第14話 約束

 何分くらいそうしていただろう。光国はミコから視線を外してテーブルを見るともなしに見ていた。ミコは、何も言わずに光国の言葉を待っているようだった。

 心臓が速く打っていて、息苦しさを感じるほどだった。が、言ってしまわなければいけない。

 深呼吸をして気持ちが落ち着くように努めた。あまり効果はなかったが、思い切って顔を上げ、ミコを見つめた。彼女は、数分前と変わらぬ表情で光国を見ていた。


「ミコ。オレたちは四月になったら東京に行くんだ。帰って来ない。東京で活動していくんだ。まだ、どうなるかなんて全然わからないけど、もう行くって決めたんだ」


 ミコの表情が固まった。フォークを握ったまま、じっと光国を見ている。

「ミコ。オレは、おまえが……」

「私が、どうしましたか?」

 そんなにまっすぐ質問されたら、どうしたらいいんだろう。何と言えばいいんだろう。光国は俯き溜息をついた。

「言ったら、全部壊れちゃうんだ。やっぱり言えない。言っちゃいけない」


 ミコに言うというよりは、自分に言い聞かせている感じだった。

「壊れるって、何故ですか? 言ってほしいです。言ったからって、壊れないかもしれませんよ」

 ミコの言葉に顔を上げ、本当にこの子は小学生なのか、と思った。しかし、現実にこの子は小学生だ。だから、困る。

 彼女はやや強い目つきで光国を見ると、迷う様子もなくはっきりと言った。


「わかりました。言わなくていいです。が言いたいことを言います。聞いてください。

 ミコは、が好きです。それもね、大好きなんです。子供のくせに、ごめんなさい。でも、これでお別れなら、ミコは言っておきたいと思ったんです。もう一回言いますよ。大好きです。

 光国は、ミコが一番哀しかった時、そばにいてくれました。どうしていいのかわからなかったあの時、光国がミコと出会ってくれたんです。光国のおかげで、ミコは救われたんです。

 だけど、それだけじゃないんです。ミコはまだ子供過ぎて、こういうのはよくわからないけど。それだけじゃないんです。もっと、何だかすごく心の奥の方で、好きだって思ってるんです」


 真剣な顔つき。光国は思わず目をそらした。同じ気持ちでいてくれたことは嬉しい。が、それがわかってどうするんだ。


「ミコは言いたいことを言いましたから、もう帰ります。光国は言いたくないんでしょう」

 そう言って、彼女は立ち上がった。このままここを去って行かれたら、後悔する。

 光国は彼女の腕をつかんだ。彼女は驚いたように光国を見た。光国は、感情が溢れ出すのを必死に押さえつけながら、言った。


「ミコ。オレの方こそ、おまえを好きだ。大好きだ。これ、犯罪だろう。おまえは、まだ小学生なのに。どうすればいいのか、オレ、もう全然わかんないんだ」


 言い終えると同時に涙が流れ出した。ミコがバッグを探って、ハンカチを渡してくれた。薄いピンク色の、花柄のハンカチ。受け取って涙を拭った。でも、止まらない。本当に嫌になった。


「ミコは、光国が好きなので、あと何年か待っていてください。そのうちに、きっともう少し大人になりますから。だから、光国。泣かないで」

「おまえと出会ってからずっと混乱してて。だけどさ、おまえのことが大事なんだ。傷つけたくないんだ」

 隠しておこうとしていた感情が、次々に溢れ出してくる。


 今まで、欲しいものなんか、なかった。だけど、今回は絶対に欲しいと思った。彼女は物じゃないけど、欲しいと思った。


「ごめん。もう、何言ってるんだか」

 ミコが首を振った。

「よくわかったわ。ありがとう、光国。ミコを大事に思ってくれてるのね。嬉しいです」

 何だかミコの方がずっと年上みたいだ。


「待っててください。すぐに大人になるから。ミコは急いで大人になります」

 今度は光国が首を振った。

「おまえは急がないでいい。オレが気長に待つ。待っててもいいのか?」

 確認する。彼女は頷いた。

「もちろんだわ。待っててください。それから、ミコを忘れないで。どこにいても、忘れないで。お願い」

「忘れたりしないよ。絶対。ずっと待ってる」

 彼女の手を握った。彼女も握り返してきた。体温を感じて、幸せな気持ちになった。涙は、もう止まっていた。


 彼女は微笑みながら、

「光国。今日はありがとう。ミコは嬉しかったです。それから、さっきの約束、忘れないでね。本当に、忘れないでね。

 さよならは言わなくていいですよね。だって、また会えるから」

「ああ」

 光国はむりやり笑って見せてから、

「じゃあな、ミコ。あ、ここはオレが払うから。いいよな」

 ミコは頷き、

「ごちそうさまでした」

 立ち上がって背中を向けた。店を出る時、マスターと美代子にお辞儀をしてからドアを開けた。去って行く彼女。追いかけることはしない。また会えるから。


 そう思って納得したはずなのに、一人になったら力が抜けた。強い悲しみが襲ってきた。

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