後 編
それから、海藤さんは十日も休んだ。
女子は仮病だと海藤さんを責めたし、男子も任せた事を棚に上げて、散々文句を言った。そして体育祭で最下位だった事も
そして、久しぶりに登校してきた海藤さんに、誰一人として声を掛ける者など居なかった。
むしろ彼女の机を周りから離して、あからさまに
――僕は謝りたかった。
海藤さんが言い出した事だけど、実際は僕が押し付けたも同然だ。
なのに、
そして、言い出すチャンスが無いまま、一週間が過ぎた。
*
その日も孤立した海藤さんは、一人で音楽室の掃除をしていた。
僕は廊下係だったが、他のメンバーは野球ごっこに夢中だ。僕はチャンスとばかりに、そっと音楽室に滑り込んだ。
梅雨入りした6月は毎日が暗雲の空だったが、その日は珍しく晴れ間が覗いている。その明るく
「海藤さん」
僕の声に、はっと顔を上げる海藤さん。
久しぶりに見た彼女は、白い肌がより一層透けている様だった。
「……っ高橋君?!」
僕を見て、彼女の白い頬にほんのりと赤味が差す。
僕も緊張のせいか、すごく顔が熱い。
――そして、僕が謝ろうとする前に、海藤さんの方が頭を大きく振りかぶった。
「……あの、ごめんなさい! ミサンガの事!」
「い、いいんだよ! 僕が無理なお願いしたのが悪かったんだ!」
すると、海藤さんは慌ててプリーツスカートの両ポケットを探る。
「て」
「え?」
「手、出して」
僕は言われた通り両手を出すと、そこへ、パラパラと青い紐が
それは、16本の青いミサンガ。
ミサンガを僕の手のひらに乗せた海藤さんは、
「体育祭の朝ね、貧血で倒れてちゃったの。……ほんとに、ごめんね」
「えっ、倒れたって……?!」
「私、時々休むでしょう?……あんまり、体が強くないんだ」
「それなのに、無茶してミサンガを作ったの!? なんでそんな事をしたの?」
海藤さんは黙り俯いた。
そして顔を上げると、優しく微笑んで言ったのだった。
「みんなとの、思い出が欲しかったの」
*
それからの一週間。
僕と海藤さんは、掃除の時間に二人きりで話す機会を得た。
「私ね、病気で学校も休みがちで、楽しい思い出が全然無いの。だから、次の行事の合唱コンクールこそは、絶対に参加するって決めているんだ」
「……合唱コンか。このクラスの団結力じゃあ入賞は無理だろうな」
「私は参加するのに意味があるの」
「じゃあ、今度は無茶なお願いをしない様にするね」
僕の冗談に海藤さんは微笑み、それから言った。
「……もし、曲の候補が無かったら『マイバラード』が良いな」
「なんで?」
カーッと一瞬で顔を赤くする海藤さん。そして蚊の鳴くような声で、
「……わ、私の、名前が入っているから」
「……ああ!」
マイバラードのマイは英語の
つまり、
「『マイバラード』は海藤さんの歌って事か」
海藤さんは照れ隠しか、何度も俯いた。
そんないじらしく恥じらう姿に僕の胸がグッと苦しくなる。
「でも、信用無くした私が提案しても駄目かな……」
「じゃあ、僕が言うよ」
海藤さんは僕を見上げた。そして、とても嬉しそうな顔をして唇を震わせた。
「……ほんと?」
「うん」
「ほんとに? うわあ、嬉しい! ありがとう、高橋君! うわあ、合唱コンがすごく楽しみになっちゃった!」
合唱コンは10月。
6月の今から考えれば、まだ先の話。
僕たちはそれまでにもっと仲良くなれると思っていた。
いや、僕は仲良くなりたいと思っていた。
……そう、思っていた。
*
翌週の月曜日。海藤さんは再び学校を休んだ。火曜日も来なかった。
そして一週間、丸々来なかった。
しかし、海藤さんが来ない事を心配しているクラスメイトはいない。
僕一人を除いて。
それからも時間は無情に過ぎて行き、彼女の居ない教室は、クラスの当たり前の光景となっていった。
そんな中でも僕は海藤さんを考えない日は無かった。先生にこっそりと彼女の事を聞くと、海藤さんは体調が悪化して入院してしまったらしい。
しかし、合唱コンだけは出たい。
それまでには、学校へ来たいと言っていたと。
それを聞いて、僕のやるべき事はすぐ決まった。
合唱コンの曲を決める
僕は真っ先に手を挙げて言った。
「『マイバラード』が良いです。僕が指揮をします!」
合唱コンに対して、全く興味の無いクラスメイト達は僕の熱意を買ってくれた。そして決定すると、すぐに手紙を書いて、海藤さんへ届けて欲しいと先生にお願いをした。
それから、四日後。
海藤さんから白いメモ帳の返事が届く。
初めて見る海藤さんの字は、まるっこくて、小さくて、海藤さんそのものだった。
『ありがとう、高橋君。絶対に学校へ行くからね』
何度も何度もその紙切れを読んだ。
胸がいっぱいになる。
そして海藤さんと最高の合唱をするために、練習に励む事を決めたのだった。
*
僕は昼休みに合唱練習をする事を提案し、時間になると教室にマイバラードのCDを流した。
けれど当然だけど、やる気も協調性も無い3年1組のみんなは参加してくれず、ただ伴奏が流れるだけ。
しかし僕は一人でも曲を流して練習をした。指揮者だから、歌う必要がないけれど、それでも僕がこの曲を知らなければ指揮は振れないのだから。
そんな日々が続いた、ある日の事。
曲の準備をしていると、僕の肩を
彼女達はかしこまった顔で言ったのだ。
「……私達も、歌っていい?」
「え?」
「高橋がそんなに合唱コンに熱心なのはさ、海藤さんのためなんでしょう?」
――何故、小杉が僕が頑張る
驚いて言葉が出ないでいると、小杉は図星だとばかりに笑った。
「高橋がいつも海藤さんを気にして、先生と話しているのも知っているんだよ」
「えっ!」
「……
とりまきの女の子達も俯き、心から反省している様子だ。
「……だからね、私達も合唱を完璧にして、帰って来た海藤さんに謝りたいの……それとも、あれだけ酷い事したのだから、もう無理かな……?」
小杉の不安そうな目が僕を見つめる。
僕は、そんな彼女を安心させる様に、大きく首を横に振った。
「いいや、それは最高の提案だ! 最高の仲直りだよ!」
その言葉に、小杉の
――それから。
仲間は一人、二人と増えていき……気がつけば、クラスの全員が練習をしてくれるようになった。
みんなも海藤さんに対しての振る舞いに、罪悪感を感じていたのだろう。口には出さないが
ハーモニーは、ほぼ完璧だった。
あとは、この音に海藤さんが加わるだけ。
そう、加わるだけだったのに……。
先生は、合唱コンの五日前になって、嘘みたいな事を言ったのだ。
海藤さんが、昨日の夜、亡くなったと。
*
「高橋」
誰かに肩を叩かれて、正気に戻る。見上げれば、赤い目をした小杉が立っていた。周囲からもすすり泣く声が聞こえ、空気は重い。
小杉は何か言いたげに泣き腫らした目で、僕を見つめる。
……その目を見ていると、僕も泣きそうになって、無理やり何かを言おうとした。
「……実は、マイバラードは、海藤さんの、リクエストで……」
……でも、唇が震えて、視界が緩む。
すると小杉が突然「高橋!!」と叫ぶ。
驚いて顔を上げる僕とクラスメイト達。
顔を赤くした小杉は、続けて叫ぶ。
「歌おう!! 海藤さんに届く歌、みんなで完成させるよ!」
小杉の
――それから、残りの五日間。
僕らは早朝も休み時間も放課後も、時間を全部使って練習をした。
受験生だったのに、勉強だってしたいだろうに、合唱コンのために時間を割くことに、誰も文句は言わなかった。
みんな、一人の女の子を想って、歌を歌い続けた――。
*
――そして今。
体育館のステージの上で。
僕はピアノ伴奏者に合図をし、指揮棒を振ろうとした時、小杉が何かに気付き、僕に観客席を見て! と指差した。
僕は振り向く。
観客席の最前列。
その真ん中に写真を持った女の人が居た。
海藤さんによく似た、小柄なおばさん。
手に持つ写真には笑った海藤さんが写っていた。
そしておばさんの細い腕には、赤いミサンガがついている。
心に、海藤さんが書き残した言葉が浮かぶ。
『ありがとう、高橋君。絶対に学校へ行くからね』
……僕は。
こんな風に君と歌いたかったんじゃない……。
笑って生きている君と、一緒に歌いたかっただけなんだ……!
一人観客に背を向けて、みっともなく涙を流す僕を、28人のクラスメイトは誰一人笑うことは無かった。
みんなが僕の恋の結末を知っている。
でも、みんなが僕の誰にも言えなかった恋を、小さな恋の行方を、真剣に見守ってくれている。
僕は指揮棒を振り上げた。
その腕から、青いミサンガが覗く。
28人の腕にも赤と青のミサンガが
僕たちは心を一つにして『マイバラード』を歌う。
その美しい歌声は体育館を超え、高い空へと溶けて、やがて遥か遠い場所で歌声を聞いている海藤さんに届いて欲しい。
響け、みんなの歌声。
届け、僕の愛のメッセージ。
30人のマイバラード さくらみお @Yukimidaihuku
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