第2話
太郎の家が燃えた。両親が焼け死んだ。
火元はわからない。
両隣りも数軒焼け落ちた。
隣の家の男は顔と腕の一部にやけどを負い、倒れた柱で痛めたらしい足はびっこをひいていた。
また太郎は、地面に突っ伏して泣いている女を見た。呆然と立ち尽くしている者もいた。
奉公先にあがる前の日のことだった。太郎は帰る場所を失った。
真面目に奉公していた太郎は青年となった。奉公先で友を得ることもできた。同じ釜の飯を食い、仕事が辛いときは慰めあっていた。
また太郎には想い人がいた。小料理屋で給仕をしている娘であった。打ち解けた会話もしていたし、太郎は娘のほうも自分を心よく思ってくれていると感じていた。
ある日太郎は、奉公している店から取引先への遣いを頼まれた。国をふたつばかり越える旅となった。
行きは順調であった。はじめての相手先にも難なく着いた。丁寧にもてなされ用事も滞りなく済んだ。
問題は帰りにおきた。上流での大雨で川を渡れずに何日か足止めをくらった。旅の費用はそれほど余分に持ってきてはいなかった。太郎は焦った。もうぎりぎりだという日にようやく舟が出ることになった。おなじ宿で足止めをくっていた客と何人か同乗した。
「舟がでてくれてほっとしましたよ」
深く顔を隠すようにほっかむりをした男がしわがれた声で言った。おそらくおなじ宿にいた男だろう。彼は杖をついて舟に乗り、その杖を自身の脇に寄せた。本当に、と太郎も答えた。
店に戻ると変なうわさが流れていた。太郎がなかなか帰ってこなかったのは、届けるはずのものを持ち逃げしたという、そんな話になっていた。太郎の説明と、取引先から預かってきた手紙によって疑いはほどなく晴れたが、もうひとつ彼がいない間に進んでいた出来事があった。
太郎が想いを寄せていた娘と親友が所帯をもつことになっていた。太郎は大切なものをふたつ失った気持ちになった。
店の番頭にのれん分けがされたとき、太郎も番頭についていくことにし、長く勤めた奉公先をあとにした。
やがて太郎も所帯をもち、子が生まれた。名を小太郎といった。
ある日小太郎は手習いへ行く前に神社へ寄ることにした。身重の母のためにお参りをするつもりでいた。
小太郎が神社の石段を上がろうとしたとき、托鉢の僧が目に入った。小太郎は神社へ向かうのをやめ、僧の手にしている鉢に銭を入れて手を合わせた。
雲水は鈴を鳴らしたあと、短い経を唱えた。そして軽く礼をしたかに見えた。それを合図に小太郎はその場を去ろうとした。
しかし意外にも僧が話しかけてきた。
「お前のおとっつぁんは、お前と生まれてくる赤子のどちらが大切だろう」
そのときはじめて、小太郎は笠に隠れていた雲水の顔を見た。その右半分は焼けただれ、右手にも同じ傷痕が残っているのが見えた。
小太郎は見てはいけないものを見てしまったような気がしてじりじり後退った。
雲水はもう一度鈴を鳴らし、それで終いとなった。小太郎はそのまま駆けて手習いへ行ったが、その僧のことが頭から離れず気もそぞろであった。
その晩、小太郎は僧の話を父にした。
太郎はそばで大きな腹を愛おしそうにさすっている女房を眺めた。そういえば自分の母もあの日、腹をさすってはいなかったろうか。
その日は乾いた風が強く吹いていた。太郎の耳の奥で、遠くの半鐘が聞こえた。
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