1-Re 幸せのアルカロイド(2)
「こんにちは。お客さん?ごめんなさい、眠っていて気が付かなかったわ」
「―――」
龍騎士のヨナが幼き魔女ロベリアと出会い、彼女の現状を知った日の翌朝のこと。
ロベリアは、またしてもヨナとの記憶を忘却していた。
「ロビィ。私のこと、わからない?」
「…?前に、どこかで会ったかしら。ごめんなさい、わからないわ」
「…」
ヨナは言葉を失って床にへたりこんだ。
昨日の夜まで、ずっと一緒に話していた。
これからロベリアが食べ物に困らないように、整った環境で生きていけるようにと考えながら。
この家から離れたくないのならば、せめて寂しい思いをしないようにと、ヨナは胸の締まる想いで彼女と他愛ない話を続けた。
その記憶が、一晩眠りに落ちて、目覚めた頃には失われている。
それに対する失望感は、ヨナが今までに経験した中でも類を見ないほどのものだった。
「…医者に、見てもらわないといけないわ。ロビィ、ごめんね。私、無理にでもあなたを街に連れて行こうと思う」
「…?何を言っているのか、わからないわ。私、知らない人にはついて行けない」
「知らない人じゃない。私は、あなたと昨日ずっと一緒に居たの。私の名前も教えたし、あなたの名前がそのベッドに刻まれてるって話も、あなたが葡萄よりも梨が好きって話も全部聞いた」
床にへたり込んだヨナをいたわるように近寄ったロベリアは、そのまま抱き寄せられて身動きが取れなくなる。
抵抗はしないが、訳が分からないと言った様子で困り顔をしていた。
「記憶が保たないなら、猶更一人になんてしておけない。一緒に街に行って、私と一緒に暮らそう」
ロベリアは、抱きかかえられたままどうしたものかと顔をしかめている。
「でも、私、ここからは離れられないわ」
「そこにあるベッドで眠れなかったら、真っ黒なお化けが来るから?」
「…」
どうやら本当に自分のほうが記憶を失くしているみたいだ、と何となくわかってきたロベリアは、何も言わずにヨナの言葉を待つ。
「影の獣なら、私が倒してあげる。どこであなたが眠っていようとも、必ず私が傍で見守ってるわ」
「どれだけ来るか、わからないよ。もしかしたらあなた一人じゃ無理かもしれない」
「そんなことない。私、これでも強いんだから」
ヨナはロベリアと引き寄せあっていた身体を離して、笑顔を作って彼女と目を合わせる。
「…あなた、龍人なの?」
「うん。パリから来たとっても強い龍騎士の、ヨナ。もう、忘れないでよね」
「…うん」
ヨナのその悪意など微塵もない表情を見て、ロベリアは彼女が自分の保護者として振舞うことを認める。
そしてゆっくりと、少しの不安を残しつつも彼女と目を合わせて頷いて見せた。
ロベリアは結局、例のベッドにそれ以上固執することは無かった。
そして、少しの準備をしてパリへ行くことを承諾した。
◇ ◆ ◇
ヨナの同行者は、前日の段階で村を離れている。
ただ、パリまではそう遠くはなく、同行者が置いて行った魔道具稼働の荷車があれば半日もかからない距離だったので、特に帰還するのに苦労することは無かった。
影の獣が襲ってくる様子は無い。
空の良く見える平原を、がらがらと音を立てて走る荷車のうえでロベリアはまたぼんやりと外を眺めている。
「こうやって遠くに行くのって、なんだかわくわくするものね」
荷車のやや乱暴な振動も楽しいようで、ロベリアはその揺れに身を任せて上下にぽんぽんと跳ねて兎耳を揺らした。
「街に着く前に、これ、被ってね。あなたの耳は目立つから、なるべく深めに」
そう言って、ヨナは自分が来ていた上着をロベリアに着せ、その服のフードを被らせる。
「うん。…でも、長い耳を怖がる種族なんているんだね。昔は、こういう耳の生き物が他にいたのかしら」
「そうかも、しれないね。怖がる方も、臆病な種族なのかも」
「うん。びっくりさせないように、気をつけてあげなきゃね」
ヨナは、優しいね、とフードの上からロベリアの頭を撫でた。
荷車の揺れのせいで、ロベリアはヨナの手に頭突きをするように体を揺らした。
正直なところ、同行者を先に帰らせておいたことは彼女にとって色々と都合のいい結果を生んだ。
第一にロベリアの姿を彼に見せずに済んだということ。そして第二に、自分が数日間は騎士団に姿を見せなくても疑いのかからない状況を作れたこと。
その間にロベリアが身を隠す拠点さえ用意してあげれば、その後のことはまた改めて考えることが出来た。
ロベリアが何度も記憶を失っていることについては、どうにか彼女の素性を隠して、その拠点に医者を呼び込むしかない。
できれば大病院や教会に属さない、それでいて思想的ではない医師。
もし何かの拍子にロベリアの正体がバレたとしても、誰にも話さないでおいてくれる―――そんな都合のいい医師がいるかどうかはわからないが、心当たりが無いわけでもなかった。
少なくとも、いつ影の獣や近隣の村人に攻撃されるかわからない場所に一人で住まわせるよりは安全な選択だと、彼女は信じていた。
パリ中央の騎士団拠点からは遠く、居住区の端の端。
以前に魔女教の過激派が隠れ家としていた小さな建物が空き家になっていることを知っていた彼女は、ロベリアをそこへ連れ込んだ。
薄暗い空間。
暫く人が居なかったその部屋は当然汚かったが、掃除洗濯を嬉々として行う彼女にとって、それはさしたる問題では無かった。
「ごめんね、あんまり広くないけど―――今日からしばらく、ここに住もうね」
「うん」
ロベリアもその部屋の広さや設備にさして興味はなく、むしろ、これから何が起こるかわからない状況に何となくわくわくしていた。
兎にも角にも、ヨナがすぐに駆け付けられる場所にロベリアが居てくれれば生活面で不安になる事もない。
この不健康に痩せ細った腕も、彼女が面倒を見ていればすぐに改善するだろうとは予想できた。
当然、不安要素も多い。
しかし、何もしないことと比較すれば、それは仕方ないと割り切るのが正解だと彼女は信じた。
「ここに、お医者さんを呼ぶの?」
「…うん。そうなる、かな」
自信なさげに応えるヨナ。
半ば勢いで連れてきたはいいものの、そう簡単に医者に診てもらえるか、とか、騎士団にはいつ頃戻ったらいいか、というのはまだ全く決まっていなかった。
とはいえ、医者には心当たりはある。
騎士団とも関わったことのある、とある人物を彼女は頼ることにした。
「久しぶり、ヨナ」
「うん、久しぶり」
白髪の好青年、クリス・ラカミエ。
病院施設や教会が十分に存在するこの街においては珍しく、クリスはどこにも所属しないフリーの医師。
騎士団に助力したこともある彼の実績と信頼に加えて、組織ではない故の秘密保持性の高さは他には代えがたいものがある。
ヨナの求めに快く応じた彼だったが、一説には、彼には魔女教との繋がりがあるという噂もあった。
その噂についてはヨナも知っていたが、今は彼に賭けるほか無かった。
普段は内科医として患者を診る彼だが、心理学や脳科学についても知見を持つ。
「君がロベリアだね。僕はクリス、よろしくね」
「こんにちは」
クリスが差し出した手をただ眺めるだけで、握手には応じないロベリア。
人見知りをしているのか、そもそも握手というものを知らないのか、よくわからないままクリスはその手を引っ込めた。
飾り気のない木のテーブルを囲んで三人は座る。
ヨナはロベリアの隣に座って、彼女の手を握ったりして緊張を紛らわそうと努めた。
当然、ロベリアは上着のフードを深く被ったままでいる。
「男の人と話すのは苦手?」
「ううん。別に、大丈夫」
「そっか、良かった。君にお土産を持ってきたんだ、あげるよ」
そう言って、クリスは持ってきていた鞄から、少し大きめのぬいぐるみを取り出して差し出す。
ロベリアは、両手を広げて掲げるようにそれを受け取った。
「わあ。おいしそう」
「違う、違う。食べ物じゃないからね。ぬいぐるみだから、可愛がってあげて?」
「わかった。ありがとう」
なんとも見当違いな受け答えをするロベリアに焦りつつも、穏やかにクリスは続ける。
ロベリアはぬいぐるみという物にもゆかりが無いのか、興味深そうにまじまじとそれを見つめた。
「こんな動物、どこかで見たような気がするわ」
「そう。兎って言うんだよ」
「そうなのね。長いお耳、私とおんなじね」
あっ、と声を漏らすヨナ。
ロベリアは単純に耳を隠す約束を失念しているようで、何事かとヨナの顔を覗き込む。
「あ、えっと。そう、ロビィはお耳が柔らかいからね。引っ張ると兎さんみたいになるのよね」
さすがに無理があるかと思いつつ、ヨナは慌てて取り繕う。
「もともと、長いよ?」
「そ、そうだったかな。あはは」
クリスは、穏やかな笑顔のまま少し首を傾げる。
「…?よくわからないけど、そうなんだね。そのぬいぐるみは、家族だと思って大事にしてあげようね」
「うん」
クリスが特に詮索しなかったことで、ヨナは内心胸を撫で下ろした。
もし正体がばれてもクリスなら騒がないでくれるのではないか、という期待はあったが、ばれずに済むのであればそれに越したことは無かった。
その後、クリスと暫く会話を続けたロベリアだったが、特に不安がる事もなく穏やかに話は進む。
会話が続いて僅かな緊張も解けたのか、時々クリスの話に興味深く耳を傾ける様子も見られていた。
最も、興味の対象は殆ど食事の話題であったのだが。
「今日は、このぐらいにしようか。沢山話してくれて、ありがとうね」
「うん。クリスはまたここに来るの?」
「勿論。明日も、また来るよ。さっき話してたお菓子を持ってきてあげるよ」
「わあ!」
ヨナも初めて見る程にロベリアは目を輝かせる。
問診らしいやりとりも無かったが、今日は彼女と距離を詰めるための時間だったのだろうと、ヨナは焦る気持ちを抑えて穏やかに笑った。
「ヨナ。この後、少し話す時間を貰える?」
「ええ、勿論」
クリスが帰り支度を整えると、ヨナは見送りとしてクリスと共に部屋から出た。
「どう、かな」
何か気になるところはないかと、ヨナはクリスに確かめるように聞く。
クリスは、少し難しい表情で視線を上げた。
「なんというか、その、良い事なんだけど。凄く、良好な精神状態だよ」
彼は困ったように頬を掻く。
「受け答えは独特だけど、攻撃的だったり自虐的な発言は全くなし。矛盾するような言動も無かったし、ぬいぐるみや食べ物の話題にはよく食いついてた。記憶が消えるようなストレスや異常があるとは感じられなかったよ。脳に問題がある可能性も考えて、もう少し時間をかけて確かめないといけないと思う」
「そっか」
最も、明日になればロベリアはクリスのことを忘れているかもしれない。
そう考えると、本当に気の長い治療になることも容易に想像できた。
あまり時間をかければ、いずれ彼女が魔女であることも気付かれるかもしれない。
「この事、騎士団に内緒にしたいって言ってたけど―――理由は、やっぱり言えないのかい?」
「…うん。私がここに居るっていうのも。都合のいいこと言って、ごめんね」
「いや、いいよ。僕だって、隠し事くらいしたことあるし」
「ありがとう。今度、何かお礼させてね」
「わかった。―――じゃあ、うちの犬が喜びそうなもの、期待してるよ」
「あは、ほんとにわんちゃん好きなんだね」
「ここに連れてきたら、ロベリアも喜ぶかも」
「うん」
それじゃ、と言ってクリスはその場を後にする。
去り際に、そういえば、と彼は振り返った。
「ジルコから聞いた。エドワード、バルベナで衛兵団の部隊長になるんだってね。出立は近いんでしょ。挨拶には行けそう?」
そうだ、とヨナは目を見開く。
今まで苦楽を共にしてきたエドは、あと数日で騎士団の任を降り、新たな地で新たな任を負うことになる。
ロベリアの事で頭がいっぱいになっていた彼女だったが、親友として、彼の見送りを行わないわけにはいかなかった。
「うん、その頃には皆にも顔を見せるよ。エドは、私が背中叩いてあげないといけないからね」
「なら、よかった。エドもきっと待ってる」
「…うん」
少し寂しそうに、ヨナは手を振ってクリスを見送った。
エドはあと数日で、遠い地にあるバルベナへ行ってしまう。
彼女が一番信じられる人物に頼れるのは、あと数日が期限だった。
彼だったら、魔女であるロベリアのことを話しても受け入れてくれるだろうか。
いや、きっと他にも、受け入れてくれる人はいると思う。
ただ、立場上、自分の行いに協力させてはいけないから内緒にするのだ。
特に、エドはこれから新たな地で隊長として生きていく。
彼に相談して、引き留めて、彼の重荷になることは彼女としては避けたかった。
ただ、今まで何事も打ち明けあってきたエドに隠し事をするというのも、彼にとって不義理なような気がするし、純粋に寂しくも思えた。
「…いや、まだ、もう少し。私の力で頑張ってみよう」
これは最早、彼女個人の問題で、クリスの力も既に借りている。
騎士団を巻き込むのはまだ早いと、ヨナは自分一人でロベリアの幸せを守ることを心に決めた。
◇ ◆ ◇
それから数日、数週間。
クリスとの問診を繰り返す間、ロベリアは記憶を失う事もなく、至って正常な子供として彼とのやり取りを続けた。
ある日には彼が持ってきたお菓子を嬉々として食べ、ある日には貰ったぬいぐるみでままごとをして遊ぶ姿も見られた。
ヨナの都合であまり外には出られなかった彼女だったが、不満を漏らすことは殆ど無く、むしろヨナやクリスを気遣う様子さえ見せていた。
「―――騎士団に、私が街へ戻って来たことを伝えてきたわ。これからは、一緒にお外に出かけられるよ」
「…!」
ヨナの言葉を聞いて、人形遊びをしていたロベリアは嬉しそうに彼女の顔を見上げた。
ヨナは、視線を合わせようとロベリアの前で膝をつく。
「いいの?どこでも?」
「うん、どこでも。行きたい所、あるんだもんね」
「うん。クリスがくれたガレットのお店に行ってみたいの。あと、お紅茶の専門店。ヨナが買ってくれた茶葉と、そのガレットがすごく合うのよ」
そう話しながら立ち上がって、ヨナに抱き付くように歩み寄るロベリア。
「ヨナ、ありがとう。大好き!」
「私もロビィが大好きだよ。今まで我慢させててごめんね」
「ううん、大丈夫」
ロベリアが両手を広げてヨナに近付くと、彼女もまた応えるようにロベリアを両手で引き寄せて互いに抱きしめ合う。
もうとっくに、ヨナにとってロベリアとは家族にも等しい存在になっていた。
ロベリアが今からすぐに出かけたいというので、ヨナは快く受け入れて彼女と共にその住み処を出た。
そこから先の景色は、どれもロベリアにとっては初めての景色。
目に入る全てが輝いていて、美しくて、美味しそうなものに溢れていて―――
『幸せ』のすべてを現実に映し出したような、そんな世界に見えた。
ヨナと手を繋いで、少し歩いた先には、なにやら人形を飾ったお洒落な店、きらきらと光る装飾を売っている雑貨屋、そういった興味を引くものが軒を連ねている。
通り過ぎるたびにロベリアは物欲しそうに振り向いたり、立ち止まってじっくりと眺めたり、何を見るときにも目を輝かせていた。
「ねえ、ヨナ。今日はお祭りでもあるの?素敵なものが多すぎるわ」
「ここは、いつもこんな感じだよ。みんな、ロビィが楽しめますように、って素敵なものを並べてくれてるの」
「わあ」
嬉しそうに周りを見回すロベリア。
その少し跳ねるような彼女の足取りを見て、ヨナも嬉しそうに目を細めた。
「ガレットのお店も、もうすぐだよ。楽しみだね」
「うん」
ロベリアは、嬉しそうにヨナの目を見て首を縦に振った。
その二人の様子は、周囲から見れば、幸せな親子の姿そのものだった。
やっとたどり着いたガレットのお店。
店員は、微笑ましくはしゃぐロベリアに笑顔でガレット入りの紙袋を渡した。
紅茶の店でも、ロベリアはとにかく楽しそうで、周囲の客も思わず笑顔を見せてしまうような喜びようを見せていた。
ヨナも、ロベリアがこれまでで一番の感情を見せていることが嬉しくて、予定に無かった所へも連れて行って、その都度ロベリアがぴょんぴょん跳ねて喜ぶ様子を眺めていた。
「ヨナ、私とっても楽しいわ。明日も、また新しい所へ連れて行ってくれる?」
「ええ、もちろん。この街は広いもの、まだいっぱい素敵な物が見つかるよ」
「本当に、夢みたい」
そういって、ロベリアはまたヨナに抱き付いて、彼女のお腹に顔を埋めた。
ヨナは、そのままロベリアの頭をフードの上から撫でた。
―――このフードが無くても、この子が自由に歩き回れたらもっといいのに。
そう思いはすれど、この世界で魔女がどう思われているかをよく知っている彼女だからこそ、その最後の願いは叶わないと理解していた。
「ずっと、一緒だからね。私が、あなたをもっと幸せにしてあげるから」
「うん」
ヨナはロベリアをそのまま抱き上げて、「帰ろっか」と優しく声を掛けた。
二人の関係は既に親子として成立していて、それを疑う者はもう誰も居なかった。
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