第6話 うん。似合わないね!

 翌日。昨日の夜にかなり消耗したせいか、若干、身体に疲れを感じつつも目を覚した。重い瞼をちょっと開けると、ベッドの上にソフィアさんはいなかった。昨日の夜は、ソフィアさんに抱かれながら寝ていたので、本当なら目の前にソフィアさんがいるはずなんだけど。


「?」


 どこに行ったのだろうかと思い、周りをキョロキョロと見回していると、洗面所がある方から、ソフィアさんが現れた。僕よりも先に起きて、洗顔と歯磨きをしていたみたいだ。


「おはよう、クリスちゃん」

「おはよう……ございます……」


 身体を起こして返事をするけど、朝のせいなのか、頭が働いておらず、さらに、まだ眠気にも襲われているので、身体が横に揺れていた。

 それを見たソフィアさんは、目をぱちくりとさせてから、小さく吹きだした。


「クリスちゃん、朝は弱いのね。大丈夫? ちゃんと、起きてる?」

「はい……起きて……ます……よ……?」


 僕がそう返事をすると、ソフィアさんは困ったように笑ってから、ベッドまでやって来て、何故か、僕を脇に抱えた。


「?」


 何をするつもりか分からないので、首を傾げていると、ソフィアさんは、そのまま洗面所の方まで移動した。


「はい。顔を洗うよ。眼を瞑って」


 僕が言われたとおりに眼を瞑ると、顔に水を掛けられる。まさか本当に水を掛けられると考えていなかった僕は、びっくりして、身体を震わせる。


「!?」

「まだ、眼を瞑っていてね」


 それでも、ソフィアさんにがっちりと抱えられているため、顔を洗われ続けるしかなかった。ソフィアさんに、何度か顔を洗われて、ようやく半分くらい目が覚めてきた。


「歯は、自分で磨ける?」

「はい……」


 タオルで顔を拭かれてから、ソフィアさんに歯ブラシを貰って、自分で歯を磨いていく。ソフィアさんは、その間に部屋を出て行く準備をしていた。

 歯を磨き終わった僕は、完全に目を覚ますために、身体を伸ばしながら、自分の荷物があるソファに移動する。


「クリスちゃん、起きた?」

「はい。おかげさまで、バッチリ起きていますよ」


 まだ、若干頭に靄が掛かったような感じがあるから、完璧に起きているわけじゃないけど、ちゃんと思考は出来るようになった。

 ちょっと寝ぼけすぎて、ソフィアさんに恥ずかしいところを見られた気がするけど、裸を見られているし、今更だなと思うことにした。

 そんな僕に、ニコッと微笑みながらソフィアさんが近づいて来て、正面で止まる。今のソフィアさんは、出会った時と同じく鎧を纏っている。ただし、全身を完全に覆うような鎧では無く、胸当てや肘当て、籠手などの一部に纏っている形だ。


「?」


 目の前で止まったソフィアさんに首を傾げていると、ソフィアさんが僕の頬を両手で包んで、軽くキスをしてきた。


「!?」


 突然の事で、目を白黒させていると、ソフィアさんはお茶目に笑った。


「おはようのキス」

「契約に含まれるんですか!?」

「だって、軽く触れるだけだったでしょ? 誰も夜限定とは言っていないしね」


 そう言われてしまうとぐうの音も出ない。そんな僕を、ソフィアさんがぎゅっと抱きしめてくる。でも、昨日の夜みたいに、身体が敏感に反応するというような事はなかった。やっぱり、あの感覚は夜というか、あれをする時、限定って感じなのかな。正直、常にあんな感覚になっていたら、絶対に身体が保たない気がする。

 そんな事を思っていると、ソフィアさんがまとめた荷物を担いだ。


「よし! じゃあ、出発しよう!」

「そ、そうですね」


 僕達は、荷物を持って宿屋を出た。受付の人に、一応一礼しておく。ある意味お世話になったわけだし。受付の人も、ニコッと笑って軽く頭を下げていた。今度、ユリージアに来た時も、ここを使わせて貰おう。その時は、自分のお金で泊まれるようにしとかないとだけど。

 宿屋を出た僕達だけど、ソフィアさんは宿屋を出た目のまで立ち止まった。


「まぁ、出発って意気込んだのは良いんだけど、まずは朝ご飯を食べようか。こっちに、朝食を作っているお店があるから、しっかりとついて……」


 ソフィアさんは言葉の途中で止めて、僕のことを見る。僕も、どうしたのだろうと思い、ソフィアさんを見上げる。


「街中は手を繋いで歩こうか。ちょっと心配だし」


 言葉を途中で止めた理由は、僕の方向音痴だった。正直、僕も少し不安になっていたので、恥ずかしいけどお言葉に甘える事にした。一応、実年齢だったら、僕の方が年上のはずなんだけど……


「分かりました。お願いします」


 僕がそう言うと、ソフィアさんは優しく微笑んで僕の手を取る。


「それじゃあ、行こうか」

「はい」


 僕達は、朝ご飯を出してくれる店で、挟みパンを頼んだ。パンの間に卵とハムが挟まった一品だ。単純な一品だけど、これが美味しい。


「それで、どういう経路で王都まで向かうの?」


 ソフィアさんは、レタスとトマトとハムを挟んだ挟みパンを食べながら訊いてくる。


「えっと……ここから、ファウルム、カエストル、ラバーニャ、ピリジン、バルムント、マレニアの順で都市を渡っていくつもりです。乗合馬車を使おうと思っているので、経由地として、小さな街にも寄ることになると思います」

「なるほどね。全部乗合馬車で移動するのは厳しそうだから、途中は徒歩になるかもね。取りあえず、ここからファウルムまでは、乗合馬車で移動出来るから、馬車乗り場まで行こうか」

「はい。分かりました」


 ここからの経路の確認も取れ、朝食も済ませることが出来たので、僕達は乗合馬車乗り場へと向かった。この時の移動もソフィアさんに手を繋いで貰った。もはや、年上の矜持は消え去った。安全にこの旅を終えるには、ソフィアさんに手を繋いで貰った方が良いからだ。そんな矜持一つで、危険な事に陥る可能性があるのなら、そんなもの捨てた方がマシだ。

 乗合馬車乗り場に来た僕達は、料金を支払って、乗合馬車へと乗り込んだ。

 次の街は、小さな街だ。その街に着いたら、すぐに次の乗合馬車へと乗り換えて、ファウルムまで向かった。

 ユリージアからファウルムまでは、乗り換えも含めて、それなりに時間が掛かるので、僕は、本を読んで暇つぶしをしていた。読んでいる本は、僕の好きな娯楽小説だ。

 本を読むこと自体は好きだから、良い暇つぶしになるのだけど、今回は、いつもより集中することが出来なかった。何故なら、馬車に乗っている間、ずっとソフィアさんの膝の上にいるからだった。そんなに身長差が大きいわけではないので、さすがに、すっぽりと覆われるような事はないけど、肩越しから本を覗いてきていたので、フード越しの耳元で、ソフィアさんの息づかいが聞こえていたのだ。


 何故こんなことになっているのかというと、乗合馬車に乗り込める人数が後一人だったので、ソフィアさんが、僕を膝に載せれば乗れると交渉した結果だった。膝の上なら、大丈夫だろうと、御者さんも判断したみたいで、すぐに了承が取れた。そこまで大丈夫だとは思えないのだけど。

 おかげで、少し恥ずかしい思いをしている。フードを、いつもより目深に被っているから、顔は見られていないけど、時折、他の乗客の視線がこっちに向いている事が分かった。

 それを誤魔化すように本を読んでいると、ようやくファウルムに着いた。


 そして、ここで大きな問題が発生する。僕の資金が尽きてしまったのだ。


「もう少し進めると思ったんですが……」

「ここ最近、乗合馬車の料金も値上げしたりしているからね。まぁ、危険な仕事ではあるし、仕方ないよ」


 これに関しては、僕の見積もりがちょっと甘かった。勇者パーティーとして、ラゴスタまで旅をしていたけど、基本的に勇者料金として、無料で移動していたし、ずっと王都で暮らしていたので、ここら辺の情報には疎かったのだ。もう少し調べてから、出発するべきだったかな。今更、そう思っても遅いけど。


「ここで、少しお金稼ぎしないとダメですね」

「馬車代くらい、立て替えられるよ? これでもSランク冒険者だし」

「……いえ、これは自分で出したいです」


 ソフィアさんが、魅力的な提案してくれるけど、返済出来る宛があるわけでもないし、遠慮しておく事にした。それに、この旅に関する事を全部ソフィアさんに頼るのは、少し違う気がする。これは、僕が始めた旅だから……だから、自分の旅の費用だけは、自分で出したいのだ。


「そう? でも、どうやって稼ぐの?」

「取りあえず、冒険者になります。それで、依頼を受けていけば、移動資金くらいにはなるはずです」

「でも、戦えないでしょ?」

「うっ……」


 そう言われて、自分に戦闘能力がないことを改めて思い出した。そのせいで、ソフィアさんを身体支払いで雇うことになったのに。


「もし、あれだったら、基本的な戦闘方法くらいなら教えられるけど」

「うぅ……でも、ここで頼ってしまうと……」


 ここで頼れば、また対価が必要になる。こういうところで、無償の手伝いを頼むと、色々なタガが外れてしまうかもしれない。だから、ちゃんと対価は支払わないといけない。だけど、払えるお金がないので、必然的に無償で手伝ってもらう事になりそうなのだ。

 そんな風に葛藤していると、ソフィアさんが困ったように笑った。


「別に、お金の要求はしないよ。それに、夜を激しくするって事もないから」

「そ、そうですか?」


 確かに、夜の行為を、少し過激にする代わりに手伝いを要求するという事も出来た。もう既に、身体で支払える事は確定しているからだ。ただ、僕にはそんな事、思いつきもしなかったけど。でも、お金と夜の事抜きということは、結局無償って事になってしまう。そんな風に考えていると、ソフィアさんが別の提案を出した。


「代わりに、一緒に下着を買いに行こう。それに付き合うっていうのが、対価って事でどう?」

「え? でも、下着なら、今も穿いていますよ?」


 僕は、今もドロワーズを穿いている。これが、現状穿ける下着なので、当然だけど。

 ただ、昨日の夜は、このドロワーズ姿が、ソフィアさんから不評だったのだ。そういえば、ソフィアさんは、あの下着屋で勧められたものに似ている下着を穿いていた気がする。もしかして、あの下着を買いに行こうと言われているのだろうか。


「せっかく可愛いんだから、下着も可愛くしないと、勿体ない!」

「うぅ……」


 やっぱり、あの下着を買いに行こうと言われている。せっかく女の子らしさがない普通の下着を選んだのに、ここで結局買う事になるのか。

 ここでも、ちょっと葛藤する。ただ、これから先の旅でも、戦闘技術は必要になるので、習った方が良いというのは本当だ。ソフィアさんの護衛があるとはいえ、自衛の手段を持っているのと持っていないのでは、自身の安全性に雲泥の差がある。


「それでお願いします……」

「うん。承りました。じゃあ、今日も少し時間があるし、早速剣術を教えてあげる。どのみち冒険者になるなら、試験で戦闘をする事になるしね」

「ああ、試験があるんですね。それはそうか。頑張らないと」


 僕が意気込んでいると、ソフィアさんの目がキラキラと輝く。それは、昨日の夜にしていた目と似ていた。どこに興奮する要素があったのだろうか。謎だ。


「下着の方は、明日だね。取りあえず、宿を取ってから、ギルドに向かおう」

「はい」


 僕は、ソフィアさんと手を繋いで、宿屋へと向かう。ソフィアさんが案内してくれた宿は、どう見ても高級宿だった。


「あの……」

「宿代は私が出すよ。あっ、ここは譲らないからね。夜の主導権は、私にあるんだから。宿選びも費用も私持ちって事で」


 そう言われてしまうと、頷かざるを得ない。僕が渋々頷くと、ソフィアさんは嬉しそうに中に入っていく。ソフィアさんが手続きをしている間に、宿屋に置いてあった小冊子を見てみると、ここは防音加工がされていて、隣の部屋とかに声が漏れないらしい。最近の技術はすごいな。

 ソフィアさんは、本当に夜のことを考えて、宿屋を選んだみたい。ただ、一つ言いたいのは……これって、僕が声を上げるという事を想定しているって事だよね。

 僕は、心の中で、絶対に声を上げないようにしようと決めた。多分、無理だろうけど……


「手続きが終わったよ。部屋に荷物を置いてこよう」


 そう言うソフィアさんの手には、部屋の鍵が握られていた。ここは、施錠すらも出来るらしい。それも小冊子に書いておけばいいのに。ここの宿屋の売り出しポイントは、防音加工に振られているようだ。

 ソフィアさんの一緒に部屋に入る。部屋の中で、僕が荷物を置いていると、ソフィアさんから短剣を渡された。


「クリスちゃんが戦うとしたら、普通の剣だと重いでしょ? 多分、短剣ぐらいが扱いやすいんじゃないかな」

「なるほど。確かに、このくらいの重さだったら、扱いやすいです」


 鞘に収まったままの短剣を軽く振って、重さの確認をした。鉄の塊だから、それなりに重いけど、これなら、今の筋力でも扱える。


「これと同じ重さの短剣を買えば良いって事ですね」

「ううん。それ、あげる」

「え、でも……」


 これも貰う事になると、さすがに、僕の貰いすぎになってしまう。その事を危惧していると、


「それは、私のお古だよ。もう使ってないから、貰ってくれると嬉しいな。短剣も荷物の奥で、腐っているよりも、誰かに使われた方が嬉しいだろうからね」


 僕が、遠慮しようとしていると悟ったのか、ソフィアさんがそう言った。そう言ってくれるならと思うのが、普通だろうけど、僕はそう考えなかった。何故なら、その短剣は、どう見ても手入れが行き届いているからだ。

 例え本当に使っていないとしても、ソフィアさんにとって大切なものであった事は確かなはずだ。

 その事を理由に断ろうと、ソフィアさんを見ると、ソフィアさんが寂しそうに笑っていた。それは、短剣との別れが寂しいのではない。僕に、何でもかんでも遠慮されるのが寂しいのだ。何故か、僕にはそう感じた。


「分かりました。ありがたく頂きます」

「ありがとう、クリスちゃん」


 ソフィアさんは、嬉しそうな笑顔でそう言った。僕は、受け取った短剣を大切に握る。


「じゃあ、ついでに、鞘の取り付けが出来るベルトもあげるね」


 ソフィアさんはそう言って、僕の腰にローブの上からベルトを巻く。それに鞘を付けて、短剣をぶら下げた。


「うん。似合わないね!」


 短剣を装備した僕に、ソフィアさんはズバッと言い切った。確かに、少し野暮ったいローブにソフィアさんがくれた短剣は、似合わないと思う。もう少し洒落たローブを買っておけば良かったかもしれない。

 いや、そういう問題なのかな?

 そんな疑問を持ちつつも、僕は、短剣の位置を調整しておく。こればかりは、自分で取りやすい場所にしておかないと、後が困る。だから、自分で確かめないといけない。

 僕が、ちゃんと良い位置を見つけたのを確認したソフィアさんは、僕に手を差し伸べる。


「それじゃあ、ギルドに行こうか」

「はい」


 僕とソフィアさんは、荷物を置き、必要なものだけを持って、冒険者ギルドへと移動した。

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