1-25 その灯は何度でも




「―――酷い有様ですね、これは」


 カラスの襲撃から、数日後。

 衛兵団数名によりウルフセプト店舗内の安全が確認され、関係者が足を踏み入れる許可が漸く下りたことで、彼女達は改めてその被害の大きさを目の当たりにした。


 大勢で入っていくような足の踏み場もなく、粉々になったガラスやマネキン、棚やラックの残骸が床を埋め尽くしている。

 最初に入って来たフェリス、その一歩後ろで静かにしているカミヤ、そしてその隣に立っている銀髪の女性。

 三人とも、その光景に顔を歪め、各々複雑な感情で立ち尽くしていた。

「被害総額とか、考えたくもないですね」

 フェリスがそう言うものの、他二人は答える事もなく店内へと進んでいく。


「ナナ。そっちには行かないで、硝子が飛び散ってる」

 銀髪の女性がカミヤに声を掛けるが、彼女は構わずに少しずつ、足の踏み場を見つけながら先へ進んだ。


 天井が高いせいで、破壊され尽くしたその空間が異様に広く感じる。

「これ、まだ直せばなんとかなるよ」

「…」

 カミヤがそう言いながら商品だった服を拾い上げて、埃を払うのを、銀髪の女性はただ見守る。


「…何だったんでしょうね、あのカラス。人は襲わない癖に、こういう設備やら物やらは執拗に破壊していって。私達に、恨みでもあったんでしょうかね」

 そう口を尖らせて話すフェリスに、銀髪の女性は腕を組んだまま答えた。

「わからないけど。…お客様にも、私達にも怪我が無かったのだから、良かったと言うしかないわ」

「もしこれが魔女の仕業なら、私は許しませんけどね」

 その会話を聞いて、カミヤは振り返らずにフェリスの名前を呼んだ。

 なぜ呼ばれたのか分からず、彼女は首を傾げる。


「誰のせいとか、どうでもいいよ。それより、ここに散らばってるもの、全部回収しよう。私、これが全部ゴミになっちゃうなんて耐えられないよ」

「…そうですね」

 フェリスは少し不満げながら、それに同意して近くの商品をいくつか拾い上げ始めた。

 銀髪の女性は、カミヤが屈んでいるところまで近寄って、彼女を遮るように周辺の商品を拾う。

「ノエル?」

「この辺り、硝子が飛び散ってて危ないって言ったでしょ。あなたが指を怪我したら誰が新作のデザインするのよ」

 押しのけられたカミヤは、困ったようにノエルの顔を覗き込んだ。

「デザイナーもそうだけど、真オーナーの指のほうが大事だと思うな」

「ん、仕事変わってくれてもいいのよ?あなただって、オーナーって名前の役職なんだから」

「いやぁ、それはちょっと…」

 にはは、と困った笑いを浮かべるカミヤ。


「フェリス、あなたは事務所から軍手掘りだしてきて。あと、もし見かけたらドロテにも声かけてもらえる?修復できそうなものと、作り直したほうがいいものを分別するならあの子が要るから」

「あっ、はい」

 半ば思考放棄していたフェリスは、そう指示を受けてはっとしたように気を取り直して、ぱたぱたと店舗の外へと出て行った。


 その場には、カミヤとノエルの姿だけが残る。



 ―――ウルフセプトの実質的なオーナーであるノエルは、常に冷静に、かつスタッフの意志を尊重する、いわば『理想の上司』として周囲から尊敬される人物であった。


 二年ほど前に、元々は別の名前で発足する予定だった小さなショップ。

 突如として街に表れたカミヤを、彼女は迷う事もなくメンバーとして迎え入れた。

 カミヤの持つセンスと想像力、作ることに対する執着。それを見抜いた彼女は、経営戦略の一つとして、いとも簡単に『オーナー』という冠をカミヤに譲り渡す。

 更には、店の名前までをも、カミヤの理想を反映して変更。

 狙い通り広告塔としてウルフセプトの名前を街に轟かせたカミヤに対して、実際にはオーナーとしての業務は任せず、ただ思うがままに好きなデザインを生み出すことを許可し続けた。


 その結果生まれたのが、天才デザイナーのナナ・カミヤを看板とする、現在の大人気ブランドとしてのウルフセプト。

 ここまで理想通りに物事が進んだのはノエルの打算的な戦略によるものだったが、結果としてカミヤはノエルのことを神と崇める程に信頼し、夢を叶えてくれた恩人として堪えぬ感謝の念を向けるようになった。


 今でも、オーナーが負うべき業務は全てノエルがこなしている。



「お祭り、無くなっちゃったね。私、結構楽しみだったんだけどな」

 ワルプルギスの夜を越えた翌日に開催されるはずだった『翌夜祭』。

 それに向けて用意されていた、街中のあらゆるものは破壊されて、結局祭りなど開催できるはずもなく、そのまま何の告知も無いまま数日が経過していた。

 カミヤが呟くと、ノエルは何の気なく答える。

「無くなったと、思ってるの?」

「え?」

「やれば、いいじゃない」

 拾い上げた服に傷がないか眺めながら、流れるようにそう言ったノエルの横顔をじっと見ながら、カミヤは驚いたように目を見開いた。

「やれば、って」

「別に、役所が動くのを待つ必要なんて一つもない。延期でも何でも、やりたいって気持ちがあるのなら、私たちが最初に動いてしまえばいいのよ。ウルフセプトが動けば、街の人だって一緒に動き出すかもしれないわ」

「…いいの?」

「いいのって、何が?」

「だって、そんなことしたら。一番大変なの、多分、ノエルだよ」

「いいわよ、別に。そんなの、今に始まった事じゃないんだから」

 そう言ってノエルが笑うと、カミヤの目にはいつもの輝きが戻り始めた。


 顔を挟み込むように頬を叩くと、彼女は急に立ち上がる。

「そうだよ、そうだよね。私が、私達が、いっちゃん最初に遊び始めなきゃ、皆いつまでも暗い顔のまんまだもん」

「そう。この街、真面目な人ばっかりなんだから。私達が一番前に立って、明るい方に引っ張ってあげなきゃ」

「―――私、ちょっと考えてくる。皆にも声かけて、まずはとにかくこのお店の中綺麗にして、お祭りの計画建てよう。きっと、皆も協力してくれるよね」

「勿論」


 カミヤは少し興奮気味に、店舗の外へと小走りで向かっていく。

「ねえ、行こう。今回のことなんて無かったって思えるくらい、すっごいお祭り作って全部塗り替えちゃおう」

「いいわよ、あなたがそう言うなら、なんだってしてあげる」

「うん!」

 その信頼に満ちた返事を聞いて、ノエルの心の内も少し軽くなった気がしていた。


「よっしゃあ!私、ふっかぁつ!こうなったら、いつも通り空気なんか読まないでふざけ倒してやる!」

「節度は保った範囲でね」

「もちのろん!」

 そう言って、カミヤは子供のように店舗の外へと駆け出して、別棟の事務所の方へと駆け出していった。




 ◇ ◆ ◇




 それから数日が立って、リュック達が街に戻ってきてからの話。

 いくらかの破壊の形跡は残りつつも、街の住人たちの自助努力によって、バルベナの景観は襲撃前のそれと違わぬほどにまで復興を遂げていた。


 失ったものは多いが、それが命ではなかったことに感謝して、彼らは今できる全てを持って、『薔薇色の街』の名に恥じない催事を執り行うべく準備を進めている。


「…凄いね、この街は」

「ああ、たかだか影の獣に滅ぼされる街なら、とうの昔に無くなっていただろうしな」

 当然、といったふうにレテは街並みを見回す。

 何とも言えない表情をして同じように周囲を見渡すリュックだったが、服の袖をエリアにつままれて、自身の暗い表情を誤魔化すように小さく笑って見せた。




 数時間前、彼女達はセブレムでユアンからの聴取を受けていた。


 冥界で起きた出来事、エフタとその娘の話、依頼された『冥界の箱』の捜索のこと。

 彼女たち自身、未だに飲み込み切れていないようなその話を、ユアンは真剣に聞き取って記録に残した。


 その話のどれに対しても前のめりに聞いていた彼だったが、特に気にしていたのはやはり、『どうすれば影の獣を無力化できるのか』という点。

 今回の災害然り、常日頃の技術の進歩を阻害されていることも然り。今まで技術者として、幾度も影の獣の存在に悩まされていた彼は、先ず何よりもその脅威を取り払うことに躍起になっていた。


「冥界…な。その話で、影の獣の正体については色々考察できるようにはなったが―――どうにも、おかしいのが、一匹いるな。それのせいで頭が混乱してる」

 その一匹というのは、言うまでもなくメルのことを指している。

 日頃からメルに接して、冥界ではその正体にも近づいていた彼女達だったが、その本質が何なのかはわからず、お互いに顔を見合わせて肩を竦めた。


 ユアンはいつものビジネスチェアにもたれて、手元のペンを指先で遊ばせる。

「本当に人語を解するなら問答がしたいし、そうでなくても貴重なサンプルになる。どうにかして、俺にも会わせてもらえないか?」

「…サンプル扱いは、ちょっと嫌だけど。見つけたら、頼んでみるよ」

 エリアはそうは言いつつ、あまり自信はなさそうに頬を掻いた。


 その後も色々とユアンからの聞き取りは続いたが、幾ら話を続けても、彼が一番知りたいようなことについてははっきりした証言は得られず。彼女達の回答は、本当に当事者と言えるのかもわからないほどに、不確かなものになっていく。

 そんな覚束ない彼女達の様子に、ユアンは困ったように溜息をついた。


 ―――結局、影の獣のことも冥界の箱のことも、核心を突くような何かを得ることは出来ないまま。メルとの接触についても、彼女達は「見つけたら教えてくれ」とだけ頼まれて、一旦は返されることになった。



 やけに眠そうに話していたユアンだったが、別途にマリーから聞いた話では、彼は連日にわたって病院のシステムメンテナンスにも付きっきりだったらしく、殆ど睡眠を取れていないらしい。

 そう話すマリーの目もだいぶ疲れており、やはり今回の件が街に与えた影響が大きかったことは、バルベナを離れていた彼女達にも痛いほどに伝わっていた。




 今は、セブレムでの聞き取りからの帰りがけ。


 所々の家屋の窓が外されたまま、吹き抜けのようになっている所をみるに、どうやら割れた窓ガラスの補填が間に合っていないようだった。

 街灯も、よく見ると所々割れたままで放置されているものが目に付く。


 そんな街並みを眺めつつ歩いていると、遠くから聞き覚えのある声が響いてきた。

「りゅーちゃーん!エリちゃーん!…えっと、れっちーん!」

 その特徴的な呼び名で、彼女達はそれが誰の声かすぐに気が付く。

 なんだか少し嬉しそうに、リュックは笑顔を見せた。

「ああ、今日も元気そうだ」

 少し先、ウルフセプトの店頭あたり。

 そこには、少し飛び跳ねながら手を振るカミヤの姿があった。




 例に漏れず疲れた目をしていたカミヤだったが、彼女はそれでもなお『私はやりたいことをやっているから』とでも言うような満足げな顔をしている。


「こないだは、やばかったね。みんなは、大丈夫だった?」

「うん、なんとか。カミヤも大丈夫そうでよかった」

 リュックがそう答えると、カミヤは「へへ」と笑った。


 街の人からすると、先日のワルプルギスの夜の出来事は『影のカラスが、ただ通り過ぎざまに街を破壊していった災害』と捉えられている。

 何の目的でバルベナを襲っていったのか、過ぎ去ったカラスが一体どこへ消えていったのか、という点については、憶測はされても答えを知る者は居ない。


「あれ以来、マリーともまだ会ってないんよねぇ。あの人も元気?」

「大丈夫だよ、怪我はなかったから。…まあ、あのすぐ後に在宅患者のケアをしに走り回ってたみたいで、だいぶ疲れてはいたけど」

「あぁー…お医者さんだもんねぇ」

 リュックが受け答えをする横で、僅かにエリアが申し訳なさそうな顔をしている。

 どうやら、マリーが一番大変なタイミングで手伝えなかったことを気にしている様子だった。


「ウルフセプトのみんなは元気?」

 そう聞かれると、カミヤは「あー、そうだね。怪我はなかったから、そういう意味では元気かな」と答える。


 ふと店の奥を見ると、スタッフらしき人達が声を掛け合って店舗内の整備を進めている。

 その中には、瞳孔が開ききった銀髪の女性と、ゾンビのような顔をしたフェリスが何かを話している様子も伺えた。

「…あれ、元気?」

「…うん、嘘かもしれない」

 流石に健康とは言えない彼女達の様子に、カミヤは焦ったように視線を逸らす。


 様子を見ていると、銀髪の女性がこちらの様子に気が付いたようで、軽い会釈をしながら彼女達のほうへと歩み寄って来た。

「どうも、こんにちは。もしかして、あなたがリュックさんですか?」

「あ、はい。そうです」

 お手本のような笑顔で声を掛けられて、リュックは緊張気味に返事をする。

 そんな彼女の様子を他所に、背丈が彼女らとそう違わぬその女性は「ノエルと言います」と名刺を差し出した。


「ウルフセプトの真オーナーだよ」

 カミヤがそう言うと、エリアがなにか気が付いたように「あ」と声を漏らす。

 カミヤはそれを見て、そうそう、と頷く。

「エリちゃんには前に話したもんね。私は看板役で、実質的なオーナーは他にいるって」

 どうやらその話を知っていたらしいエリアは、「ど、どうも」と慌ててお辞儀をした。


 エリアに返事をした後、改めてノエルはリュックのほうへと向き直る。

「以前に、うちのカミヤを助けていただいたのに、直接お礼を言えなくて―――その節は、ありがとうございました」

「ああ、いや、そんな」

 そうかぶりを振るリュックだったが、ノエルは気にせず彼女の手を取って「また改めてお礼でも」とやや無理やり気味に握手をして見せた。


 そんなノエルの様子を見て、横で黙っていたレテが急に口を挟む。

「随分疲れているように見えるが―――衛兵団やセブレムでもあるまいし、もう少し休み休みできないものなのか?」

 やや同意気味に、エリアもノエルの目を覗き込む。

 ノエルは、至って平静を装って、「いえ」と小さく右手を挙げた。

「疲れて見えるとはよく言われますが、実際そうでもないですよ。それに、翌夜祭を延期開催するならのんびりもしていられませんから」

「翌夜祭?」

 驚いたようにレテは目を見開いた。

「開催するのか?」

「ええ、しますよ。災害があったからと祭りを辞めてしまっては、一層街の活気が失われてしまうでしょう」

 ノエルのその言葉に、横にいたカミヤはにっと笑顔を見せ、エリアも少し嬉しそうにリュックの顔を見る。


「いやまあ、ここまで急いでやろうなんて言ってなかったんだけどね。ノエル、自分からこんな過酷スケジュール立てるもんだから」

 カミヤは困ったようにノエルの顔を見上げる。

「善は急げ、よ、ナナ。過剰に余裕を持たせたスケジュールを立てたら、街の人達もだらけてしまってモチベーションが低下するでしょ」

「そうだけどさ、自分が一番つらいじゃんね」

「いいのよ、それは」

 どうやら仕事に厳しいらしいノエルは、持っていた手帳を捲ってその中身を見ると、「では、一旦私はこれで」と店舗内のほうへと帰っていった。



 カミヤは、ノエルに聞こえないように少しリュック達に身体を近づけて小声で話す。

「今回の翌夜祭、うちらから街に延期開催の提案したんだけどさ。そしたら、市庁舎はもう手一杯だからって、ウルフセプト主催の民間イベントってことにされちゃって。結果、ノエルが祭り自体の運営にまで関わって、あっちこっち走り回ってるの。当人はそれでいいって言ってるけど、さすがにちょっと心配でさ」

「祭りがあるのは嬉しいけど、確かに心配だね」

 ノエルが歩き去ったほうを眺めたままで答えるリュック。


「私達が手伝えることがあったら、何でも手伝うよ」

 エリアがそう言うと、カミヤは「ありがと」と笑った。

「私達で捌き切れなくなってきたら、お願いするかも。でも、エリちゃんはマリーのことを助けるのが最優先でしょ?街の皆の健康、守ってあげてね」

「う、うん」

 エリアはぶんぶんと顔を上下に振る。



 ひとしきり話も終えて、彼女達はマリーの家にひとまず帰ろうと、カミヤに向けて手を振った。

「じゃあ、私たちはこれで。くれぐれも、頑張りすぎて倒れないようにね」

「りゅーちゃんも、また衛兵団のお仕事頑張ってね」

 去り際、リュックは力こぶを作るように腕を上げて見せた。


「れっちんも、何してるか知らないけど頑張ってね!」

「し、知らないなら何も言わんでいい!」

 予想外に声を掛けられたレテは恥ずかしそうに振り返って、大きな声でカミヤのことを制した。



 リュック達の一行が去った後、フェリスがカミヤに後ろから声を掛ける。

「そういえば、だいぶ前にお楽しみがあるとかなんとか言ってませんでしたっけ。その話は、しなくてよかったんですか?」

 あ、と声を漏らすカミヤ。

「んー、あれはちょっと実現できるか怪しいとこだから、言わなくてよかったかな。だいぶ、先生頼りの話だったし」

「先生って、ユアンさんです?」

「うん。ちょっとね、作って欲しいものがあったんだけど。また来年かなぁ」

「そうですねぇ、セブレムは忙しいですからね」

 お楽しみというのが何のことかは知らないフェリスだったが、カミヤがまた来年と言うので敢えて詳しくは聞かずに、彼女はただリュック達が去った後を眺めた。




 ◇ ◆ ◇




 リュック達がマリーの家に戻ると、そこには不貞腐れた様子のレリアが居た。


 一同は、あれ、といった顔で彼女を見る。

「帰って来たんだ」

 リュックがそう言うのは、彼女達がバルベナに帰ってきてからずっと、レリアが姿を見せていなかったから―――もとい、何故彼女がマリーの家から姿を消したのか、その理由を聞き及んでいたからであった。




 遡ること数日前、ワルプルギスの夜。

 カラスの襲撃時、エドが冥界に連れ去られ、念話が途切れたことを発端にレリアは取り乱しきって、なんとか彼を助けようと家を飛び出そうとしていた。

 結局はマリーに引き留められて、エリア達が冥界の門を潜って姿を消したのちは暫く茫然としていたが、数時間後にまたエドが地上に帰って来たことを悟って、遂にはマリーを振り払って家から駆け出してしまう。


 なんとか捕まえて帽子を被らせることには成功したマリーだったが、あまりに抑えが聞かないレリアの様子に根負けし、どうにか目立たないように注意を払いながら、衛兵団の仮設診療所で指揮を執るエドの元へと足を運ぶことになった。


 人目につくような形でレリアが街へ出かけたのは、それが初めてのこと。

 今までは外出を嫌がっていた彼女が目の前に現れ、それはもう驚愕したエドだったが、自分にしがみついて離れない様子を見て、彼女の心境については直ぐに理解したようだった。


 それからと言うもの、他の隊員に対しては「親戚の子だ」と必死で誤魔化しを入れながら、彼はレリアに引っ付かれたままで仕事を行う事になる。


 重度の冥界酔いの状態で、勝手に病院を抜け出して仕事に戻ろうとしていた彼だったが、周りの隊員から無理をするなと言われ、足元ではレリアに絡みつかれ、どうにもできなくなった彼は、ずっと座ったままで指示・助言に徹して街の復旧に努めていた。


 周囲の視線など気にも留めず振舞っていたレリアの様子について、後から彼に聞くと、「冥界に引き込まれる瞬間よりも心臓が縮んだ」と話していたらしい。

 無論、それはレリアの猫耳がうっかり周囲の人間に見られないように気を遣った、という意味である。




「―――でも、『怪我人が居なくて本当に良かった』って嬉しそうだったよ。隊員のみんなが優秀で助かった、って」

 そう話すマリーはソファにもたれて、まだ不貞腐れ顔のレリアを膝の上に座らせて抱きかかえていた。


 冥界で会った時には自責の念で潰されそうになっていたエドだったが、帰ってきた後に気持ちの整理がついたことを知って、エリアは安堵の表情を浮かべた。

「みんな帰って来られて、良かった」

 彼女がそう話して笑顔を見せると、レリアは少し表情を明るくして、マリーの膝の上から降りる。

 レリアは普段とは打って変わって甘えたがりの子供になり、今度はエリアに抱き付くように膝の上に乗った。

 彼女の髪の毛からは、僅かに石鹸の匂いがする。

「…」

 彼女は黙って何も言わないが、抱き着く力の強さで何を言わんとしているかは分かる。

 エリアも、何も言わずに彼女を抱き返して優しく髪を撫でた。



「で。流石に仕事の邪魔だからと、今日になってこっちに返されたと?」

 空気を読まずにそんなことを口走ったレテに対して、レリアは急に顔を上げて、噛みつかんばかりに声を荒げた。

「違うわ!エドは私のことを邪魔だなんて言わないの!ただ、その…私も流石に正気に戻ったっていうか、そろそろお風呂に入らないとまずいと思ったっていうか…」

「比喩ではなく本当にずっと纏わりついていたのか…?」

「う、うるさいわね」

 彼女は恥ずかしそうにまたエリアに抱き付いて、そのまま顔を背ける。


 マリーはいつもの穏やかな表情で、「レリアちゃんの体力もそろそろ限界だったからねぇ」と付け加えた。


「期せずして、街中デビューしたんだねぇレリちゃん」

「や、やめてよ。別に街中デビューしたくて外に出た訳じゃないわ」

 意図しない理由でエリアに褒められて、レリアは頬を赤くする。

 その言葉に、レテは「そういえばレリアは筋金入りの街嫌いだったか」と手を叩く。


 ふと、リュックが気が付いたように手を合わせた。

「そうだ。翌夜祭も開催するらしいし、その時にも外に出よう。一度出かけたなら、もう何も怖くないよ」

 レテも調子を合わせて、「そうだ、そうだ」とレリアの顔を覗き込む。

「活気が戻ったらこの街は凄いぞ。もう、欲しいものが何でも手に入りそうなくらいに、人も物も溢れて通りが輝くのだ。行って損することは無し、なんなら眺めるだけでも価値がある」

「よ、翌夜祭?別に、いいわ、去年も一昨年も行かなかったもの」

 そういって慌てて断ろうとするレリアだったが、「だったら猶更でしょ?」とリュックに迫られ、えぇ、と困った顔をした。


 レテが意地悪そうな顔をしながら、「マリーはどう思う?」と話を振る。

 マリーはにこやかに、少し意地悪な調子で「是非行くべきだと思うなぁ」と答えた。

 彼女のその反応に、レリアは味方を失ってきょろきょろと周りを見回す。


「だ、そうだレリア。やはり、医者の勧めには従うが善し。心の健康を養うには、貴様は外に出てよい刺激を得なければならないらしいぞ」

「うん、うん。ていうか、レリアって、日頃から街へ行きたそうな顔してたよね。私にはそう見えたんだけど、違った?ねえねえ」

 そう目を輝かせる二人から迫られて、うう、とレリアは身を引く。

 実際の所、今までの会話でも、彼女はエリアが街での出来事を話すたびに露骨に興味を示していて、街への怖さよりも関心のほうが強くなっていることは明らかだった。


 受け答えに困ってふと顔を上げると、そこにはにこにこした顔で彼女を見つめるエリアの姿がある。

「大通りのシュークリーム屋さん、おすすめだよ。買ってきてもらうのもいいけど、買ってすぐに外で食べるともっと美味しいの」

 逃げるようにマリーに視線を送っても、マリーもまた笑顔で「そうだよぉ」と頷いて、レリアの逃げ道を奪っていった。


「で、でも」

 どうにか言い訳を考えて家に籠ろうとするレリアを、その場の全員が屈託のない笑顔で射止める。

「う、うぅ」

「レリちゃんがお祭り楽しんでるところをみたら、きっとエドも元気百倍で頑張れるだろうなぁ」

「…」

 そんなエリアの笑顔を見て、どうにも、言い訳が聞かなくなって。

 そして、衛兵団として街で活躍するエドの姿を、念話越しではなくその目で見てみたい、という気持ちが勝って。

「まあ、ちょっとくらいなら」

 と、まんざらでもない顔で、彼女は目を逸らしながら、遂にそう答えるのだった。



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