空がだんだん暗くなり少しづつ星が見えてくる。南の空に夏の大三角が見えてきた。その大三角も夜半には西の空へと沈んでしまうのだろう。ぼんやりと星を眺めていると、翠さんが露天風呂に入ってきた。


「お部屋の方で夕食の準備ができております。冷めないうちにどうぞ」

「はいわかりました」


 ゆっくりしすぎたようだ。急いで露天風呂から上がり、浴衣に着替えて部屋へ戻る。ここへ来たときは食堂で紀子博士や睦月と一緒に食事するのだが今夜は一人だけだった。


「紀子博士と睦月はどうしたのですか?」

「外出されています。今夜は私と正蔵様、二人きりですわ」

「え?」

「嘘です。もうすぐ椿姉様と夏美姉様も帰ってきますよ。今は車両を返却しに行ってます」

「ああ、そうなの」


 確かに、Zもサニトラも頼爺の工場から借りた車両だ。彼女達はアンドロイドだから食事はしない。だから待たなくてもいい。そして俺は、目の前に出された料理に目が釘付けになった。


「翠さん。これフグですよね」

「はいそうです。今夜はフグ尽くしですよ」

「……って、そんな高級魚いただいてもイイんですか?」

「ふふふ。フグはお好きなんですか?」

「ええ、大好きです。家ではなかなか食べられないから憧れていたのかな?」

「最近、萩ではマフグを養殖しているのです。結構安く手に入るので、ご遠慮なさらずにお召し上がりください」


 俺はその言葉に甘えて目の前にあるフグ料理を食べる。ふぐ刺しにフグの天ぷら、そしてふぐちり。学生の身分ではなかなか食べることができない豪華な食事だった。


「正蔵さま。お酒は如何ですか?」

「レモンチューハイがあれば飲みたいです」

「はい、直ぐにお作りしますね。黒霧(芋)と雲海(麦)と白岳(米)のどれにしましょうか?」

「じゃあ、米で」

「はい」


 テーブルの脇で、翠さんがチューハイを作ってくれた。何だか専属の美少女メイドさんにお世話していただいているようで、とても気分がいい。一杯目はぐぐぐっと一気飲みしてしまった。


「お替わりは?」

「お願いします」

「はいどうぞ」


 至れり尽くせりである。

 そのまま二杯目三杯目とハイペースでチューハイをあおる。


「正蔵さまはお酒が強いのですね」

「そうでもないと思うんですが。普段あまり飲まないもので」


 確かに、自分が酒に強いのか弱いのかよく知らなかった。何せ、二十歳になったばかりだし、合コンにも行ったことはなかった。


 豪華な料理と翠さんの給仕にすっかり気分上々となった俺はチューハイをガンガンあおった。すると何故か、目が回り始めたではないか。


「あれ? 目が回ってる」

「酔っちゃいましたか?」

「これが酔うって感覚なの? よくわかんないけど」

「うふふ。酔っちゃったみたいですね。介抱はお任せください」


 目の前、30センチほどの距離に翠さんの顔がある。蠱惑的というのだろうか。何か企んでいそうな怪しい笑みを浮かべていた。


 しかし、その彼女の顔も何故かグルグル回っている。

 あ、本格的に酔っぱらったのか?


 そう思ったのも束の間、俺は仰向けにぶっ倒れてしまった。


「ただいまー! って、何やってるの? 正蔵さま、大丈夫ですか?」

「お酒に酔ってるだけです」

「おお。これはこれは、やりたい放題だな」

「もう。翠さんも夏美さんも、いい加減にしてください。正蔵さまは私の物です」

「ええ? ちょっとくらいいいじゃん」

「そうですよ。椿姉さま。私たちにも少ーしお裾分けして」

「ダメダメ、絶対にダメ」


 椿さんと夏美さんが戻ってきたのだろうか。何か姉妹で争っているようだが、酔いが回っている俺にはどうでもよかった。俺の意識はそのままフェードアウトした。


※正蔵は大学二年生で二十歳になったばかりです。

※マフグの養殖は嘘っぱちです。現在、流通しているマフグは全て天然ものですよ。

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