第10話 あはは……そうならなくて良かったです

 その日の夜。クリスが眠った後、ソフィアは、クリスの顔に掛かっている髪を払ってあげながら、優しい眼差しでその寝顔を見ていた。


「こうして見ると、やっぱり可愛い女の子だなぁ」


 ソフィアは、そのままクリスの事を考えていた。


(話を聞いた限りだと、そんなすぐに人を信用するようには思えないんだよね。たった四日しか一緒にいない人を……それも自分の身体を弄ってくる相手を、すぐに信用はしないはず……)


 ソフィアが考えていたのは、クリスの精神面の事だった。


(本当に、私に依存しているって事かな? まぁ、あれだけ信じてって言ったり、クリスちゃんのために動いていたら、そうなってしまうのも無理ないのかな? でも、これって、子供が年上を頼りにするのと同じような感じなんじゃ……)


 そこまで考えて、ある結論へと辿り着く。


(もしかして、クリスちゃんは、身体に精神が引っ張られているのかな? 元々二十五って言っていたよね。二十五の男性にしては、少し子供っぽかったり、見た目の年齢相当の反応を見せていたり……まぁ、そういう人もいるけど、クリスちゃんは、そういう人ではないと思う)


 ソフィアは、クリスが肉体の年齢に合わせて、精神の年齢が下がってしまっていると考えたのだった。今までのクリスの反応は、大人としての反応と言うよりも、子供らしい反応が多かった。それは、クリス自身が意識してそうしているわけではない。それを、ソフィアも見抜いている。


(今の状態に適応していると考えれば、いい事みたいに感じるけど、実際問題、それはどうなんだろう? もしかして、それも話にあった副作用の一つなのかな? 今、考えられている副作用は、クリスちゃんの髪の催淫または魅了効果とそっちの気になった時の身体の敏感さだけど……)


 ソフィアは、そう考えつつクリスの髪の毛を触る。その白い髪がキラキラと光って見えていた。そこで、ソフィアにも、ある考えが浮かんでくる。


(もしかして、私もクリスちゃんの髪の毛を見て、魅了された人の一人なのかな? だから、こうして一緒に寝ようって誘った? いや……仮に最初の気持ちが髪によるものでも、今の気持ちは違うはず……そう信じたいな……)


 ソフィアは、露わになったクリスの額にキスをする。すると、クリスが薄らと目を開けた。起こしてしまったと、少し慌てるソフィアだったが、クリスは、ソフィアの事を見て、ニコッと笑い、また目を閉じて、静かに寝息を立て始めた。ソフィアは、ホッと安堵しつつも、少し困ったような顔をする。


(……やっぱり、精神年齢が下がっているよね? でも、これをいきなり伝えたら、クリスちゃんを混乱させる事になるから、もう少し精神的に余裕が出来てから話した方が良さそう)


 今のクリスは、きっと精神的にも一杯一杯なのではとソフィアは考えていた。そのため、このことをすぐには話さない事に決めた。これ以上負担を掛けてしまっては、精神的に壊れてしまうかもしれないからだ。


(この子の事は、私が守ってあげよう。せめて、王都に着くまでは、絶対に)


 ソフィアは、そう心に誓い、クリスを抱きしめて眠りについた。


 ────────────────────────


 翌日。いつも通りに、ぼーっとしながら目を覚まして、洗顔と歯磨きを行うと、ソフィアさんがキスをしてきた。男だという告白をしても、ここら辺は一切変わらない。まぁ、昨日の夜も変わらなかったから、ここが急に変わる事なんてあり得ないけどね。

 やることをした僕達は、宿屋を出て、冒険者になるべくギルドの方に向かう。ギルドに着くと、ソフィアさんと一緒に受付に近づいていった。


「いらっしゃいませ。本日も練習場をご利用ですか?」


 既に顔馴染みになってきている受付のお姉さんが、ニコッと笑ってそう訊いてきた。営業のための笑顔なのか、毎日同じように笑って接客をしていて凄いと思う。


「いえ、今日は、この子の冒険者試験を受けに来ました」

「もう試験を? ついこの前に修行を付けるとおっしゃっていましたが、お早いですね。こちらをお読みになりましたら、署名をお願いします」


 受付のお姉さんが渡してくれた紙には、『これから起こる怪我などは自己責任になる』という旨が書いてあった。つまり、試験内容は怪我をする可能性があるという事だ。

 それは、ソフィアさんから聞いていたから、あまり驚きはない。ただ、ギルドの責任にはならないんだなとは思った。

 署名を終えた僕は、受付のお姉さんに紙を返す。


「承りました。試験の内容は、職員との模擬戦です。模擬戦相手となる職員は、元冒険者です。実力的には、えっと、クリスさんよりも格上となります。充分にお気を付けください。会場は、いつもお使いになっている練習場です。数分で、職員が向かいますので、そこでお待ちください」

「分かりました」

「それと、クリスさんの得物は短剣ですか?」

「はい」

「それでは、これをお持ちください」

「ありがとうございます」


 僕は、受付のお姉さんから、木製の短剣を受け取って、練習場に向けて脚を踏み出す。そして、すぐにソフィアさんに首根っこを掴まれる。何だろうと思って、ソフィアさんの方を見る。


「クリスちゃん。練習場は、あっち」


 ソフィアさんはそう言って、僕が向かおうとしていた道と別の道を指さす。


「え………あ……ありがとうございます」


 ソフィアさんに手を取られて、練習場に案内される。いい加減、この方向音痴もどうにかしないといけないかな。どうやって治せば良いのか分からないけど。

 ソフィアさんと一緒に練習場で待っていると、頬に大きな傷が付いた壮年の男性がやってきた。


「ああ!? 嬢ちゃんが志願者か!?」

「え? あっ、はい」


 一瞬、嬢ちゃんって誰だと思ってしまったけど、確実に僕しかあり得ない。試験官の職員さんは、ため息をついていた。何だか、感じの悪い人だ。


「悪い事は言わねぇ。やめとけ。嬢ちゃんみたいな、なよなよしいもんがやるような仕事じゃねぇぞ」

「でも、ソフィアさんは、冒険者やっていますし、他にも女性の冒険者はいらっしゃいますよね?」

「嬢ちゃんは、あの【緋色の剣姫】が、なよなよしく見えるか? 俺にはそうは見えん」

「……見えないです」


 ソフィアさんのイメージは、どちらかと言うと、格好いい、勇ましいって感じだ。剣士としての姿はだけど。普段の姿……というより、夜の姿は、妖艶って感じだ。

 職員さんにも凜々しく見えているのかな。それにしては、職員さんの顔が硬い気もするけど。


「ですが、僕は、冒険者にならないといけないので、試験をよろしくお願いします!」

「そうか。覚悟は出来ているようだな。なら、試験を始める。合格条件は、俺に一太刀浴びせる事だ」

「そんな簡単な事で良いんですか?」

「簡単ってお前な……」


 職員さんは、呆れたようにため息をついた。


「俺は、これでも元Bランクの冒険者だぞ。一般的な冒険者よりは、強い自信はある。そこの【緋色の剣姫】には、負けるけどな」

「そうなんですか」

「そうなんですかって……はぁ……まぁ良い。そっちに立て。俺の合図で、試験開始だ」

「分かりました」


 僕は、言われた立ち位置に移動する。そして、木製の短剣を構える。


「よし。始め!!」


 職員さんの合図と同時に、僕は地面を蹴る。職員さんも木剣を持って、構えている。短剣と普通の剣の差で、先に向こうの間合いになってしまう。

 職員さんが、木剣を縦に振った。それは、僕の肩に目掛けて振われていた。僕は、短剣を木剣の側面に勢いよく当てて、無理矢理軌道を変える。

 それを見た職員さんは、少し驚いた顔をしていた。

 僕は、短剣を引き戻して、職員さんのお腹に目掛けて振う。職員さんは、後ろに飛び退いて避けた。僕は、開いた距離を、再び縮めるために駆け出す。

 職員さんは、僕が最接近する前に、木剣を横に振るって、距離を維持させようとする。僕は、身体を思いっきり前傾させて、頭上を通り過ぎさせる。そして、再び職員さんのお腹に目掛けて、今度は短剣の突きを打ち込む。

 だけど、その突きは引き戻された木剣によって、防がれてしまった。職員さんは、木剣を振って、僕の短剣を弾くと、再び木剣で薙ぎ払ってきた。僕は、その薙ぎ払いに合わせるように、横に身体を倒す。そのまま側転をして、一度距離を取った。


 身体が変わった時は、どうなることかと思っていた身体の動かし方も、ソフィアさんとの修行のおかげで、かなり自由自在に動かせるようになっていた。


「嬢ちゃん……中々やるな。見縊っていたぜ」

「それはどうも」


 向こうは、まだまだ余裕があるみたいだ。さすがは、元冒険者といったところかな。正直、こっちはつけいる隙を見つけるので精一杯だ。ソフィアさんと修行をしたから、結構余裕かと思ったけど、やっぱりそう簡単にはいかないみたいだ。

 それでも、ここで合格しないといけないわけが僕にはある。


 僕は、短剣を構えつつ、突っ込んでいく。職員さんは油断なく木剣を構えていた。僕は、職員さんの間合いに入る直前に、地面を踏み切って、跳び上がる。職員さんは、怪訝な顔をしつつも、木剣で僕を打ち落とそうとする。

 職員さんの木剣が、僕に命中する直前に、空中で思いっきり身体を捻って、木剣をギリギリのところで避ける。職員さんは、目を見開いて驚いていた。

 そして、攻撃を避ける事に成功した僕は、職員さんの肩に短剣を当てた。職員さんを通り過ぎた僕は、身体を捻って、脚から地面に着地する。


「はぁ……はぁ……はぁ……やった!」


 僕は、無意識に拳を握って喜ぶ。そんな僕に、ソフィアさんが飛びついてきた。


「やったね! クリスちゃん!」

「はい! 頑張りました!」


 僕達が喜び合っていると、職員さんがため息をつきながら近づいてくる。


「まさか、本当に当てられるとはな。せめて、そのフードを取っ払ってやりたかったが、俺も衰えたな」

「あはは……そうならなくて良かったです」


 そんな事になっていたら、何が起こるか分からない。他者を魅了してしまうこの髪は、基本的には隠しておいた方が良い。


「それよりも、これで、僕は合格ですよね!?」

「ああ。その通りだ。少し待っていろ」


 職員さんはそう言って、少し練習場から出て行き、一分で戻ってきた。


「この紙を受付に持っていけ」


 職員さんは、合格と書かれた紙を渡してくれた。


「ありがとうございます!」


 僕は、合格の紙を受け取り、受付に戻ろうと脚を踏み出す。その一歩を踏み出したところで、少し止まって、ソフィアさんを見た。僕が踏み出した先に受付があるか不安になったからだ。


「うん。そっちで合ってるよ」


 向かうべき方向が分かった事に、少し喜んでいると、


「そもそも、出口はそこにしかないから、間違えようがないけど」


 と言われてしまった。確かに、周りを見回してみると、出口は一つしか無い。これで、方向を間違えたら、かなりやばい人になってしまう。

 ソフィアさんの指摘で、一気に肩を落とす。


「何で試験の合否よりも、一喜一憂しているんだ……」


 試験の合否よりも、方向感覚が合っているかどうかの話の方が、喜びと憂いの感情が表れていたので、職員さんも呆れ顔になっていた。


 ────────────────────────


 受付に戻った僕は、受付のお姉さんに合格の紙を渡した。


「合格されたのですね。おめでとうございます」

「ありがとうございます」

「それでは、こちらに血を垂らしください」


 受付のお姉さんは、一枚のカードをカウンターに置く。その後に、一本の針を渡された。その針は、受付のお姉さんが火で炙っていた。多分だけど、消毒をしているのだと思う。

 指先を針で軽く刺して、血を出す。その血をカードに垂らした。すると、垂らした血がカードに染みこんで消えていき、代わりに文字が浮かんできた。

 浮かび上がった文字は、僕の名前と冒険者ランクであるGの文字だった。


「凄い……」

「結構面白い技術だよね。技術を発表しているわけじゃないから、ギルドの独占技術なんだよ」

「へぇ~、そうなんですね」


 受付のお姉さんではなく、ソフィアさんが説明してくれた。本当に面白い技術だ。色々なところで使えそうだと思いつつ、これを作る度に血を垂らす事になりそうだという事に気が付き、あまり普及はしないだろうと考えた。


「これで、クリスさんも冒険者の仲間入りです。依頼に関しましては、あちらの依頼板からお選びください。受ける事が出来るのは、自分と同じランクか、その一つ下のランクまでになります」

「分かりました」


 受付のお姉さんから説明を受けた僕は、早速依頼板の元に向かった。ソフィアさんも一緒に付いてくる。


「えっと……Gランクの依頼は……薬草採取だけ?」


 依頼板に貼ってあるGランクの依頼は、薬草採取だけだった。隅から隅まで見てみたけど、他にGランクの依頼はない。Gランクは、一番下のランクなので、それ以外の選択肢はなかった。


「報酬もあまり良くない……」


 薬草採取の報酬は、今、泊まっている宿屋の代金にすら届かない。ラゴスタで泊まっていた宿屋の代金にもギリギリ届いていない。たったの銅貨四枚だ。

 ちらっと一つ上であるFランクの依頼を見てみると、多いもので銀貨一枚になっていた。

 この国の貨幣は、銅貨五十枚で大銅貨一枚。大銅貨十枚で銀貨一枚。銀貨二十枚で大銀貨一枚。大銀貨十枚で金貨一枚。金貨十枚で大金貨一枚。大金貨十枚で白金貨一枚となっている。


「Fランクって、どのくらいで上がれるんでしたっけ?」

「Gランクの依頼を二十回成功させると上がれるよ。ランク条件としては、比較的楽な分類だね」


 Gランクの依頼が、薬草採取しかない以上、これを何回も受けて成功させないとランクを上げる事は出来ない。と言うことは、一日一回以上受けていけば、最大でも二十日掛かるという事だ。


「すみません。何だか、凄く長い旅路になるかもしれないです」

「全然問題無いよ。のんびりと進んで行こう。焦りは禁物だからね」


 この旅は、僕の目的が中心となっている。だから、僕が急がなくても、ソフィアさんも文句はないのだろう。

 正直、早く王都に行って、元の身体に戻りたいけど、ここは地道にランクを上げていこう。ランクさえ上がれば、もっと早くお金を稼ぐことも出来るし。ソフィアさんの負担も減らせるかもしれない。これは、考えすぎかもだけど。


「よし! 頑張ろう!」


 僕は、薬草採取の依頼を取って、受付に向かい受注する。するすると手続きが進んで行き、受注が完了した。


「それじゃあ、頑張ってね」


 ソフィアさんは、そう言って手を振っていた。


「え? 一緒には来てくれないんですか?」


 てっきり、ソフィアさんも付いてくると思っていた僕は、そう訊いていた。


「うん。ギルドの規約で、私は一緒には行けないんだ」


 ソフィアさんがそう言うと、後ろにいる受付のお姉さんも頷いていた。ソフィアさんが、このことについて詳しく説明してくれる。


「ランク差がありすぎると、依頼の同行は出来ないんだよ。下手したら、ちゃんとした実力を伴わずにランクが上がってしまうからね。ランクが細かく分かれているのも、ちゃんと実力に合った依頼を受けられるようにするためなんだよ」


 そう説明されてしまっては、僕も納得せざるを得ない。それでも一つだけソフィアさんにお願いしたいことがあった。


「じゃあ、せめて街の入口まで案内してくれませんか?」

「あ、それはそうだね。入口までは、一緒に行こうか」


 ソフィアさんが、僕の手を取って歩き出す。方向音痴の僕は、ここから街の入口に向かえるかどうかも怪しい。だから、そこまではソフィアさんに案内して貰いたかったのだ。

 ソフィアさんに連れられて、街の外まで移動した。


「それじゃあ、私はここまでだね。頑張ってね。いってらっしゃい」


 ソフィアさんが手を振る。少しだけ不安になりつつ、僕も、ソフィアさんに手を振り、一人で外の世界に脚を踏み入れた。

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